09.子育て教育 「ひとくちアドバイス」その④

■「親の元気」が子どもに安心感を与えます。

世間には「父、母はいつまでも元気でいるとは限らない」と言って、子どもの 自立を促そうとする親がいます。

その意味は「親はいつまでも元気でいられないから、親が元気な内に早く一人 前になってほしい」と言うことでしょう。

しかし、現代の子どもはこの言葉に「はぁ~、なに?それって」という思いで 受け止めるかもしれません。

また、これに類似した言葉に「いざという時、どうするの」の「いざ」があり ます。
「いざ」とは重大な局面、一大事な時と解されますが、「いざ鎌倉」の時代な らともかく、いずれも子どもの不安を煽(あお)り、脅しているようなものです。

ですから、不登校やひきこもりの子どもをはじめ、悩みが解決できずに生活行 動の停滞を余儀なくされて子どもには、「父・母はまだまだ元気だから安心し なさい」「焦らずゆっくり考えていこう」というメッセージを送る必要があり ます。

何故なら、子どもは「この先、自立して生きて行けるだろうか」とか、「現在、 何もしないでいられるのは親の援助があるから」、だから「親にはずっと長生 きしてほしい」といつも将来への不安を募らせています。

そのような時、「元気な親」の存在は、将来に不安を持つ子どもに「安心感」 を与えます。
その安心感が「心のゆとり」になり、克服するためのパワーを生みます。

■夫婦仲良く、笑いと笑顔が絶えない家庭をつくる。

子どもの育て方で言い争いをしたり、子どもの前で互いに悪口(夫婦喧嘩)を言 い合う(面前 DV)を慎みます。

子どもにとって親は、「安心と安全」の対象であるとともに、「信頼される」存 在でなければなりません。

ちなみに、夫婦は他人の関係と言われますが、子どもにとって親子関係は、い つまでも切り離せない関係です。

ですから、仮に、夫婦関係が悪くても、子どもの前では努めて円満を装い続け ることが、親の「責任と義務」であることを忘れてはいけません。

夫婦喧嘩は、「仲直り」を前提に、くれぐれも子どものいない場所で冷静さを 失わないですることです。

■親子で「根拠のない不安」や「根拠のない義務感」を抱え、互いに葛藤してい るのが、子どもの問題を抱えている家庭の実態です。

もし、子どもが不登校やひきこもりになれば、親は何かと不安になるでしょう。 また、子どもは「学校や仕事に行かなければならない」という義務感を持つこ とで苦悩します。

しかし、ただ闇雲(やみくも)に不安や義務感を募らせるのではなく、そのような 時は、「何故、不安なんだろう」と不安になっている自分の気持ちを確認する 「心にゆとり」を持たなければなりません。

ひとつの方法として、「・・だから不安だ」とか、「・・ではないかと不安だ」 というように、不安の根拠を思い浮かぶまま、文字にしてみます。

義務感についても、「・・だからこうすべき」とか、「・・だからこうあるべき」 「・・だからこうしなければならない」というように、思い浮かぶまま、文字 にします。

そして、文字にした不安や義務感の理由を、「ほんとうにそうなのか」と疑っ てみたり、「どうすれば不安や義務感がなくなるのか」と落ち着いて、冷静に 考えてることが必要です。

ところで、「不安や義務感」が生まれる背景には、「何々したいができないかも しれない」という「ネガティブな思いや感情」が先にあるため、「・・だから不安だ」とか「・・だからこうすべき、あるべき、ねばならない」という義務 感が生まれます。

要するに、「不安や義務感」は、ネガティブな「思い込みや決めつけ、こだわ りやとらわれ感」から生まれています。

言い換えれば、「脳が勝手につくった妄想」であり、そこに現実的な根拠は、 ひとつもありません。

不安や義務感は、意図しないところで自然に湧き上がってくる感情ですから 自分でコントロールすることは容易なことではありません。

ですから、不安は不安のまま、あるがまま受け入れ、また、義務感は、ほんと うにそうなのかと、冷静さを持って疑ってみます。

■「困った子」とは、「困っている」子どものことです。

「あの子には困ってしまう」「まったく困った子なんだから」などの言葉を耳 にしますが、「困った子」とは、一体、どんな子どもなのでしょうか。

一般的に「困った子」とは、常識がないとか、悪さをするなど世間に迷惑をか けたり、親子関係では親の言うことを聞かない子のことを言っています。

しかし、こうした判断は、周りが一方的に「決めつけた判断」であり、「良い」 「悪い」の判断と同じく、自分にとって「都合が悪い」のが、「困った子」に なります。

本当に「困った子」とは、子ども自身が何かで「困っている」子どもです。

このように解釈すれば、悪さをする子どもは、何故、悪さをするのかとか、不 登校やひきこもりの子どもは、何が原因で、何に困っているのかと原因を明ら かにしようとする気持ちになり、そのことが問題を解決する答えを考えるキッ カケになります。

もともと私たち人間は、「困った子や人」として生まれているわけではありま せん。 まわりの人間が、自分の好みや価値観をはじめ、自分の都合で勝手に「困った子や人」であると「決めつけて」います。

■子どもは親を確認する。

子どもは、常に親が何を考え、どのように自分を見ているのかと、親の気持ち を知ろうとしたり、また親の言動が「本当」かどうか、を確認します。

親に対する「金銭的要求」もそのひとつです。 ひとつの例として、ある日突然、長い間不登校だった子どもから「学校に行く からお金をくれ」「お金をくれたら学校に行く」と言われた A、B 二組の家庭 の話をします。

当然のことながら、A さんも B さんも、何とか学校に行ってほしいと日頃か ら願っています。

A さんは、「待ってました」「お金で済むことなら」と子どもの要求に応じ、お 金を渡します。
すると子どもは、無言で受け取りました。

B さんは、登校に「お駄賃」は要らないと子どもの要求をきっぱり断ります。 子どもは、荒れて物を投げつけたり、足で壁を壊すなど暴力行為をします。

ところで、この二組の親のどちらの選択が正しいのでしょうか。 正解は、B さんの対応です。

A さんの心情も解かりますが、子どもは最初からお金が欲しくて言ったわけ ではありません。
おそらく子ども自身もまさか、親が本当にお金をくれるとは思ってもいなかっ たはずです。
「親の本音」を見た A さんの子どもはその後、不登校を続けます。

一方、B さんのところでは、子どもの荒れた行動は、すぐに収まります。 子どもが荒れたのは、お金をくれなかった親に対する怒りではありません。

最初から「お金はくれない」と解かっていながらも、「お金をくれ」と言った 手前、断られたことに対する「バツの悪さ」からのパフォーマンスです。

つまり「振り上げた拳(こぶし)」の落としどころが見つからなかったことによ る暴力行為です。

B さんの子どもはその後も不登校を続けますが、やがて自力更生を図ります。 当然、B さんは子どもに最大限のサポートします。

ところで、子どもがお金を要求する場合、ほんとうにお金がほしい場合とお金 の要求に対し、親がどのように「反応」するのか、探っている場合があります。

例えば、親が自分を「見捨てていないか」「気にかけているか」など日頃の不 安な気持ちを「お金」を媒介(ばいかい)にして、親の気持ちを確認している場合 があります。

また、お金に限らず、親に対し「無理難題」を押し付ける場合、ほとんどがこ のようなケースと考えて良いでしょう。

そもそも「無理難題」とは、始めから「無理」であり、「難題」ですから、応 えようがないにもかかわらず、その場しのぎの対応をして、結局、子どもに不 信感をもたれ、親子関係を悪くしています。

無理難題だと解ったら、「できない、無理」とはっきりと伝えます。 そうした対応が、無理難題を押し付けた人(子ども)に対する、「礼儀」であると 理解することです。

答えに窮(きゅう)して「少し、考えてみる」とか、「ちょっと待って」と問題を 先延ばししたり、曖昧(あいまい)な答えは禁物です。

■「金銭感覚、限度感覚」養う。

また、子どもにお金を与える場合は、使途や使用目的を聞いて、親が納得の上、 与えます。

その場合、金銭を与える時の言葉、「いつもはできないが、今回はしてあげる」 とか、「なんとかやりくりをしたからあげるよ」と言うように「金銭感覚」や 「限度感覚」を養う言葉を忘れず話します。

また、毎月決まった額の小遣いを与える場合は、早くも遅くもなく、約束した金額を、約束した日に渡します。

■子どもの「いい子」に安心しない。

親の言うことに逆らわず、何でも「はい、はい」と素直に聞く子どもは、「聞 き分けのいい子」として親にとって好ましい限りです。 しかし、子どもの「良い子」ぶりに安心してはいけません。

子どもに限らず、私たちが「良い子」でいる時、自ら納得してそうしている場 合はほんの僅かで、ほとんどは自らの「心を抑制」しています。 つまり、意に背いて「我慢」をしているということです。

ところで、他者からの強圧的な力によって、やむなく「良い子」を演じなけれ ばならない場合もありますが、ここで言う「良い子」とは、「自分を犠牲にし て『他者』のために生きる」というアディクション(悪い思考習慣)によって「良 い子」になっているため、常に「生きにくさ」や人との「関わりづらさ」を感 じています。

我が子の「良い子」に安心し、「良い子」の子どもの上で、どっぷりあぐら をかいている親」では困ります。

■「親の元気」が子どもに安心感を与えます。

世間には「父、母はいつまでも元気でいるとは限らない」と言って、子どもの 自立を促そうとする親がいます。

その意味は「親はいつまでも元気でいられないから、親が元気な内に早く一人 前になってほしい」と言うことでしょう。

しかし、現代の子どもはこの言葉に「はぁ~、なに?それって」という思いで 受け止めるかもしれません。

また、これに類似した言葉に「いざという時、どうするの」の「いざ」があり ます。
「いざ」とは重大な局面、一大事な時と解されますが、「いざ鎌倉」の時代な らともかく、いずれも子どもの不安を煽(あお)り、脅しているようなものです。

ですから、不登校やひきこもりの子どもをはじめ、悩みが解決できずに生活行 動の停滞を余儀なくされて子どもには、「父・母はまだまだ元気だから安心し なさい」「焦らずゆっくり考えていこう」というメッセージを送る必要があり ます。

何故なら、子どもは「この先、自立して生きて行けるだろうか」とか、「現在、 何もしないでいられるのは親の援助があるから」、だから「親にはずっと長生 きしてほしい」といつも将来への不安を募らせています。

そのような時、「元気な親」の存在は、将来に不安を持つ子どもに「安心感」 を与えます。
その安心感が「心のゆとり」になり、克服するためのパワーを生みます。

■夫婦仲良く、笑いと笑顔が絶えない家庭をつくる。

子どもの育て方で言い争いをしたり、子どもの前で互いに悪口(夫婦喧嘩)を言 い合う(面前 DV)を慎みます。

子どもにとって親は、「安心と安全」の対象であるとともに、「信頼される」存 在でなければなりません。

ちなみに、夫婦は他人の関係と言われますが、子どもにとって親子関係は、い つまでも切り離せない関係です。

ですから、仮に、夫婦関係が悪くても、子どもの前では努めて円満を装い続け ることが、親の「責任と義務」であることを忘れてはいけません。

夫婦喧嘩は、「仲直り」を前提に、くれぐれも子どものいない場所で冷静さを 失わないですることです。

■親子で「根拠のない不安」や「根拠のない義務感」を抱え、互いに葛藤してい るのが、子どもの問題を抱えている家庭の実態です。

もし、子どもが不登校やひきこもりになれば、親は何かと不安になるでしょう。 また、子どもは「学校や仕事に行かなければならない」という義務感を持つこ とで苦悩します。

しかし、ただ闇雲(やみくも)に不安や義務感を募らせるのではなく、そのような 時は、「何故、不安なんだろう」と不安になっている自分の気持ちを確認する 「心にゆとり」を持たなければなりません。

ひとつの方法として、「・・だから不安だ」とか、「・・ではないかと不安だ」 というように、不安の根拠を思い浮かぶまま、文字にしてみます。

義務感についても、「・・だからこうすべき」とか、「・・だからこうあるべき」 「・・だからこうしなければならない」というように、思い浮かぶまま、文字 にします。

そして、文字にした不安や義務感の理由を、「ほんとうにそうなのか」と疑っ てみたり、「どうすれば不安や義務感がなくなるのか」と落ち着いて、冷静に 考えてることが必要です。

ところで、「不安や義務感」が生まれる背景には、「何々したいができないかも しれない」という「ネガティブな思いや感情」が先にあるため、「・・だから不安だ」とか「・・だからこうすべき、あるべき、ねばならない」という義務 感が生まれます。

要するに、「不安や義務感」は、ネガティブな「思い込みや決めつけ、こだわ りやとらわれ感」から生まれています。

言い換えれば、「脳が勝手につくった妄想」であり、そこに現実的な根拠は、 ひとつもありません。

不安や義務感は、意図しないところで自然に湧き上がってくる感情ですから 自分でコントロールすることは容易なことではありません。

ですから、不安は不安のまま、あるがまま受け入れ、また、義務感は、ほんと うにそうなのかと、冷静さを持って疑ってみます。

■「困った子」とは、「困っている」子どものことです。

「あの子には困ってしまう」「まったく困った子なんだから」などの言葉を耳 にしますが、「困った子」とは、一体、どんな子どもなのでしょうか。

一般的に「困った子」とは、常識がないとか、悪さをするなど世間に迷惑をか けたり、親子関係では親の言うことを聞かない子のことを言っています。

しかし、こうした判断は、周りが一方的に「決めつけた判断」であり、「良い」 「悪い」の判断と同じく、自分にとって「都合が悪い」のが、「困った子」に なります。

本当に「困った子」とは、子ども自身が何かで「困っている」子どもです。

このように解釈すれば、悪さをする子どもは、何故、悪さをするのかとか、不 登校やひきこもりの子どもは、何が原因で、何に困っているのかと原因を明ら かにしようとする気持ちになり、そのことが問題を解決する答えを考えるキッ カケになります。

もともと私たち人間は、「困った子や人」として生まれているわけではありま せん。 まわりの人間が、自分の好みや価値観をはじめ、自分の都合で勝手に「困った子や人」であると「決めつけて」います。

■子どもは親を確認する。

子どもは、常に親が何を考え、どのように自分を見ているのかと、親の気持ち を知ろうとしたり、また親の言動が「本当」かどうか、を確認します。

親に対する「金銭的要求」もそのひとつです。 ひとつの例として、ある日突然、長い間不登校だった子どもから「学校に行く からお金をくれ」「お金をくれたら学校に行く」と言われた A、B 二組の家庭 の話をします。

当然のことながら、A さんも B さんも、何とか学校に行ってほしいと日頃か ら願っています。

A さんは、「待ってました」「お金で済むことなら」と子どもの要求に応じ、お 金を渡します。
すると子どもは、無言で受け取りました。

B さんは、登校に「お駄賃」は要らないと子どもの要求をきっぱり断ります。 子どもは、荒れて物を投げつけたり、足で壁を壊すなど暴力行為をします。

ところで、この二組の親のどちらの選択が正しいのでしょうか。 正解は、B さんの対応です。

A さんの心情も解かりますが、子どもは最初からお金が欲しくて言ったわけ ではありません。
おそらく子ども自身もまさか、親が本当にお金をくれるとは思ってもいなかっ たはずです。
「親の本音」を見た A さんの子どもはその後、不登校を続けます。

一方、B さんのところでは、子どもの荒れた行動は、すぐに収まります。 子どもが荒れたのは、お金をくれなかった親に対する怒りではありません。

最初から「お金はくれない」と解かっていながらも、「お金をくれ」と言った 手前、断られたことに対する「バツの悪さ」からのパフォーマンスです。

つまり「振り上げた拳(こぶし)」の落としどころが見つからなかったことによ る暴力行為です。

B さんの子どもはその後も不登校を続けますが、やがて自力更生を図ります。 当然、B さんは子どもに最大限のサポートします。

ところで、子どもがお金を要求する場合、ほんとうにお金がほしい場合とお金 の要求に対し、親がどのように「反応」するのか、探っている場合があります。

例えば、親が自分を「見捨てていないか」「気にかけているか」など日頃の不 安な気持ちを「お金」を媒介(ばいかい)にして、親の気持ちを確認している場合 があります。

また、お金に限らず、親に対し「無理難題」を押し付ける場合、ほとんどがこ のようなケースと考えて良いでしょう。

そもそも「無理難題」とは、始めから「無理」であり、「難題」ですから、応 えようがないにもかかわらず、その場しのぎの対応をして、結局、子どもに不 信感をもたれ、親子関係を悪くしています。

無理難題だと解ったら、「できない、無理」とはっきりと伝えます。 そうした対応が、無理難題を押し付けた人(子ども)に対する、「礼儀」であると 理解することです。

答えに窮(きゅう)して「少し、考えてみる」とか、「ちょっと待って」と問題を 先延ばししたり、曖昧(あいまい)な答えは禁物です。

■「金銭感覚、限度感覚」養う。

また、子どもにお金を与える場合は、使途や使用目的を聞いて、親が納得の上、 与えます。

その場合、金銭を与える時の言葉、「いつもはできないが、今回はしてあげる」 とか、「なんとかやりくりをしたからあげるよ」と言うように「金銭感覚」や 「限度感覚」を養う言葉を忘れず話します。

また、毎月決まった額の小遣いを与える場合は、早くも遅くもなく、約束した金額を、約束した日に渡します。

■子どもの「いい子」に安心しない。

親の言うことに逆らわず、何でも「はい、はい」と素直に聞く子どもは、「聞 き分けのいい子」として親にとって好ましい限りです。 しかし、子どもの「良い子」ぶりに安心してはいけません。

子どもに限らず、私たちが「良い子」でいる時、自ら納得してそうしている場 合はほんの僅かで、ほとんどは自らの「心を抑制」しています。 つまり、意に背いて「我慢」をしているということです。

ところで、他者からの強圧的な力によって、やむなく「良い子」を演じなけれ ばならない場合もありますが、ここで言う「良い子」とは、「自分を犠牲にし て『他者』のために生きる」というアディクション(悪い思考習慣)によって「良 い子」になっているため、常に「生きにくさ」や人との「関わりづらさ」を感 じています。

我が子の「良い子」に安心し、「良い子」の子どもの上で、どっぷりあぐら をかいている親」では困ります。

代表・矢吹孝志(やぶきたかし) 福島県生まれ

*MHPC代表、健康・教育カウンセラー
*レジリエンスセラピスト
*公立学校共済組合福島県支部「こころのケア事業」
 ・委託カウンセラー
*ティーペック(株)東京/大阪 ・委託カウンセラー
*システムブレーン/ライセンスアカデミー(講師派遣会社)
 ・登録講師
*NPO法人・日本フリースクール協会理事

書籍案内

「子どもは親を選べない」
幻冬舎ルネッサンス

「心の病はこうして直す」
文芸社

「余意の生き方」
現代書林

MHPCマインドヘルスパーソナリティセンター
〒963-8813 福島県郡山市芳賀2丁目21-10
TEL 024-943-1678 FAX 024-943-1686

Copyright(C) 2016  MHPC All Rights Reserved