01.子育て教育の 「土台」となるもの

■何も知らない未熟な人間を育てる

子育て教育の根底にあるテーマは、「何も知らない未熟な人間である子どもを 教え育てる」ということを忘れてはいけません。
 
このことは、子育て教育の基本的な考えであり、そのためには、子どもを「あ るがままに受け入れる」という姿勢と態度が求められます。
 
ですから、何も知らない未熟な人や、初めて体験する人に「どうして、解らな いのか」とか、「こんなことは知っていて当たり前でしょう」と言ったら、結 果は言わずと知れてします。
 
その時点で「教え、教わる」関係は成立しなくなるし、何より、「教える資格」 そのものが疑われます。
 
ところが、全国の子育て教育中の「親や家庭」の中には、子どもに対し「教え る資格」がないどころか、「教えてはいけない」ような親がいっぱいいます。
 
連日マスコミを賑(にぎ)わす、子どもへの暴力行為や性的虐待をはじめ、殺人 事件など、目を覆(おお)いたくなるような悲惨な出来事が報道されています。
 
そうした親を持つ子どもは、「命がけ」で子育て教育を受けなければならない 環境に置かれています。
 
ここでいくつかの例を紹介します。
1)運動会の「駆(か)けっこ走」で子どもが一生懸命走っています。
コーナーを回り、もうすぐゴールを目前にして足がもつれて、転びました。 子どもの目には、驚きと悔(くや)しさが入り混じった涙が滲(にじ)んでいます。
 
こうした場面で子どもに駆け寄る親の中には、子どもに対し「どうして、転ん だんだ!!」と一蹴(いっしゅう)する親がいます。
 
2)また、試験で不幸にも不合格になった子どもに「何で合格点が取れなかった んだ!!」「だから、勉強しろと言っていただろう!!」と、いずれも子どもを叱責しています。

3)さらに、ショッピングセンターでは、子連れの母親が、子どもを叱りながら買 い物をしています。
子どもは、欲しい品物を前に「買ってほしい」と駄々をこねています。 その時「だから、連れて行かないって言ったでしょ!!」「今度は連れて来ない からね!!」と目くじらを立て、子どもを無視します。

いかがでしょうか。 こうした、親が子どもを叱責する場面は、全国至る所で目にする光景ですが、 1,2,3 のケースにおいて、私たちほとんどの人は子どもに対する親の対応に違 和感を感じるはずです。

1) の場合、転んだ理由を聞いて、今さら何になるというのでしょうか。 まず、親が声掛けする内容は、子どもの「ケガの有無」を心配することです。

2)の場合、不合格の子どもに「大変だったな、どんなところが難しかった?」 とか、「次は頑張ればいい」と、一生懸命、試験に臨んだ我が子の努力や頑張 りを労(ねぎら)い、次への「期待と可能性」を持たせる言葉をかけてあげます。

3)の場合、子どもの「本質」を理解する必要があります。 自分が子どもだった頃を思い出すのが、最も解かりやすいかも知りません。 あるいは、「駄々をこねる他人の子どもとその親の姿」をじっくり眺めるのも 良いかも知れません。 そこで、どのように感じたかが、「あなた」が子どもへ対応する時の「参考書」 になるでしょう。

また、自分に置き換えて「もしも、その場に立ったら自分もそうするかも」と 思うのであれば、子育て以前に「自分育て」をしなければなりません。 何故なら、前述のマスコミを賑わす「親の仲間」になる恐れがあります。

子育て教育とは、「何も知らない未熟な人間」に対し、教え育てることであり、 それはあたかも「道に迷って、道を尋ねる人」に対する対応と同じである、と 考えられます。

例えば、街を歩いている時、見ず知らずの他人から「すみません、何処(どこ)どこに行くには、どの道を行けば宜しいのでしょうか」と道を尋ねられたとしま しょう。
その人は、道に迷って行き先が解らず、藁(わら)にも縋(すが)る思いで大変困っ ています。

そうした場面で、「どうして道に迷ったんですか」とか、「ここは一本道で迷う 人なんかいませんよ」「初めての道は、道を知っている人と来るもんですよ」 などと言ったら、困っている人は、道に迷って戸惑うどころか、その人の言葉 に大きな「驚きと戸惑い」を感じることでしょう。

普段、私たちは道に迷う人には、「知らない所で道に迷って気の毒に、さぞ大 変だろう」と同情したり、「困った時はお互いさま」と共感して、道に迷って 困っている人の心情に寄り添い、親切に対応します。

しかし、驚くかもしれませんが、実際にある話として、身近な子育て教育の現 場である「家庭」において、先の話のように、道に迷っている人(子ども)に対 して、「何故、迷っているのか」「どうして解らないんだ」と同様の対応を行っ ている「親」が全国にいっぱいいる、ということです。

家庭における「迷い人」は「何も知らない、未熟な人間である子ども」であ り、その子どもに道を教えるのは「親」の義務と責任であることを忘れては いけません。

さまざまな事情があるにせよ、子育て教育に対する「親の基本的スタンス」 はここにあります。

■何も知らない未熟な人間を育てる

子育て教育の根底にあるテーマは、「何も知らない未熟な人間である子どもを 教え育てる」ということを忘れてはいけません。

このことは、子育て教育の基本的な考えであり、そのためには、子どもを「あ るがままに受け入れる」という姿勢と態度が求められます。
 
ですから、何も知らない未熟な人や、初めて体験する人に「どうして、解らな いのか」とか、「こんなことは知っていて当たり前でしょう」と言ったら、結 果は言わずと知れてします。
 
その時点で「教え、教わる」関係は成立しなくなるし、何より、「教える資格」 そのものが疑われます。
 
ところが、全国の子育て教育中の「親や家庭」の中には、子どもに対し「教え る資格」がないどころか、「教えてはいけない」ような親がいっぱいいます。
 
連日マスコミを賑(にぎ)わす、子どもへの暴力行為や性的虐待をはじめ、殺人 事件など、目を覆(おお)いたくなるような悲惨な出来事が報道されています。
 
そうした親を持つ子どもは、「命がけ」で子育て教育を受けなければならない 環境に置かれています。
 
ここでいくつかの例を紹介します。
1)運動会の「駆(か)けっこ走」で子どもが一生懸命走っています。
コーナーを回り、もうすぐゴールを目前にして足がもつれて、転びました。 子どもの目には、驚きと悔(くや)しさが入り混じった涙が滲(にじ)んでいます。
 
こうした場面で子どもに駆け寄る親の中には、子どもに対し「どうして、転ん だんだ!!」と一蹴(いっしゅう)する親がいます。
 

2)また、試験で不幸にも不合格になった子どもに「何で合格点が取れなかった んだ!!」「だから、勉強しろと言っていただろう!!」と、いずれも子どもを叱責しています。

3)さらに、ショッピングセンターでは、子連れの母親が、子どもを叱りながら買 い物をしています。
子どもは、欲しい品物を前に「買ってほしい」と駄々をこねています。 その時「だから、連れて行かないって言ったでしょ!!」「今度は連れて来ない からね!!」と目くじらを立て、子どもを無視します。

いかがでしょうか。 こうした、親が子どもを叱責する場面は、全国至る所で目にする光景ですが、 1,2,3 のケースにおいて、私たちほとんどの人は子どもに対する親の対応に違 和感を感じるはずです。

1) の場合、転んだ理由を聞いて、今さら何になるというのでしょうか。 まず、親が声掛けする内容は、子どもの「ケガの有無」を心配することです。

2)の場合、不合格の子どもに「大変だったな、どんなところが難しかった?」 とか、「次は頑張ればいい」と、一生懸命、試験に臨んだ我が子の努力や頑張 りを労(ねぎら)い、次への「期待と可能性」を持たせる言葉をかけてあげます。

3)の場合、子どもの「本質」を理解する必要があります。 自分が子どもだった頃を思い出すのが、最も解かりやすいかも知りません。 あるいは、「駄々をこねる他人の子どもとその親の姿」をじっくり眺めるのも 良いかも知れません。 そこで、どのように感じたかが、「あなた」が子どもへ対応する時の「参考書」 になるでしょう。

また、自分に置き換えて「もしも、その場に立ったら自分もそうするかも」と 思うのであれば、子育て以前に「自分育て」をしなければなりません。 何故なら、前述のマスコミを賑わす「親の仲間」になる恐れがあります。

子育て教育とは、「何も知らない未熟な人間」に対し、教え育てることであり、 それはあたかも「道に迷って、道を尋ねる人」に対する対応と同じである、と 考えられます。

例えば、街を歩いている時、見ず知らずの他人から「すみません、何処(どこ)どこに行くには、どの道を行けば宜しいのでしょうか」と道を尋ねられたとしま しょう。
その人は、道に迷って行き先が解らず、藁(わら)にも縋(すが)る思いで大変困っ ています。

そうした場面で、「どうして道に迷ったんですか」とか、「ここは一本道で迷う 人なんかいませんよ」「初めての道は、道を知っている人と来るもんですよ」 などと言ったら、困っている人は、道に迷って戸惑うどころか、その人の言葉 に大きな「驚きと戸惑い」を感じることでしょう。

普段、私たちは道に迷う人には、「知らない所で道に迷って気の毒に、さぞ大 変だろう」と同情したり、「困った時はお互いさま」と共感して、道に迷って 困っている人の心情に寄り添い、親切に対応します。

しかし、驚くかもしれませんが、実際にある話として、身近な子育て教育の現 場である「家庭」において、先の話のように、道に迷っている人(子ども)に対 して、「何故、迷っているのか」「どうして解らないんだ」と同様の対応を行っ ている「親」が全国にいっぱいいる、ということです。

家庭における「迷い人」は「何も知らない、未熟な人間である子ども」であ り、その子どもに道を教えるのは「親」の義務と責任であることを忘れては いけません。

さまざまな事情があるにせよ、子育て教育に対する「親の基本的スタンス」 はここにあります。

代表・矢吹孝志(やぶきたかし) 福島県生まれ

*MHPC代表、健康・教育カウンセラー
*レジリエンスセラピスト
*公立学校共済組合福島県支部「こころのケア事業」
 ・委託カウンセラー
*ティーペック(株)東京/大阪 ・委託カウンセラー
*システムブレーン/ライセンスアカデミー(講師派遣会社)
 ・登録講師
*NPO法人・日本フリースクール協会理事

書籍案内

「子どもは親を選べない」
幻冬舎ルネッサンス

「心の病はこうして直す」
文芸社

「余意の生き方」
現代書林

MHPCマインドヘルスパーソナリティセンター
〒963-8813 福島県郡山市芳賀2丁目21-10
TEL 024-943-1678 FAX 024-943-1686

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