11.子育て教育 「ひとくちアドバイス」その⑥

■「みんな(皆)」という言葉の使い分け。

普段、何気なく使っている「みんな」という言葉。 この言葉の持つ意味は、私たちに大きな影響を与えます。

「みんな」という言葉は、すべての人、大勢の人を指す言葉ですが、「弁解無用」と「絶対安心」のふたつの意味を持ちます。

「みんなできるのに何故、あなたはできないの」と言われれば、何と答えれば いいのか返答に困るというより、弁解することができません。 非常に厳しい言葉です。

また、「ビートたけし」が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言って笑い をとりましたが、「みんな」と一緒であることは、私たちに大きな「安心感」 を与えます。

ところで、不登校やひきこもりをはじめ、問題を抱えて、生活行動の停滞を余 儀なくされている子どもは、同級生や同世代という「みんな」から外れた生活 をしています。

そのため、「みんな」と同じでない自分の行動に「弁解する余地」がなく、「不安な立場」に立たされています。

ですから、親をはじめ、関わる人はまず、そのことを理解しなければ、問題解決を支援していくことはできません。

具体的には、「みんな」から外れて孤立感を深め、「みんな」と同じことができ ない自分に嫌悪感を持っている子どもには、「みんなと違っていてもいい」と いうメッセージをまず、送らなければなりません。

人は、千差万別(せんさばんべつ)、百人百様(ひゃくにんひゃくよう)、皆それぞれに 「違っていてもいい」のです。 子どもをあるがままに受け入れることが大事です。

■「落ち込み」と「しゃがみ込み」は違う。

人生、誰でも生きていく中で精神的に憂うつになり、生活行動を停滞する時が 多々あります。
それは、子どもも同じです。

そうした時、自分は今、「落ち込んでいるのか」、それとも「しゃがみ込んでいるのか」どちらなのかということを考えてみます。

一見、同じようなことでも「言い方」によって、相手に伝わる言葉のニュアンスは変わります。
「落ち込み」と「しゃがみ込み」は意味が違います。

例えば、運動やスポーツで跳躍=ジャンプする時、必ず「しゃがみ込む」行動 をとります。
何故なら、「しゃがみ込む」ことで、跳躍力が増すからです。

悩みを克服し、生き生きとした生活を取り戻すには、「落ち込んでいる」という意識をなくし、「今、自分はしゃがみ込んでいる」と思うことが大切です。。 しゃがみ込むことは、次に何かを模索している状態であるとも解釈されます。

子どもの停滞をネガティブに捉えず、次のステップのため「しゃがみ込んでい る」と捉えることで、親のとるべき対応が見えてきます。

つまり、「バカ」と受け止めるか、「あまり利口でない」と受け止めるかでニュアンスが変わるように、リフレーミング、つまりフレームを変えて見れば、本人はもとより、親にとっても克服するための新たな対応策が見えてきます。

不登校は「自主休学」、さみだれ登校は「自己選択的登校」、ひきこもりは「立ち止まり」など、新鮮で明るいイメージで、都合よく捉えることが必要です。

つまり、「何があったか」ではなく、「どのように解釈するか(したか)」が重要なポイントになります。

■今まではサイズの合わない靴でも我慢して履いていれば、生きて来られたが、 これからは、自分のサイズに合う靴を履いて生きなければ、幸せになれません。

以前のサラリーマンなら、仕事内容や職場環境が合わなくても、それなりに我 慢して定年まで働けば、退職金や年金を貰(もら)うことが出来たが、現代社会 のサラリーマンにおいては、終身雇用制度が崩壊し、正規雇用と非正規雇用に二分化され、厳しい労働環境の中で働いています。

正に、サイズの合わない靴を我慢して履いています。 現に、メンタル不調を訴え、中途で退職を余儀なくされているサラリーマンの数が増加を見れば、そのことがよく解ります。

人生、健やかに生きるには「自分に合う靴」を履いて生きなければなりません。 もしかしたら、不登校やひきこもりの子どもをはじめ、問題を抱え「生きにくさ」や人との「関わりづらさ」を感じている人は、サイズの合わない靴を履い て、今、正に靴擦(くつず)れを起こし、必死で「自分に合う靴探し」をしているのかもしれません。

学校社会や一般社会に違和感を感じ、不登校やひきこもり、就労困難や「社会不適応」という目に見える形で「自分に合う靴探し」をしているのを、頭越し に批判するのではなく、親をはじめ、関わる大人は一緒になって、その人に合う「靴探し」のお手伝いをしなければなりません。

■人生は、「夜のドライブ」と同じです。

「暗闇も先を見るから不安になる。ヘッドライトの照らす範囲を見ればいい」

確かに、子どもの将来を考えると、子育て教育期間中の親がさまざまな不安や 戸惑いを感じるのは、無理もないことかもしれません。

しかし、人生は「過去や未来」を生きているわけでもありません。
生きるのは「今、現在」という時間の中を生きています。

「過去」には、楽しいことよりも「後悔の念や未練の思い」が多くあります。 そして、未来には、夢や希望という期待感より、むしろ「不安や戸惑い」の方 が強く感じられるかもしれません。

ですから、「今を生きる」という前提で、現実をあるがままに受け入れ、その 時々において「できること」を積み重ねていくという「生き方」をしなければ なりません。

軽快に隣を走る、他人の車を気にすることはありません。 「人は人」「自分は自分」「我が家は我が家」です。

親と子の乗る「我が家の車」のヘッドライトの照らす範囲をしっかり見て、「今、 できること」に「真面目に、正直に、素直に、謙虚」に向き合います。

■観念行動法則を知り、「感情両価性・両面観」をはたらかせる。

ところで、本来、私たち人間にとって「不必要なものや出来事」は何ひとつあ りません。

「ものごとや出来事」が「不必要、または困ったこと」になるのは、本人が「否 定的な思い」で解釈するからであって、「肯定的な思い」で解釈すれば状況や 結果は変わります。

つまり、すべて、本人の「考え方や見方、捉え方や受け止め方」という『解釈の仕方』にかかっています。

例え現在、自分にとって「不必要で困ったこと」と思うことも、フレームを変 えて「必要なこと」と解釈すれば、自ずとポジティブな思いや感情を抱きます。

病気で療養する時間や、登山中の人が山頂を目指す前にとる「休憩時間」を不必要と捉える人はいません。

療養を必要とするから病気が治るのであり、登山者も休憩を必要とするから登頂できるのです。

もう少し具体的に言えば、私たちの大脳には、ものごとや出来事に対し、「ピ ンチはチャンス」というようにプラスの側面とマイナスの側面を 5 対 5 で捉 える「感情両価性・両面観」という性質があります。

ですから、プラスの側面を見出せば、ポジティブな思いや感情が生まれ「肯定 的に受け入れる」ことができ、行動が積極的になります。

反対に、マイナスの側面を見出せば、ネガティブな思いや感情が生まれ、気分 的に憂うつになり、行動が消極的になります。

このことは「観念行動法則」と言われ、私たちは観念、つまり「ものごとや出 来事に対して抱く感情やイメージ」に基づいて行動しています。

こうした性質を日常生活で活用すれば、どのような状況であれ、生活行動が停滞することはありません。

メンタルサプリ「心が折れない悩み方」や、子育て教育サプリ「子どもは親を選べない」の各講話内容は、

■「悩み」を根本的かつ恒久的に解決するために。

人生に「悩み」はつきものです。
「悩み」を根本的かつ恒久的に解決するには、究極のストレスマネジメント「折れない心」を身につけます。

とにかく、考え方や捉え方として大切なことは、不登校やひきこもりをはじめ、 子どもの問題は、あくまで「生活現象」の一部に過ぎないということです。

例えば、風邪をひいた時、熱を出したり、くしゃみをする人もいれば、鼻水で悩 む人がいるように、風邪にもさまざまな現象(症状)があります。

しかし、その風邪という病気を根本的かつ恒久的に治すには、「熱さまシート」 を貼ったり、くしゃみ止めの薬を飲んでも効き目は一時的で根本的に治すこと はできません。 根本的かつ恒久的に治すということは、「風邪をひかないタイプ」になるしかあ りません。

同じように、子どもも含め私たち人間が悩む背景には、性格や気質などパーソナ リティに関わる要因に、「解釈の仕方」や「こだわりやとらわれ、思い込みや決 めつけ」といった観念上の要因が相俟(あいま)って、いわゆる「悩む思考回路」をもっている、ということです。

ですから、私たちが健やかに生きるには、「悩む思考回路」をなくし、「悩まない 思考回路」を持つ『折れない心』を身につけなければなりません。

特に、子どもの将来を考えた時、10 代で「折れない心」を身につけることは、 その後の子どもの人生に大きな影響を与えます。

ストレスに打ち克ち、逆境を乗り越え、どんな困難にもへこたれない「元気しなやか、折れない心」は、健やかに生きるために不可欠な「心」です。

「折れない心」については、動画/MHPC メンタルサプリ「心が折れない悩み方」 (全 37 の講話収録)で詳しく解説しています。ご視聴下さい。

最後に、動画/MHPC 子育て教育サプリ「子どもは親を選べない」の講話を締め くくる言葉として、次の言葉を紹介します。

人生とは、すべてのものごとや出来事は、『起こるべくして起こった、成るべく して成った』当然の結果である現実という「客観的事実」を、あるがままに受け 入れ、そこに、「両面観」をはたらかせ、プラスの意味や価値を見出し、後の教訓にしながら行動を起こすことによって「状況に変化をもたらす」時間の連続である、と考えなくてはいけません。

■「みんな(皆)」という言葉の使い分け。

普段、何気なく使っている「みんな」という言葉。 この言葉の持つ意味は、私たちに大きな影響を与えます。

「みんな」という言葉は、すべての人、大勢の人を指す言葉ですが、「弁解無用」と「絶対安心」のふたつの意味を持ちます。

「みんなできるのに何故、あなたはできないの」と言われれば、何と答えれば いいのか返答に困るというより、弁解することができません。 非常に厳しい言葉です。

また、「ビートたけし」が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言って笑い をとりましたが、「みんな」と一緒であることは、私たちに大きな「安心感」 を与えます。

ところで、不登校やひきこもりをはじめ、問題を抱えて、生活行動の停滞を余 儀なくされている子どもは、同級生や同世代という「みんな」から外れた生活 をしています。

そのため、「みんな」と同じでない自分の行動に「弁解する余地」がなく、「不安な立場」に立たされています。

ですから、親をはじめ、関わる人はまず、そのことを理解しなければ、問題解決を支援していくことはできません。

具体的には、「みんな」から外れて孤立感を深め、「みんな」と同じことができ ない自分に嫌悪感を持っている子どもには、「みんなと違っていてもいい」と いうメッセージをまず、送らなければなりません。

人は、千差万別(せんさばんべつ)、百人百様(ひゃくにんひゃくよう)、皆それぞれに 「違っていてもいい」のです。 子どもをあるがままに受け入れることが大事です。

■「落ち込み」と「しゃがみ込み」は違う。

人生、誰でも生きていく中で精神的に憂うつになり、生活行動を停滞する時が 多々あります。
それは、子どもも同じです。

そうした時、自分は今、「落ち込んでいるのか」、それとも「しゃがみ込んでいるのか」どちらなのかということを考えてみます。

一見、同じようなことでも「言い方」によって、相手に伝わる言葉のニュアンスは変わります。
「落ち込み」と「しゃがみ込み」は意味が違います。

例えば、運動やスポーツで跳躍=ジャンプする時、必ず「しゃがみ込む」行動 をとります。
何故なら、「しゃがみ込む」ことで、跳躍力が増すからです。

悩みを克服し、生き生きとした生活を取り戻すには、「落ち込んでいる」という意識をなくし、「今、自分はしゃがみ込んでいる」と思うことが大切です。。 しゃがみ込むことは、次に何かを模索している状態であるとも解釈されます。

子どもの停滞をネガティブに捉えず、次のステップのため「しゃがみ込んでい る」と捉えることで、親のとるべき対応が見えてきます。

つまり、「バカ」と受け止めるか、「あまり利口でない」と受け止めるかでニュアンスが変わるように、リフレーミング、つまりフレームを変えて見れば、本人はもとより、親にとっても克服するための新たな対応策が見えてきます。

不登校は「自主休学」、さみだれ登校は「自己選択的登校」、ひきこもりは「立ち止まり」など、新鮮で明るいイメージで、都合よく捉えることが必要です。

つまり、「何があったか」ではなく、「どのように解釈するか(したか)」が重要なポイントになります。

■今まではサイズの合わない靴でも我慢して履いていれば、生きて来られたが、 これからは、自分のサイズに合う靴を履いて生きなければ、幸せになれません。

以前のサラリーマンなら、仕事内容や職場環境が合わなくても、それなりに我 慢して定年まで働けば、退職金や年金を貰(もら)うことが出来たが、現代社会 のサラリーマンにおいては、終身雇用制度が崩壊し、正規雇用と非正規雇用に二分化され、厳しい労働環境の中で働いています。

正に、サイズの合わない靴を我慢して履いています。 現に、メンタル不調を訴え、中途で退職を余儀なくされているサラリーマンの数が増加を見れば、そのことがよく解ります。

人生、健やかに生きるには「自分に合う靴」を履いて生きなければなりません。 もしかしたら、不登校やひきこもりの子どもをはじめ、問題を抱え「生きにくさ」や人との「関わりづらさ」を感じている人は、サイズの合わない靴を履い て、今、正に靴擦(くつず)れを起こし、必死で「自分に合う靴探し」をしているのかもしれません。

学校社会や一般社会に違和感を感じ、不登校やひきこもり、就労困難や「社会不適応」という目に見える形で「自分に合う靴探し」をしているのを、頭越し に批判するのではなく、親をはじめ、関わる大人は一緒になって、その人に合う「靴探し」のお手伝いをしなければなりません。

■人生は、「夜のドライブ」と同じです。

「暗闇も先を見るから不安になる。ヘッドライトの照らす範囲を見ればいい」

確かに、子どもの将来を考えると、子育て教育期間中の親がさまざまな不安や 戸惑いを感じるのは、無理もないことかもしれません。

しかし、人生は「過去や未来」を生きているわけでもありません。
生きるのは「今、現在」という時間の中を生きています。

「過去」には、楽しいことよりも「後悔の念や未練の思い」が多くあります。 そして、未来には、夢や希望という期待感より、むしろ「不安や戸惑い」の方 が強く感じられるかもしれません。

ですから、「今を生きる」という前提で、現実をあるがままに受け入れ、その 時々において「できること」を積み重ねていくという「生き方」をしなければ なりません。

軽快に隣を走る、他人の車を気にすることはありません。 「人は人」「自分は自分」「我が家は我が家」です。

親と子の乗る「我が家の車」のヘッドライトの照らす範囲をしっかり見て、「今、 できること」に「真面目に、正直に、素直に、謙虚」に向き合います。

■観念行動法則を知り、「感情両価性・両面観」をはたらかせる。

ところで、本来、私たち人間にとって「不必要なものや出来事」は何ひとつあ りません。

「ものごとや出来事」が「不必要、または困ったこと」になるのは、本人が「否 定的な思い」で解釈するからであって、「肯定的な思い」で解釈すれば状況や 結果は変わります。

つまり、すべて、本人の「考え方や見方、捉え方や受け止め方」という『解釈の仕方』にかかっています。

例え現在、自分にとって「不必要で困ったこと」と思うことも、フレームを変 えて「必要なこと」と解釈すれば、自ずとポジティブな思いや感情を抱きます。

病気で療養する時間や、登山中の人が山頂を目指す前にとる「休憩時間」を不必要と捉える人はいません。

療養を必要とするから病気が治るのであり、登山者も休憩を必要とするから登頂できるのです。

もう少し具体的に言えば、私たちの大脳には、ものごとや出来事に対し、「ピ ンチはチャンス」というようにプラスの側面とマイナスの側面を 5 対 5 で捉 える「感情両価性・両面観」という性質があります。

ですから、プラスの側面を見出せば、ポジティブな思いや感情が生まれ「肯定 的に受け入れる」ことができ、行動が積極的になります。

反対に、マイナスの側面を見出せば、ネガティブな思いや感情が生まれ、気分 的に憂うつになり、行動が消極的になります。

このことは「観念行動法則」と言われ、私たちは観念、つまり「ものごとや出 来事に対して抱く感情やイメージ」に基づいて行動しています。

こうした性質を日常生活で活用すれば、どのような状況であれ、生活行動が停滞することはありません。

メンタルサプリ「心が折れない悩み方」や、子育て教育サプリ「子どもは親を選べない」の各講話内容は、

■「悩み」を根本的かつ恒久的に解決するために。

人生に「悩み」はつきものです。
「悩み」を根本的かつ恒久的に解決するには、究極のストレスマネジメント「折れない心」を身につけます。

とにかく、考え方や捉え方として大切なことは、不登校やひきこもりをはじめ、 子どもの問題は、あくまで「生活現象」の一部に過ぎないということです。

例えば、風邪をひいた時、熱を出したり、くしゃみをする人もいれば、鼻水で悩 む人がいるように、風邪にもさまざまな現象(症状)があります。

しかし、その風邪という病気を根本的かつ恒久的に治すには、「熱さまシート」 を貼ったり、くしゃみ止めの薬を飲んでも効き目は一時的で根本的に治すこと はできません。 根本的かつ恒久的に治すということは、「風邪をひかないタイプ」になるしかあ りません。

同じように、子どもも含め私たち人間が悩む背景には、性格や気質などパーソナ リティに関わる要因に、「解釈の仕方」や「こだわりやとらわれ、思い込みや決 めつけ」といった観念上の要因が相俟(あいま)って、いわゆる「悩む思考回路」をもっている、ということです。

ですから、私たちが健やかに生きるには、「悩む思考回路」をなくし、「悩まない 思考回路」を持つ『折れない心』を身につけなければなりません。

特に、子どもの将来を考えた時、10 代で「折れない心」を身につけることは、 その後の子どもの人生に大きな影響を与えます。

ストレスに打ち克ち、逆境を乗り越え、どんな困難にもへこたれない「元気しなやか、折れない心」は、健やかに生きるために不可欠な「心」です。

「折れない心」については、動画/MHPC メンタルサプリ「心が折れない悩み方」 (全 37 の講話収録)で詳しく解説しています。ご視聴下さい。

最後に、動画/MHPC 子育て教育サプリ「子どもは親を選べない」の講話を締め くくる言葉として、次の言葉を紹介します。

人生とは、すべてのものごとや出来事は、『起こるべくして起こった、成るべく して成った』当然の結果である現実という「客観的事実」を、あるがままに受け 入れ、そこに、「両面観」をはたらかせ、プラスの意味や価値を見出し、後の教訓にしながら行動を起こすことによって「状況に変化をもたらす」時間の連続である、と考えなくてはいけません。

代表・矢吹孝志(やぶきたかし) 福島県生まれ

*MHPC代表、健康・教育カウンセラー
*レジリエンスセラピスト
*公立学校共済組合福島県支部「こころのケア事業」
 ・委託カウンセラー
*ティーペック(株)東京/大阪 ・委託カウンセラー
*システムブレーン/ライセンスアカデミー(講師派遣会社)
 ・登録講師
*NPO法人・日本フリースクール協会理事

書籍案内

「子どもは親を選べない」
幻冬舎ルネッサンス

「心の病はこうして直す」
文芸社

「余意の生き方」
現代書林

MHPCマインドヘルスパーソナリティセンター
〒963-8813 福島県郡山市芳賀2丁目21-10
TEL 024-943-1678 FAX 024-943-1686

Copyright(C) 2016  MHPC All Rights Reserved