14.人の悩みに「説得や慰め、激励や叱責」は
百害あって一 利なし。

❖人の悩みに「説得(せっとく)や慰(なぐさ)め、激励(げきれい)や叱責(しっせき)」は百害あって一 利なし。

世間では、悩んでいる人に対して、「つらいけど、がんばってね」とか、「いちいち気に しない方がいいよ」などと説得したり、慰めや励ましの言葉をかけたり、「過(す)ぎてしま ったことをいつまで悩んでいるの!!」と叱責するような言葉で悩みを克服させようとしま すが、あまり効果はありません。

それどころか、「悩む本人」を心理的に追い詰めたり、孤立させて、自死(じし)など最悪 なケースに追い込む恐れがあります。

つまり、「説得や慰め、激励や叱責」というコミュニケーションスキルは、他人に対して は勿論のこと、自分に対してもしてはいけません。
その理由は、悩みが解決できず、苦しい時間が長く続くと、私たちは無意識に自分に対 し「説得や慰め、激励や叱責」をします。

具体的に説明すると、自分に対する説得とは、とってつけたような「言い訳」をしたり、 論理をすり替えることで苦しさやつらさから逃(のが)れようとすることです。

実際にあった例として、長期のひきこもり生活から脱却できないでいるある男性が、自 らのひきこもり生活を「自分なりに納得する」または、自分なりの考えで心的葛藤の「合 理化を図る」ため、お寺のお坊さんに例え「自分は、ひきこもりではない」「お寺のお坊さ んが修行しているように、自分は自宅で修行している」と、「ひきこもりの生活」を「修 行」にすり替え、それを言い訳にして、ひきこもりの苦しさから解放されようとします。

また、事実、負けたのに「負けてやった」とか、「○○してやった」と主客転倒(しゅきゃ くてんとう)するような強がりを言うのも「自己説得」のひとつです。

このような屁理屈(へりくつ)は、自己説得の極端な例ですが、私たちは日々の生活で、少 なからずこれに似たようなことを気づかずにやっています。

また、自分に対する慰めや激励については、期待した結果が得られなかったり、思い通 りにいかない時、「怠(なま)けていたわけではない、一生懸命まじめにやった結果だ」と思 い込もうとしたり、営業成績の悪い営業マン同士が、扱う商品が売れない理由を「景気が 悪いから仕方ないよ」と社会情勢のせいにしたり、他社商品と比べて自社商品のマイナス 面を売れない理由にして、互いに「傷のなめ合い」をしているようなケースです。

さらに、自分に対する叱責とは、「何て自分はダメなんだろう」とか、「こんな自分は価値がない」と自分を否定したり、自責感や自罰感を持つことです。
いずれも、問題の本質と正面から向き合わず、「逃げる、かわす、避ける」という生き方が根底にあるため、問題を解決するどころか、反対に余計な悩みを抱え、停滞した生活を 送っています。

もし、「説得をしたい、慰め、激励をしてあげたい、叱りたい」と思う時は、話の語尾に 「私は、こう思うがどう思う」とか、「いかかでしょうか」と、「伺う言葉」を必ず、添え ることです。

例えば、「何てバカな奴なんだ!」「何度言ったら解かるんだ!!」「前にも言ったように、 ○○、▽▽すると結果が良くなるだろう!!」と厳(きび)しく叱責したとしても、言葉の語尾 に『私はこう思うが、どう思う?』となれば、伝わるニュアンスは大きく変わるはずです。

「伺う会話」が何故、必要か、その重要性については、先に項の第三部「人間力・人間 関係力」の項で詳しく説明しました。

❖「だったら、やる」のか、「だったら、やらないのか」

世の中には、自分のことについて人から注意を受けたり、批判されると、ぷいっとむく れて、「だったら、やらない!!」とか、「そんなふうに言われるのなら、話さない!!」など「だったら・・」と言う人をたびたび見かけます。

では、こうした「だったらやらない」と言う人は、「何だったら」やるのでしょうか。 「◇◇だったら、やらない」という人に共通しているのは、一般的に理屈っぽく、プライ ドが高く、見栄っ張りで自意識が強いとか、自分の考えに固持(こじ)する頑固(がんこ)で融 通(ゆうずう)がきかない人や自己中心的で「人の話は聞かない、聞きたくない」人に多く見 られるようですが、そうした人の中には、「◇◇だったら、やらない」と言っても、「○○ だったら、やる」と「確かな意志」を持っている人が多いのも事実です。

ところが、「◇◇だったら、やらない」と言う人は、元々、何をするのも億劫(おっくう)で 自ら進んで何かをしようとする意欲や気力、やる気がない、または弱い状態で常に生きて いるため、日頃から人から注意を受けたり、行動を批判されることが多く、そのため、注 意や批判というストレスに対し、言い訳をしたり、論理をすり替えて「その場をしのぐ」 ということを経験的に学習しています。

ですから、本人にとっては、注意や批判が「注意されるんだったら」になり、本来の「億 劫でやりたくない」という気持ちをごまかす、「都合のよい理由」になります。

ここまでをまとめると、「◇◇だったら、やらない」と言う人のほとんどは、「○○でも、▽▽でも、何もしたくない」つまり、「チャレンジ(挑戦)もイヤ!!」「アレンジ(工夫)など、 まっぴら御免!!」と「棒(ぼう)にも箸(はし)にもかからない」困った人たちで、何をするに も億劫(おっくう)でやりたくない、という気持ちや思いを持っています。

さらに、失敗を恐(おそ)れ、自分が傷つくことが怖(こわ)という不安感があるとか、臆病 (おくびょう)な性格のため、できればやりたくないという思いが「先」にあるため、「何々だ ったら」と言い訳をしたり、物言(ものい)いをして「やらない」とか「できない」ための理 由にして、自分を守ろうとします。

このように、「何々だったら、やらない」とか「何々だったら、やる」という心の背景に は、「何々」という内容が条件になっているようですが、「やる、やらない」を決めるのは、 本来、その人の持つ「性格傾向」によるところが大きいと言われています。

例えば、部屋をきれいに掃除することを指示された A さん、B さんは管理者に掃除が終 わったことを報告をします。 その際、管理者から掃除の行き届かない点を注意されます。
その時、A さんは「こんなに一生懸命やったのに、まだ足(た)りないと注意されるなら、 次はやりません」と言い、B さんは、「そこまで言われるなら、次はしっかりやります」 と話します。

この時の A さんと B さんの違いは、積極的か消極的かという性格や気質などの本質的 な要因に加え、過去の体験や経験によって身についた失敗回避傾向か、成功達成傾向かと いう「傾向の違い」が影響していると考えられます。

ちなみに、失敗回避傾向を持つ人は、挫折や失敗などの経験から、何をするにも始めか ら自信が持てなかったり、他者からの注意や叱責などマイナスの評価を受けることに過敏 (かびん)になり、失敗を恐れる傾向が身についています。

また、注意されたり小言を言われると「だったら、やらない」と言う人は、そうした場 面において「やらずに済んだ」とか、「儲(もう)かった」と自分本位に考えるかもしれませ んが、周りからの信用や評価は、決して良いものではありません。

人生には、「やってみなければ分からない」ことや、「やってはじめて知ること」がいっ ぱいあります。

「だったら、やらない」という人は、生活がマンネリ化し、停滞した生き方をするのに 対し、「だったら、やる」と気概(きがい)を持って生きる人は、常に生き生きとポジティブ 思考で生きています。

「やらずに後悔するか、やって後悔するか」という言葉がありますが、「だったら、や る」と言う人は、仮に失敗してもグズグズと後悔することなく、何が失敗の原因なのか、 今後、どうすればうまくいくかなど「考察(こうさつ)」と「反省」を繰り返し、更なる行動 に繋(つな)いでいます。

ところで、「だったら、やる」という言葉には、「そうであるなら、やる」とか、「だから こそ、やる」または、「やらないと気持ちが収(おさ)まらない」とか、「絶対、やりたい」と いう意味があり、この言葉には、何事に対しても「前向きに挑戦しよう」とか、常に自分 に対する「期待や可能性」を追求(ついきゅう)する意気込(いきご)みがあります。

人生は、「チャレンジ(挑戦)」と「アレンジ(創意工夫そういくふう)」の時間の連続であり、 もしかしたら、このふたつ「思い」が自覚(じかく)できなくなった時、私たちは、心身の衰 (おとろ)え、いわゆる「老(お)い」を感じる時なのかもしれません。

「何事もやってみなければわからない」・・のだから、常に「だったら、やる」という前向 きなチャレンジ(挑戦)精神を持ち、さらに、自らの生き方の「善し悪し」をチェックして 悪いところがあれば、謙虚な気持ちで速やかに反省し、新たな生き方を考える「アレンジ」 精神が必要です。

この「チャレンジ(挑戦)」と「アレンジ(創意工夫)」のふたつの精神が、「心が折れない 悩み方」を支えるパワーになります。

また、「悩み方」は成功体験から学ぶことも大事ですが、むしろ、失敗体験から学ぶ重要 性を、評価します。
つまり、「悩み方」は、実際に悩みを克服する過程で身につくもの、と考えます。

できないことをするのは、無責任だが、できるのにやらないのは、 怠慢(たいまん)に、ほかならない。

やらずに後悔するよりは、 やって後悔する方が、 先の人生、考えりゃ、 どれほど良いか、わかるはず。

やらずに後悔することは、 野球のバッターボックスで、 見逃(みのが)し三振(さんしん)するように、 後味(あとあじ)悪く、悔(く)やみます。

やって後悔することは、 空振(からぶ)り三振(さんしん)するように、 仮にヒットが打てずとも、 何とか出塁(しゅつるい)するために、 期待を込めて一心(いっしん)に、 バットを振った結果です。

「人生ゲーム」も同じこと。
おっかなびっくり生きるより、 チャレンジ.アレンジ精神で あらゆる場面に向き合えば、 結果はどうあれ何であれ、 後悔よりも反省や、 明日への期待につながって、 ルンルン気分で朗(ほが)らかに、 楽しく、人生送れます。

❖肯定(こうてい)の前提(ぜんてい)と否定(ひてい)の前提(ぜんてい)とは。

日々の生活で、私たちが会話で話す「言葉」は、人との関わりをはじめ、あらゆる生活場面で重要な役割を果たしています。

自分の考えや気持ちを伝えたり、感情を表す手段として、言葉がなければ生活が成り立 ちません。
不幸にも、難聴(なんちょう)や失語症(しつごしょう)など「聴覚(ちょうかく)や言語的障害」を 持つ人も、筆談(ひつだん)や手話(しゅわ)という方法で、自分の思いを「言葉」として伝えて います。
また、言葉というものは、口調(くちょう)や声の高低、身振(みぶ)り手振りをはじめ、しぐ さや動作を加えることで、話す内容の伝わり方が変わります。

例えば、「明日、朝 5:00 に○○をします。分かりましたか!!」という強い口調の問い かけに、「はい!分かりました」と元気な声で答える人は、積極的な態度を示しますが、 反対に「分かりました、でも朝 5:00 だろう、早すぎないか」と否定的に受け止める人 は、消極的な態度を表します。

このことは、「観念(かんねん)行動の法則」で説明したように、私たちは観念、つまり、 感情に基づいて行動する特性を持っているため、積極的になるのも、消極的になるものも すべて「受け止め方」によって変わります。

ところで、「はい!分かりました」とか、「きっと、大丈夫です」「できます!やってみた いです」というような積極的な言葉は、「肯定の前提」と言われ、これからやろうとする ことを肯定的に受け止めているため、自(おの)ずと「自己効力感」が高まり、悩みやストレ ス、逆境や困難を乗り越える力が増(ま)してきます。

反対に、「分かりました、でも・・」とか、「だけど」「だって」「どうせ」という消極的 な言葉は、「否定の前提」と言われ、何かをやろうとする前に、既(すで)にブレーキがかか っている状況ですから、「自己効力感」は乏(とぼ)しく、ちょっとした悩みやストレスで心 が折れてしまいます。

ちなみに、「でも、だけど、だって、どうせ」という言葉が口癖(くちぐ)せになっている人は、頭(かしら)文字の D をとって「4D タイプ」の人と呼ばれています。 さらに、その言葉の後(あと)に「今さら、私なんか」という言葉が続けば、いよいよ深刻な状態を招くことになるから、十分気をつけなければなりません。

「わかりましたか」という問いかけに、「でも、だけど、だって、どうせ、」「今さら、私 なんかにできるはずがない」という言葉が続けば、最後は自らの人生に「止(とど)め」を刺 すようなものです。

このように、私たちが日頃、話している言葉の一言(ひとこと)、一言には、大変重要な意 味があるため、「肯定的か、否定的か」のどちらを前提に話しているのか、一度、自己チェ ックしてみてはいかがでしょうか。

「心が折れない悩み方」を身につけるために、日頃から「肯定の前提」である積極的な 言葉で会話することを心掛けます。

「否定の前提」である消極的な言葉は、自分も他人も憂うつにさせるだけで、自ら不幸 を招いているようなものです。

❖人の悩みに「説得(せっとく)や慰(なぐさ)め、激励(げきれい)や叱責(しっせき)」は百害あって一 利なし。

世間では、悩んでいる人に対して、「つらいけど、がんばってね」とか、「いちいち気に しない方がいいよ」などと説得したり、慰めや励ましの言葉をかけたり、「過(す)ぎてしま ったことをいつまで悩んでいるの!!」と叱責するような言葉で悩みを克服させようとしま すが、あまり効果はありません。

それどころか、「悩む本人」を心理的に追い詰めたり、孤立させて、自死(じし)など最悪 なケースに追い込む恐れがあります。

つまり、「説得や慰め、激励や叱責」というコミュニケーションスキルは、他人に対して は勿論のこと、自分に対してもしてはいけません。
その理由は、悩みが解決できず、苦しい時間が長く続くと、私たちは無意識に自分に対 し「説得や慰め、激励や叱責」をします。

具体的に説明すると、自分に対する説得とは、とってつけたような「言い訳」をしたり、 論理をすり替えることで苦しさやつらさから逃(のが)れようとすることです。

実際にあった例として、長期のひきこもり生活から脱却できないでいるある男性が、自 らのひきこもり生活を「自分なりに納得する」または、自分なりの考えで心的葛藤の「合 理化を図る」ため、お寺のお坊さんに例え「自分は、ひきこもりではない」「お寺のお坊さ んが修行しているように、自分は自宅で修行している」と、「ひきこもりの生活」を「修 行」にすり替え、それを言い訳にして、ひきこもりの苦しさから解放されようとします。

また、事実、負けたのに「負けてやった」とか、「○○してやった」と主客転倒(しゅきゃ くてんとう)するような強がりを言うのも「自己説得」のひとつです。

このような屁理屈(へりくつ)は、自己説得の極端な例ですが、私たちは日々の生活で、少 なからずこれに似たようなことを気づかずにやっています。

また、自分に対する慰めや激励については、期待した結果が得られなかったり、思い通 りにいかない時、「怠(なま)けていたわけではない、一生懸命まじめにやった結果だ」と思 い込もうとしたり、営業成績の悪い営業マン同士が、扱う商品が売れない理由を「景気が 悪いから仕方ないよ」と社会情勢のせいにしたり、他社商品と比べて自社商品のマイナス 面を売れない理由にして、互いに「傷のなめ合い」をしているようなケースです。

さらに、自分に対する叱責とは、「何て自分はダメなんだろう」とか、「こんな自分は価値がない」と自分を否定したり、自責感や自罰感を持つことです。
いずれも、問題の本質と正面から向き合わず、「逃げる、かわす、避ける」という生き方が根底にあるため、問題を解決するどころか、反対に余計な悩みを抱え、停滞した生活を 送っています。

もし、「説得をしたい、慰め、激励をしてあげたい、叱りたい」と思う時は、話の語尾に 「私は、こう思うがどう思う」とか、「いかかでしょうか」と、「伺う言葉」を必ず、添え ることです。

例えば、「何てバカな奴なんだ!」「何度言ったら解かるんだ!!」「前にも言ったように、 ○○、▽▽すると結果が良くなるだろう!!」と厳(きび)しく叱責したとしても、言葉の語尾 に『私はこう思うが、どう思う?』となれば、伝わるニュアンスは大きく変わるはずです。

「伺う会話」が何故、必要か、その重要性については、先に項の第三部「人間力・人間 関係力」の項で詳しく説明しました。

❖「だったら、やる」のか、「だったら、やらないのか」

世の中には、自分のことについて人から注意を受けたり、批判されると、ぷいっとむく れて、「だったら、やらない!!」とか、「そんなふうに言われるのなら、話さない!!」など「だったら・・」と言う人をたびたび見かけます。

では、こうした「だったらやらない」と言う人は、「何だったら」やるのでしょうか。 「◇◇だったら、やらない」という人に共通しているのは、一般的に理屈っぽく、プライ ドが高く、見栄っ張りで自意識が強いとか、自分の考えに固持(こじ)する頑固(がんこ)で融 通(ゆうずう)がきかない人や自己中心的で「人の話は聞かない、聞きたくない」人に多く見 られるようですが、そうした人の中には、「◇◇だったら、やらない」と言っても、「○○ だったら、やる」と「確かな意志」を持っている人が多いのも事実です。

ところが、「◇◇だったら、やらない」と言う人は、元々、何をするのも億劫(おっくう)で 自ら進んで何かをしようとする意欲や気力、やる気がない、または弱い状態で常に生きて いるため、日頃から人から注意を受けたり、行動を批判されることが多く、そのため、注 意や批判というストレスに対し、言い訳をしたり、論理をすり替えて「その場をしのぐ」 ということを経験的に学習しています。

ですから、本人にとっては、注意や批判が「注意されるんだったら」になり、本来の「億 劫でやりたくない」という気持ちをごまかす、「都合のよい理由」になります。

ここまでをまとめると、「◇◇だったら、やらない」と言う人のほとんどは、「○○でも、▽▽でも、何もしたくない」つまり、「チャレンジ(挑戦)もイヤ!!」「アレンジ(工夫)など、 まっぴら御免!!」と「棒(ぼう)にも箸(はし)にもかからない」困った人たちで、何をするに も億劫(おっくう)でやりたくない、という気持ちや思いを持っています。

さらに、失敗を恐(おそ)れ、自分が傷つくことが怖(こわ)という不安感があるとか、臆病 (おくびょう)な性格のため、できればやりたくないという思いが「先」にあるため、「何々だ ったら」と言い訳をしたり、物言(ものい)いをして「やらない」とか「できない」ための理 由にして、自分を守ろうとします。

このように、「何々だったら、やらない」とか「何々だったら、やる」という心の背景に は、「何々」という内容が条件になっているようですが、「やる、やらない」を決めるのは、 本来、その人の持つ「性格傾向」によるところが大きいと言われています。

例えば、部屋をきれいに掃除することを指示された A さん、B さんは管理者に掃除が終 わったことを報告をします。 その際、管理者から掃除の行き届かない点を注意されます。
その時、A さんは「こんなに一生懸命やったのに、まだ足(た)りないと注意されるなら、 次はやりません」と言い、B さんは、「そこまで言われるなら、次はしっかりやります」 と話します。

この時の A さんと B さんの違いは、積極的か消極的かという性格や気質などの本質的 な要因に加え、過去の体験や経験によって身についた失敗回避傾向か、成功達成傾向かと いう「傾向の違い」が影響していると考えられます。

ちなみに、失敗回避傾向を持つ人は、挫折や失敗などの経験から、何をするにも始めか ら自信が持てなかったり、他者からの注意や叱責などマイナスの評価を受けることに過敏 (かびん)になり、失敗を恐れる傾向が身についています。

また、注意されたり小言を言われると「だったら、やらない」と言う人は、そうした場 面において「やらずに済んだ」とか、「儲(もう)かった」と自分本位に考えるかもしれませ んが、周りからの信用や評価は、決して良いものではありません。

人生には、「やってみなければ分からない」ことや、「やってはじめて知ること」がいっ ぱいあります。

「だったら、やらない」という人は、生活がマンネリ化し、停滞した生き方をするのに 対し、「だったら、やる」と気概(きがい)を持って生きる人は、常に生き生きとポジティブ 思考で生きています。

「やらずに後悔するか、やって後悔するか」という言葉がありますが、「だったら、や る」と言う人は、仮に失敗してもグズグズと後悔することなく、何が失敗の原因なのか、 今後、どうすればうまくいくかなど「考察(こうさつ)」と「反省」を繰り返し、更なる行動 に繋(つな)いでいます。

ところで、「だったら、やる」という言葉には、「そうであるなら、やる」とか、「だから こそ、やる」または、「やらないと気持ちが収(おさ)まらない」とか、「絶対、やりたい」と いう意味があり、この言葉には、何事に対しても「前向きに挑戦しよう」とか、常に自分 に対する「期待や可能性」を追求(ついきゅう)する意気込(いきご)みがあります。

人生は、「チャレンジ(挑戦)」と「アレンジ(創意工夫そういくふう)」の時間の連続であり、 もしかしたら、このふたつ「思い」が自覚(じかく)できなくなった時、私たちは、心身の衰 (おとろ)え、いわゆる「老(お)い」を感じる時なのかもしれません。

「何事もやってみなければわからない」・・のだから、常に「だったら、やる」という前向 きなチャレンジ(挑戦)精神を持ち、さらに、自らの生き方の「善し悪し」をチェックして 悪いところがあれば、謙虚な気持ちで速やかに反省し、新たな生き方を考える「アレンジ」 精神が必要です。

この「チャレンジ(挑戦)」と「アレンジ(創意工夫)」のふたつの精神が、「心が折れない 悩み方」を支えるパワーになります。

また、「悩み方」は成功体験から学ぶことも大事ですが、むしろ、失敗体験から学ぶ重要 性を、評価します。
つまり、「悩み方」は、実際に悩みを克服する過程で身につくもの、と考えます。

できないことをするのは、無責任だが、できるのにやらないのは、 怠慢(たいまん)に、ほかならない。

やらずに後悔するよりは、 やって後悔する方が、 先の人生、考えりゃ、 どれほど良いか、わかるはず。

やらずに後悔することは、 野球のバッターボックスで、 見逃(みのが)し三振(さんしん)するように、 後味(あとあじ)悪く、悔(く)やみます。

やって後悔することは、 空振(からぶ)り三振(さんしん)するように、 仮にヒットが打てずとも、 何とか出塁(しゅつるい)するために、 期待を込めて一心(いっしん)に、 バットを振った結果です。

「人生ゲーム」も同じこと。
おっかなびっくり生きるより、 チャレンジ.アレンジ精神で あらゆる場面に向き合えば、 結果はどうあれ何であれ、 後悔よりも反省や、 明日への期待につながって、 ルンルン気分で朗(ほが)らかに、 楽しく、人生送れます。

❖肯定(こうてい)の前提(ぜんてい)と否定(ひてい)の前提(ぜんてい)とは。

日々の生活で、私たちが会話で話す「言葉」は、人との関わりをはじめ、あらゆる生活場面で重要な役割を果たしています。

自分の考えや気持ちを伝えたり、感情を表す手段として、言葉がなければ生活が成り立 ちません。
不幸にも、難聴(なんちょう)や失語症(しつごしょう)など「聴覚(ちょうかく)や言語的障害」を 持つ人も、筆談(ひつだん)や手話(しゅわ)という方法で、自分の思いを「言葉」として伝えて います。
また、言葉というものは、口調(くちょう)や声の高低、身振(みぶ)り手振りをはじめ、しぐ さや動作を加えることで、話す内容の伝わり方が変わります。

例えば、「明日、朝 5:00 に○○をします。分かりましたか!!」という強い口調の問い かけに、「はい!分かりました」と元気な声で答える人は、積極的な態度を示しますが、 反対に「分かりました、でも朝 5:00 だろう、早すぎないか」と否定的に受け止める人 は、消極的な態度を表します。

このことは、「観念(かんねん)行動の法則」で説明したように、私たちは観念、つまり、 感情に基づいて行動する特性を持っているため、積極的になるのも、消極的になるものも すべて「受け止め方」によって変わります。

ところで、「はい!分かりました」とか、「きっと、大丈夫です」「できます!やってみた いです」というような積極的な言葉は、「肯定の前提」と言われ、これからやろうとする ことを肯定的に受け止めているため、自(おの)ずと「自己効力感」が高まり、悩みやストレ ス、逆境や困難を乗り越える力が増(ま)してきます。

反対に、「分かりました、でも・・」とか、「だけど」「だって」「どうせ」という消極的 な言葉は、「否定の前提」と言われ、何かをやろうとする前に、既(すで)にブレーキがかか っている状況ですから、「自己効力感」は乏(とぼ)しく、ちょっとした悩みやストレスで心 が折れてしまいます。

ちなみに、「でも、だけど、だって、どうせ」という言葉が口癖(くちぐ)せになっている人は、頭(かしら)文字の D をとって「4D タイプ」の人と呼ばれています。 さらに、その言葉の後(あと)に「今さら、私なんか」という言葉が続けば、いよいよ深刻な状態を招くことになるから、十分気をつけなければなりません。

「わかりましたか」という問いかけに、「でも、だけど、だって、どうせ、」「今さら、私 なんかにできるはずがない」という言葉が続けば、最後は自らの人生に「止(とど)め」を刺 すようなものです。

このように、私たちが日頃、話している言葉の一言(ひとこと)、一言には、大変重要な意 味があるため、「肯定的か、否定的か」のどちらを前提に話しているのか、一度、自己チェ ックしてみてはいかがでしょうか。

「心が折れない悩み方」を身につけるために、日頃から「肯定の前提」である積極的な 言葉で会話することを心掛けます。

「否定の前提」である消極的な言葉は、自分も他人も憂うつにさせるだけで、自ら不幸 を招いているようなものです。

MHPC