15.「不安や恐怖、迷い」を解決するために。

❖「不安や恐怖、迷い」を解決するために。

人生に、「不安」や「恐怖」、「迷い」という思いや感情はつきものです。
私たちは、「この先、どうなるのだろうか」と不安を持つと、怖いという恐怖を感じたり、 「これで良いのだろうか」と迷います。

そこで、私たちが日頃感じている「不安や恐怖、迷い」という思いや感情にどのように 対処すれば良いのか、考えてみましょう。

まず、不安に関して言えば、「何故、不安なのか」と不安の原因を明らかにしようとし ても「これだ!!」という、はっきりした原因が解らないとか、不安の対象が何なのかを探 (さが)そうとしても見つからない、というのが不安の最(さい)たる特徴です。

恐怖は「高いところが怖い」とか「蛇や虫が怖い」、会議や宴会など、「人が集まる場所 が怖い」というように、恐怖の対象となる「物や状況」がはっきりしています。
そのため、「不安と恐怖」に対する対処の仕方は、根本的に違います。

恐怖は、対象となる「物や状況」がはっきりしているため、その対象から逃げるとか避 ける、または対決することで対処できますが、不安は「対象となるもの」がはっきりして いないため、そうはいきません、というより、不安を解消するための対処法がないと思っ た方が「結果として対処している」ことになります。

何とも分かりにくい話ですが、要(よう)するに、不安をなくそうとすればするほど、いろ んな思いが浮かび上がって、更(さら)に不安が大きくなるため、難(むずか)しいかもしれま せんが、不安をなくそうとせず、「今、自分は不安なんだ」とか、「不安を抱えている」「不 安で気持ちが落ち着かない」と不安の中にいる自分を意識的に自覚します。

そして、出来ることなら、「こんなに苦しい不安の中で耐えている自分は凄(すご)い」と か、「自分は捨てたものではない」「不安だから慎重になって、戸惑いを感じている」と自 分を客観的かつ、肯定的に捉(とら)えて自分に語りかけることができれば最高です。

自分だけが不安を抱えていると思うから、不安が増すのであって、現実は、不安を抱え ながら生きているのは、自分だけではなく、世の中すべての人、つまり『みんな』が不安 を抱えながら生きています。

ですから、「赤信号、『みんな』で渡れば怖くない」(ビートたけし)ように、不安な時は、 「自分だけ不安で孤立している」と思わないことが、最も重要なポイントです。

地震の時もそうです。起きた瞬間は気が動転(どうてん)して、不安でたまならい時でも、揺(ゆ)れが少し収まり、隣(となり)、近所(きんじょ)の人の声を聞いて、「自分だけではない、 『みんな』も地震に遭(あ)っているんだ」と安心感を抱いたような経験は、誰にでもあるは ずです。

ところで、欧米の「皆(みな)・みんな」の言葉に対する感じ方や解釈は知りませんが、我 が国の「皆(みな)・みんな」の言葉の持つ意味を私見(しけん)を交えて説明すると、「みんな」 という言葉には、ふたつの意味があります。

ひとつは、先の言葉の「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」ように「絶対安心」とい う意味を持ちます。

この「絶対安心」の背景にあるのは、私たちの本能のひとつである「集団欲求」、つま り、「群れる」ことで安心する=「みんな」と一緒なら安心する、というところからきてい ることは、容易に想像できます。

では、この「群れる」ことで安心するとか、「みんな」と一緒なら安心するということ は、反対に「群れない」とか、「みんな」と一緒でない時は、「不安」になるということ言 っています。
一匹狼(いっぴきおおかみ)的な生き方や「孤独を好む」人のように、「確固(かっこ)たる目的 や信念」を持って生きている人を除(のぞ)けば、それこそ、「みんな」不安になります。

ところで、私たちの日常生活において、この「みんなの心理」はさまざまな場面で、ま た、さまざまな「かたち」ではたらいています。

「みんな」と同じことをすることで、「みんな」からの支持や評価を得たいとか、反対に 「みんな」と違うことで「自分の存在」を顕示(けんじ)したいなど、一人ひとりの生活の有 様(ありよう)は違っても、その複線(ふくせん)には「みんな」を意識する「みんなの心理」が 並走(へいそう)しています。

ですから、仮に不安であっても、不安な思いをあるがまま受け入れ、いくら苦しくても 他の「みんな」がやっているように「日頃の当たり前のことを、当たり前にやろう!!」と 起きる時間に起き、食べる時間に食べるとか、身近なところの簡単な掃除(そうじ)や整理を するなど、基本的な生活を崩(くず)さないことが、最も有効な「不安対策」であると言えま しょう。

さらに、「みんな」という言葉には「弁解無用」、つまり、「言い訳や説明は聞きたくない !!」とか、「口答(くちごた)えをするな!!」など有無(うむ)を言わさず「聞く耳、持たず」と いう厳(きび)しい意味があります。

みんながやっているのに、何故、できないのか!!」とか、「みんなの意見がそうなら、 その通りにしよう」「みんながやっていることに間違いはない」などの言葉は、身近なと ころでよく耳にします。

また、「みんな」という言葉は、「集団心理」や「群衆心理(ぐんしゅうしんり)」を表(あらわ) す言葉でもあり、良い意味で使われているというより、近年では、ロシアのウクライナへ の軍事進攻や、これまでの世界各地での戦争や紛争をはじめ、集団による「いじめ」問題 などは、その背景に「みんなの心理」が巧(たく)みにはたらいています。

ですから、私たちが「皆・みんな」という言葉を口にする時は、このように、「絶対安 心」と「弁解無用」のふたつの厳(きび)しい意味を持つ言葉であることを十分理解して、話 さなければなりません。

ちなみに、「不安や恐怖」を克服する時、参考になるのが、さまざまな神経症の治療や対 処法で有名な「森田療法」があります。

私に知るところでは、不安に対しては、不安を無理になくそうとせず、「不安は不安の まま」受け入れる「不安共存(ふあんきょうぞん)」という対処法や、恐怖には「恐怖突入(きょ うふとつにゅう)」という、何が恐怖なのか、その対象をはっきりさせて正面から向き合うと いう対処法で多くの治療効果を上げています。

不安を抱えている時は、一人で悩まず、専門の相談機関や信頼できる人に、不安な思い を打ち明けて相談することが大事です。
「困った時は、お互いさま」、余計なことは考えず、速やかに相談することを勧(すす)め ます。

ところで、「不安は心の安全装置」と言われ、不安があるから私たちは安全に生きてい くことができます。

真っ赤に燃えているストーブに直接、手を当てる人は、(おそらくいないでしょうが、も しいたとしたら)ストーブに不安を感じない人です。
もし、不安を感じないで直接、ストーブに触(さわ)ったとしたら、やけどを負って取り返 しのつかないことになるでしょう。

ですから、ほとんどの人は真っ赤に燃えているストーブを前にして、「熱くないだろう か」とか、「触っても大丈夫だろうか」と安全を確認します。

その安全を確認する根拠になるのが「不安」な思いや感情です。

確かに、私たちにとって、「不安」は決して快いものではありませんが、しかし、このよ うに不安に対する「見方や捉え方」を変えることで、リスクやクライシスと言われる「危 険や危機」を事前に回避(かいひ)することができ、「安全と安心」を得ることができます。

日々の生活で「不安や恐怖」を感じたら、闇雲(やみくも)に動揺(どうよう)するのではなく、 「何故、不安や恐怖、迷い」が生じているのだろうと冷静に考えることで、先のストーブ の話のように、私たちの生き方に「安全と安心」を与えるという、プラスの意味や価値を 見出すことができます。

そして、このように考えることで、今まで不安や恐怖を敵視(てきし)し、避けようとして いたことから、あるがままに受け入れることができるようになります。

ところで、人にはいろんな考え方があるが、不安を抱えるとほとんどの人は「不安があ るから、動けない」とか、「不安で何もできない」と言います。

しかし一方では、「不安だからこそ、○○をする」とか、「不安があるから○○をやらな ければならない」と奮起(ふんき)する人がいます。

この違いは、性格的な要因もあるでしょうが、不安でも動ける人には、「不安を抱えな がらも、あの時は頑張(がんば)り通した」とか、「不安の中でも○○を成(な)し遂(と)げた」 など、過去に不安を乗り越えたという体験や経験があります。

誰もが過去に不安を抱えた時、不安でも「動いたとか、動かなかった」のどちらかを選 択したわけで、動かなかったため、その後、二進(にっち)も三進(さっちも)もいかなくなった とか、不安に耐えながらもやるべきことをやったため、何とか切り抜けたということは、 自(おの)ずと解ります。
そうした体験や経験が、後で不安を抱えた時の対応を決めるポイントになります。

さらに、「迷い」は、「どっちがいいかな?」「どっちにしようか」とふたつ以上のものご とや出来事に対する「選択の戸惑(とまど)い」ですから、迷いが生じたらいつまでも逡巡(し ゅんじゅん)しないで、速やかにどちらか一方を選ぶことが、「迷い」をなくす基本的な対処 法です。

ここで「迷う」ことを解かりやすく説明すると、公園などにある遊具(ゆうぐ)の「シーソ ー」に、体重が同じくらいの A と B が乗り、バランスが保たれ、どちらが軽くてどちら が重いのか、甲乙(こうおつ)つけがたい状態のことを言っているわけで、シーソーならバラ ンス良く楽しく遊べるでしょうが、「迷いごと」となると、はたしてどちらの体重が重い のか、それこそ大いに迷います。

しかし、迷いを克服する場合に心得(こころえ)ることは、どちらを選んでも「正誤(せいご) の確立」は 50 パーセント(半分半分)であるということ、つまり、迷う対象が A と B で ある時、A を選んでも B を選んでも 100 パーセント正しい選択ではない、ということを 忘れてはいけません。

もし、「迷い」が生じた時は、冷静な気持ちで、「何に迷っているのか」とか、「どうした いのか」など「迷いのポイント」を明らかにすると同時に、A ないし B を選択した後の結 果を予測することも忘れてはいけません。

予測ができれば、どちらを選んでもその後の対策を事前に準備することができます。 つまり、初めから 100 パーセント正しい選択をしたわけではないので、誤りやマイナス の要因=リスクに対する対策や心構えが出来る、ということです。

備(そな)えがあれば、 憂(うれ)いなし。 安全、安心、平穏(へいおん)に、 暮らすためには日頃から、 あらゆることを想定し、 あらゆる「備え」をしていれば、 あらゆる事態に適切に、 あらゆる対応できるでしょう。

いわゆる「備え」というものは、 「もしも」のことを考えて、 準備を施(ほどこ)すことだから、 「当(あ)たり、外(はず)れ」があるのです。

競輪、競馬に宝くじ、 「当(あ)たり」を求めて、 皆(みな)が買う。 「地震、雷(かみなり)、火事、水害」、 「外(はず)れ」を願って、備(そな)えます。 「備え」というのはこのように、 当たっても良し、外れても、 これまた良しの 「優(すぐ)れもの!!」

「せっかく、準備をしてたのに」、 予想が外れて悔(く)やしがり、 「準備をしていて良かった」と、 予想が当たって安堵(あんど)する、 悲喜(ひき)こもごもの光景が、 いつも「備え」に、つきまとう。 「備える」ことに、 「損(そん)得(とく)」の、 「かんじょう(感情.勘定)入れてはいけません。

物の「備え」も大事だが、 「心構(こころがま)え」と言うように、 常に結果を予測する、 「心の備(そな)え」を万全(ばんぜん)に、 いつも明るく生きてれば、 「きっと、おそらく」、いつの日も、 「あなた」の人生、 「大当(おおあ)たり!!」

もう少し、「迷い」について説明すると、ある出発地から目的地へ向かう時、行く先の道が A と B のふたつの道に分かれているとしましょう。

その時の道の状況は、A という道は近道(プラス)だが手前に川があるため、川の中を歩 いて渡らなければならない、すると足が水に濡(ぬ)れるという(マイナス)の側面があるこ とが解ります。

一方、B という道は、水に濡れることはない(プラス)が、遠回(とおまわ)りをするから、 時間がかかるという(マイナス)の側面があります。
その Y 字路(わいじろ)に立って「どっちがいいかな?」「どっちにしようか」と考え込ん でいる状態が、「迷う」という「選択に戸惑う」時間です。

もし A という道を選ぶ時は「着替え」を準備するとか、B という道の場合は、遠回り で足が疲れるから、「湿布薬」を持参して行きましょう。

このように、私たちにとってふたつ以上の「迷う対象」には、それぞれ内容や意味が違 う「プラスの側面」と「マイナスの側面」があるため、そのことを理解して速やかに、ど ちらか一方を選ぶことです。

ところで、私たちは毎日、朝起きてから寝る時まで、ヘアスタイルや身につける衣装を はじめ、出かける時のバスか電車か、仕事場や会社内での出来事の中で、さらに、ラーメ ンにするかパンにするか昼食のメニューや醤油(しょうゆ)やソースのどちらを使うかなど 調味料に至るまで、「どっちがいいかな?」「どっちにしようか」と常に「迷いの中」で生 活しています。

しかし、このことを自覚している人は少ないと思いますが、「迷い」の大小や、「深刻さ」 は関係なく、仮に迷うことがあってもいつまでも迷い続けるのではなく、どちらかを速や かに選択することが大事です。

くれぐれも「迷い続ける」という、「行動の停滞」を起こしてはいけません。 但(ただ)し、どちらを選択するにしても、その後の結果を予測して、「備(そな)えあれば、患 (うれ)いなし」の状態でいなければなりません。

❖「不安や恐怖、迷い」を解決するために。

人生に、「不安」や「恐怖」、「迷い」という思いや感情はつきものです。
私たちは、「この先、どうなるのだろうか」と不安を持つと、怖いという恐怖を感じたり、 「これで良いのだろうか」と迷います。

そこで、私たちが日頃感じている「不安や恐怖、迷い」という思いや感情にどのように 対処すれば良いのか、考えてみましょう。

まず、不安に関して言えば、「何故、不安なのか」と不安の原因を明らかにしようとし ても「これだ!!」という、はっきりした原因が解らないとか、不安の対象が何なのかを探 (さが)そうとしても見つからない、というのが不安の最(さい)たる特徴です。

恐怖は「高いところが怖い」とか「蛇や虫が怖い」、会議や宴会など、「人が集まる場所 が怖い」というように、恐怖の対象となる「物や状況」がはっきりしています。
そのため、「不安と恐怖」に対する対処の仕方は、根本的に違います。

恐怖は、対象となる「物や状況」がはっきりしているため、その対象から逃げるとか避 ける、または対決することで対処できますが、不安は「対象となるもの」がはっきりして いないため、そうはいきません、というより、不安を解消するための対処法がないと思っ た方が「結果として対処している」ことになります。

何とも分かりにくい話ですが、要(よう)するに、不安をなくそうとすればするほど、いろ んな思いが浮かび上がって、更(さら)に不安が大きくなるため、難(むずか)しいかもしれま せんが、不安をなくそうとせず、「今、自分は不安なんだ」とか、「不安を抱えている」「不 安で気持ちが落ち着かない」と不安の中にいる自分を意識的に自覚します。

そして、出来ることなら、「こんなに苦しい不安の中で耐えている自分は凄(すご)い」と か、「自分は捨てたものではない」「不安だから慎重になって、戸惑いを感じている」と自 分を客観的かつ、肯定的に捉(とら)えて自分に語りかけることができれば最高です。

自分だけが不安を抱えていると思うから、不安が増すのであって、現実は、不安を抱え ながら生きているのは、自分だけではなく、世の中すべての人、つまり『みんな』が不安 を抱えながら生きています。

ですから、「赤信号、『みんな』で渡れば怖くない」(ビートたけし)ように、不安な時は、 「自分だけ不安で孤立している」と思わないことが、最も重要なポイントです。

地震の時もそうです。起きた瞬間は気が動転(どうてん)して、不安でたまならい時でも、揺(ゆ)れが少し収まり、隣(となり)、近所(きんじょ)の人の声を聞いて、「自分だけではない、 『みんな』も地震に遭(あ)っているんだ」と安心感を抱いたような経験は、誰にでもあるは ずです。

ところで、欧米の「皆(みな)・みんな」の言葉に対する感じ方や解釈は知りませんが、我 が国の「皆(みな)・みんな」の言葉の持つ意味を私見(しけん)を交えて説明すると、「みんな」 という言葉には、ふたつの意味があります。

ひとつは、先の言葉の「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」ように「絶対安心」とい う意味を持ちます。

この「絶対安心」の背景にあるのは、私たちの本能のひとつである「集団欲求」、つま り、「群れる」ことで安心する=「みんな」と一緒なら安心する、というところからきてい ることは、容易に想像できます。

では、この「群れる」ことで安心するとか、「みんな」と一緒なら安心するということ は、反対に「群れない」とか、「みんな」と一緒でない時は、「不安」になるということ言 っています。
一匹狼(いっぴきおおかみ)的な生き方や「孤独を好む」人のように、「確固(かっこ)たる目的 や信念」を持って生きている人を除(のぞ)けば、それこそ、「みんな」不安になります。

ところで、私たちの日常生活において、この「みんなの心理」はさまざまな場面で、ま た、さまざまな「かたち」ではたらいています。

「みんな」と同じことをすることで、「みんな」からの支持や評価を得たいとか、反対に 「みんな」と違うことで「自分の存在」を顕示(けんじ)したいなど、一人ひとりの生活の有 様(ありよう)は違っても、その複線(ふくせん)には「みんな」を意識する「みんなの心理」が 並走(へいそう)しています。

ですから、仮に不安であっても、不安な思いをあるがまま受け入れ、いくら苦しくても 他の「みんな」がやっているように「日頃の当たり前のことを、当たり前にやろう!!」と 起きる時間に起き、食べる時間に食べるとか、身近なところの簡単な掃除(そうじ)や整理を するなど、基本的な生活を崩(くず)さないことが、最も有効な「不安対策」であると言えま しょう。

さらに、「みんな」という言葉には「弁解無用」、つまり、「言い訳や説明は聞きたくない !!」とか、「口答(くちごた)えをするな!!」など有無(うむ)を言わさず「聞く耳、持たず」と いう厳(きび)しい意味があります。

みんながやっているのに、何故、できないのか!!」とか、「みんなの意見がそうなら、 その通りにしよう」「みんながやっていることに間違いはない」などの言葉は、身近なと ころでよく耳にします。

また、「みんな」という言葉は、「集団心理」や「群衆心理(ぐんしゅうしんり)」を表(あらわ) す言葉でもあり、良い意味で使われているというより、近年では、ロシアのウクライナへ の軍事進攻や、これまでの世界各地での戦争や紛争をはじめ、集団による「いじめ」問題 などは、その背景に「みんなの心理」が巧(たく)みにはたらいています。

ですから、私たちが「皆・みんな」という言葉を口にする時は、このように、「絶対安 心」と「弁解無用」のふたつの厳(きび)しい意味を持つ言葉であることを十分理解して、話 さなければなりません。

ちなみに、「不安や恐怖」を克服する時、参考になるのが、さまざまな神経症の治療や対 処法で有名な「森田療法」があります。

私に知るところでは、不安に対しては、不安を無理になくそうとせず、「不安は不安の まま」受け入れる「不安共存(ふあんきょうぞん)」という対処法や、恐怖には「恐怖突入(きょ うふとつにゅう)」という、何が恐怖なのか、その対象をはっきりさせて正面から向き合うと いう対処法で多くの治療効果を上げています。

不安を抱えている時は、一人で悩まず、専門の相談機関や信頼できる人に、不安な思い を打ち明けて相談することが大事です。
「困った時は、お互いさま」、余計なことは考えず、速やかに相談することを勧(すす)め ます。

ところで、「不安は心の安全装置」と言われ、不安があるから私たちは安全に生きてい くことができます。

真っ赤に燃えているストーブに直接、手を当てる人は、(おそらくいないでしょうが、も しいたとしたら)ストーブに不安を感じない人です。
もし、不安を感じないで直接、ストーブに触(さわ)ったとしたら、やけどを負って取り返 しのつかないことになるでしょう。

ですから、ほとんどの人は真っ赤に燃えているストーブを前にして、「熱くないだろう か」とか、「触っても大丈夫だろうか」と安全を確認します。

その安全を確認する根拠になるのが「不安」な思いや感情です。

確かに、私たちにとって、「不安」は決して快いものではありませんが、しかし、このよ うに不安に対する「見方や捉え方」を変えることで、リスクやクライシスと言われる「危 険や危機」を事前に回避(かいひ)することができ、「安全と安心」を得ることができます。

日々の生活で「不安や恐怖」を感じたら、闇雲(やみくも)に動揺(どうよう)するのではなく、 「何故、不安や恐怖、迷い」が生じているのだろうと冷静に考えることで、先のストーブ の話のように、私たちの生き方に「安全と安心」を与えるという、プラスの意味や価値を 見出すことができます。

そして、このように考えることで、今まで不安や恐怖を敵視(てきし)し、避けようとして いたことから、あるがままに受け入れることができるようになります。

ところで、人にはいろんな考え方があるが、不安を抱えるとほとんどの人は「不安があ るから、動けない」とか、「不安で何もできない」と言います。

しかし一方では、「不安だからこそ、○○をする」とか、「不安があるから○○をやらな ければならない」と奮起(ふんき)する人がいます。

この違いは、性格的な要因もあるでしょうが、不安でも動ける人には、「不安を抱えな がらも、あの時は頑張(がんば)り通した」とか、「不安の中でも○○を成(な)し遂(と)げた」 など、過去に不安を乗り越えたという体験や経験があります。

誰もが過去に不安を抱えた時、不安でも「動いたとか、動かなかった」のどちらかを選 択したわけで、動かなかったため、その後、二進(にっち)も三進(さっちも)もいかなくなった とか、不安に耐えながらもやるべきことをやったため、何とか切り抜けたということは、 自(おの)ずと解ります。
そうした体験や経験が、後で不安を抱えた時の対応を決めるポイントになります。

さらに、「迷い」は、「どっちがいいかな?」「どっちにしようか」とふたつ以上のものご とや出来事に対する「選択の戸惑(とまど)い」ですから、迷いが生じたらいつまでも逡巡(し ゅんじゅん)しないで、速やかにどちらか一方を選ぶことが、「迷い」をなくす基本的な対処 法です。

ここで「迷う」ことを解かりやすく説明すると、公園などにある遊具(ゆうぐ)の「シーソ ー」に、体重が同じくらいの A と B が乗り、バランスが保たれ、どちらが軽くてどちら が重いのか、甲乙(こうおつ)つけがたい状態のことを言っているわけで、シーソーならバラ ンス良く楽しく遊べるでしょうが、「迷いごと」となると、はたしてどちらの体重が重い のか、それこそ大いに迷います。

しかし、迷いを克服する場合に心得(こころえ)ることは、どちらを選んでも「正誤(せいご) の確立」は 50 パーセント(半分半分)であるということ、つまり、迷う対象が A と B で ある時、A を選んでも B を選んでも 100 パーセント正しい選択ではない、ということを 忘れてはいけません。

もし、「迷い」が生じた時は、冷静な気持ちで、「何に迷っているのか」とか、「どうした いのか」など「迷いのポイント」を明らかにすると同時に、A ないし B を選択した後の結 果を予測することも忘れてはいけません。

予測ができれば、どちらを選んでもその後の対策を事前に準備することができます。 つまり、初めから 100 パーセント正しい選択をしたわけではないので、誤りやマイナス の要因=リスクに対する対策や心構えが出来る、ということです。

備(そな)えがあれば、 憂(うれ)いなし。 安全、安心、平穏(へいおん)に、 暮らすためには日頃から、 あらゆることを想定し、 あらゆる「備え」をしていれば、 あらゆる事態に適切に、 あらゆる対応できるでしょう。

いわゆる「備え」というものは、 「もしも」のことを考えて、 準備を施(ほどこ)すことだから、 「当(あ)たり、外(はず)れ」があるのです。

競輪、競馬に宝くじ、 「当(あ)たり」を求めて、 皆(みな)が買う。 「地震、雷(かみなり)、火事、水害」、 「外(はず)れ」を願って、備(そな)えます。 「備え」というのはこのように、 当たっても良し、外れても、 これまた良しの 「優(すぐ)れもの!!」

「せっかく、準備をしてたのに」、 予想が外れて悔(く)やしがり、 「準備をしていて良かった」と、 予想が当たって安堵(あんど)する、 悲喜(ひき)こもごもの光景が、 いつも「備え」に、つきまとう。 「備える」ことに、 「損(そん)得(とく)」の、 「かんじょう(感情.勘定)入れてはいけません。

物の「備え」も大事だが、 「心構(こころがま)え」と言うように、 常に結果を予測する、 「心の備(そな)え」を万全(ばんぜん)に、 いつも明るく生きてれば、 「きっと、おそらく」、いつの日も、 「あなた」の人生、 「大当(おおあ)たり!!」

もう少し、「迷い」について説明すると、ある出発地から目的地へ向かう時、行く先の道が A と B のふたつの道に分かれているとしましょう。

その時の道の状況は、A という道は近道(プラス)だが手前に川があるため、川の中を歩 いて渡らなければならない、すると足が水に濡(ぬ)れるという(マイナス)の側面があるこ とが解ります。

一方、B という道は、水に濡れることはない(プラス)が、遠回(とおまわ)りをするから、 時間がかかるという(マイナス)の側面があります。
その Y 字路(わいじろ)に立って「どっちがいいかな?」「どっちにしようか」と考え込ん でいる状態が、「迷う」という「選択に戸惑う」時間です。

もし A という道を選ぶ時は「着替え」を準備するとか、B という道の場合は、遠回り で足が疲れるから、「湿布薬」を持参して行きましょう。

このように、私たちにとってふたつ以上の「迷う対象」には、それぞれ内容や意味が違 う「プラスの側面」と「マイナスの側面」があるため、そのことを理解して速やかに、ど ちらか一方を選ぶことです。

ところで、私たちは毎日、朝起きてから寝る時まで、ヘアスタイルや身につける衣装を はじめ、出かける時のバスか電車か、仕事場や会社内での出来事の中で、さらに、ラーメ ンにするかパンにするか昼食のメニューや醤油(しょうゆ)やソースのどちらを使うかなど 調味料に至るまで、「どっちがいいかな?」「どっちにしようか」と常に「迷いの中」で生 活しています。

しかし、このことを自覚している人は少ないと思いますが、「迷い」の大小や、「深刻さ」 は関係なく、仮に迷うことがあってもいつまでも迷い続けるのではなく、どちらかを速や かに選択することが大事です。

くれぐれも「迷い続ける」という、「行動の停滞」を起こしてはいけません。 但(ただ)し、どちらを選択するにしても、その後の結果を予測して、「備(そな)えあれば、患 (うれ)いなし」の状態でいなければなりません。

MHPC