しかし、自傷行為や自死、自殺企図を図る人は、この②の「絶望」の段階にいて、状況を受け入れ、回復、解決のためのパワーを発揮することができません。 そして、不幸にも「二度と出会いのない世界」を選んでしまいます。
「無礼」という言葉がありますが、たとえ、どのような事情であれ、「自らの命を絶つ」という行為は、自分に対する最大の「無礼行為」であると思わなければなりません。
ところで、今、「死にたい」とか「死んでしまおう」と考えている「あなた」がいたとしたら、その理由は何ですか。
ご存じでしょうか。自死、自殺には3つの動機があります。
ひとつは、「死ぬこと」です。 「生きていたくない」とか「つらい、苦しい」、「消えてしまいたい」とか「自分がいなければ苦しまなくて済む」と言った、心の痛みや心的苦痛から逃れることです。
ふたつは、「殺される」ことです。 「自分なんか、いないほうがいい」とか「死んで詫びるしかない」、「こんな自分は、生きている価値がない」とか「生きていても何の役にも立たない」という、実際の「自分の悪い行い」や「そうであろう」と勝手に思い込んでいることに対する「自罰感」から死を選ぶことです。
みっつは、「殺すこと」です。 「見てろ!死んでやる!!」とか「私が死んだあと、苦しむがいい!!」、「望み通り、死んであげます」と他者に対する攻撃や恨みを晴らす意味で、人が「死ぬ」という強烈なインパクトを与えようとします。
もしも今、「あなた」が「死にたい」という気持ちでいることに対し、そうした気持ちに至った経過は理解したいし、また、「あなた」の現在の立場を尊重したいし、さらに、つらい、苦しい思いに共感もしますが、「あなた」が実際「死ぬこと」には、絶対反対です。
何故なら、「あなた」には「やり残していること」がたくさんあるからです。
MHPCでは、ほんとうは、今の「あなた」を励ましたり、慰めたり、説得をしたいけれども、あえて、致しません。
その理由は、そうすることでもっと「あなた」が苦しむことになるからです。 しかし、「あなた」が「やり残していること」を一緒に考えていくことはいつでもできます。
生きている上で、人は、一人ではどうしようもない時が多々あります。
そのような時、誰かに「助けてほしい」という「援助希望能力」を身につけていなければなりません。
ある人は、「自己責任」という言葉に縛られ、一人で頑張ろうとして、人に助けを求めることが苦手な上、「頼むコツ」を知らないとか、またある人は、プライドが邪魔をして「恥ずかしい」と感じたり、さらには、「もし、断られたらどうしよう」と不安が先に立ち、人に助けを求められないなど、理由は様々です。
人生に、悩んだら、迷ったら、困ったら、そして、疲れたら、一人で悩まず、まずMHPCにご相談して下さい。
それが「人に助けを求める」第一歩です。
この意味、お解りでしょうか。