何ごとにも「時間制限」があります。
悩みが解決できず、問題が長期化すると様々な弊害が起きてきます。
生活行動の後退、停滞は、同世代や同域仲間との生活ギャップを生み、そのことが、皆から置いてきぼりになるのではないかという「置き去り感」やこのままでは皆や家族、世間から見捨てられるのではないかという「見捨てられ感」をはじめ、「外れている」のではないかという「ズレ感」や無駄な時間を過ごしているのではないかという「無駄感」、そして、将来への「不安や焦り」を抱えます。
加えて、「何て自分はダメなんだろう」とか「こんな自分は生きていても価値がない」など自己否定や嫌悪感、自己卑下や自罰感を募らせ、健康に生きるために不可欠な『自己肯定観』を失くしてしまいます。
さらに、そうした苦しさやつらさから逃れるため、やがては自分に都合の良い「解釈」をして、とってつけたような「言い訳」をしたり、現状を正当化して自己慰めをしたり、自ら納得するために「論理をすり替える」という「自分の世界でしか通用しない考えや論理に基づいて行動をする」セルフサービングバイアスや失敗したり、うまくいかなかった時の「言い訳」を先に用意して、自分が傷つくことを事前に回避するセルフハンディキャッピングなど、いづれも問題の本質と正面から向き合わず、現実に背を向け、かわす、逃げる、避けるというアデックション(依存など悪い思考習慣)を学習します。
経験的に申し上げれば、長期化や深刻化した「心の病の患者」をはじめ、不登校やひきこもり、さらに「生きにくさ」や人間関係の「関わりづらさ」を抱え、日常生活の停滞を余儀なくされている人は、申し合わせたようにこのことを学習している「現実」があり、それが問題解決を一層送らせています。