37.継続は力なり。

❖継続は力なり。「まじめ、正直、素直、謙虚」という言葉に「引退」の二文字はない。

「心が折れない悩み方」を身につけるための方策は多々ありますが、しかし、どんなに 理に適(かな)った方法や手段であっても、それを実践するのは「私たち個々の人間」です。

しかも、一度や二度の実践で叶(かな)うものもあれば、日々、努力の限りを尽くしても、 なかなか達成できないものもあります。

そうした時、中途で諦めたり、投げ出してしまえば、それまでの苦労が水の泡(あわ)になり、「心が折れない」どころか、意に反して心が折れる結果を招きかねません。

「継続(けいぞく)は力なり」という言葉がありますが、その意味は「継続」つまり、何を するにも繰り返すことが大事で、それが最大の力になるということです。

私たちの日常生活は、朝、起きて着替えを済ませ、食事をして、学校や仕事で出かける、 そして帰宅して寝(ね)るという「起床・飲食・排泄・睡眠」の基本的生活を繰り返して、生きています。

また、このような生活を送ることが、「健康的な生活」の証(あか)しであり、誰もが望ん でいますが、悩みやストレスを抱え、メンタル不調に陥(おちい)ると基本的な生活リズムが 崩れて「繰り返す」ことができなくなります。

この項では、継続、すなわち「繰り返す」ということは、私たちにとってどのような意 味を持つのか、また、継続するために何が必要なのかについて考えます。

ところで、日常生活で私たちが毎日繰り返しているのは、基本的生活リズムと言われる 「起床・飲食・排泄・睡眠」ですが、その前に私たちが繰り返している、最も大事なこと があるのをご存知でしょうか。
その答えは「呼吸」と「心臓の鼓動(こどう)」です。

「吸(す)って吐(は)いて、また、吸って吐く」という呼吸と、一定のリズムで身体全体に 血液を送り出す「心臓の鼓動」は生きている間、片時(かたとき)も休みなく、繰り返してい ます。
もし、呼吸や心臓のリズムが止まったり、乱れるようなことがあれば、私たちは立ちどころに生命の危機にさらされます。

つまり、私たちの生活は、「呼吸や心臓の鼓動」の繰り返しによって支えられ、それが 「起床・飲食・排泄・睡眠」という「基本的生活リズム」を生み、そして、仕事や学校に 行くという「社会的生活リズム」に繋(つな)がっていることを忘れてはいけません。

悩みを抱え生活の、 リズムを崩(くず)して、生きる人。
話す言葉の内容は、 いつも決まって憂うつで、 ネガティブ思考に満ちている。 そこで「呼吸」に聞きたくて、 恥(は)ずかしながら聞いてみた。

「いやだぁ」「参ったぁ」「困ったぁ」と、 吐き出すグチは、 そっくりそのまま、 吸(す)うことになる。 グチを吐くから、グチっぽいのか、 グチっぽいから、グチを吐くのか、 「呼吸」は解っているはずと、 そうした気持ちで、尋(たず)ねたが、 「呼吸」は答えてくれません。

しかし、「言葉」というものに、 神秘(しんぴ)な力があることを、 「呼吸」は教えてくれました。

古く日本に昔(むかし)から、伝わり続ける、「言霊(ことだま)の霊(れい)」。 言葉の一言(ひとこと)一言に、「霊(れい)」が宿(やど)ると、人は言う。

信じる、否(いな)かは、その人の、「思いや気持ち」に任(まか)せるが、 言われてみれば、「なるほど」と、妙(みょう)に納得、うなずける。

明るく、元気に生きる人。 話す言葉はポジティブで、夢と希望に満ちている。 「憂(ゆう)うつ」抱(かか)えて、生きる人。 「いやだぁ」「参ったぁ」「困ったぁ」と、言葉に「グチ」が付いている。

そう!そう!!、思い浮かべれば、 小さい時に父・母が、 言葉に「心」が隠れてる、 願いごとは、「良く」しろ!!と、 言われたことを思い出す。

「育(そだ)ち」は良くても、「育(そだ)て」が悪い、 自分育(じぶんそだ)てが悪ければ、 人生、「無駄(むだ)花」、 「枯(か)れすすき」・・・・ってか。

また、繰り返すという行為は、私たちに絶対的な「安定と安心」を与えるという意味を持っています。

「呼吸や心臓の鼓動」をはじめ、私たちにとって継続、すなわち繰り返すという行為は、 個々の生活をはじめ、社会の中のあらゆる分野で大きな意味を持っています。

例えば、企業や商店が事業を継続することで、社会貢献を図りながら、そこで働く従業員や店主の生活に精神的かつ物理的(経済的)に「安定と安心」を与えたり、公共交通機関が、時刻どおりにいつも決まって運行を繰り返すことで、利用者に「安定と安心」与えて います。

毎年、繰り返し訪れる自然界における「四季の移(うつ)ろい」も、私たちに感動と安らぎ を与えます。

では何故、継続、すなわち繰り返すことで私たちは「安定と安心」を得るのでしょうか。 その理由は、普段、起きている時(覚醒(かくせい)時)は、神経を張りめぐらし、常に緊張し ながら活動している私たちの脳は、「繰り返しや、繰り返されること」でそのはたらきが 弱くなり、脳の活動水準が下がることで、私たちは「安定と安心感」を感じます。

つまり、私たちの脳は、継続、すなわち「繰り返しのリズム」に弱いという性質を持っ ています。
眠れない時、眠気(ねむけ)を誘う「羊が一匹、羊が二匹・・」と数え続けることや、雨だ れの「ピタン、ピタン・・」と落ちる音を聞くことで気分が穏やかになり、眠くなる背景 には、「継続、すなわち繰り返す」という共通点があります。

余談ですが、居眠り運転をはじめ、会議中での居眠り、日向(ひなた)ぼっこをしながらの 「こっくりさん」など、いろんな場面で「居眠り」の風景を見かけますが、その背景には、 車であれば次々にすれ違う車や、車窓(しゃそう)から流れる風景が、「目」には「繰り返し の対象」になり、会議などで話す人の言葉は、「耳」には、単調な繰り返しの「音」にな ります。

但し、私たちが起きてから寝るまで、「基本的な生活」をいくら時間通りに繰り返して も、決して「眠くなる」ことはないので心配いりません。
むしろ、「心の安定と安心」が得られ、日々の生活が充実します。

ところで、禅(ぜん)寺や座禅(ざぜん)の「禅(ぜん)」という言葉の意味をご存じでしょうか。 「禅」という字は、昔(むかし)は「示(しめす)」辺(へん)に、「単」と書かれています。
その意味は、「単」を「示す」こと、つまり、「単純な行動」を繰り返すことで、「心の安 定と安心」を得(え)る、目的で修行(しゅぎょう)をしています。

座禅を組み、私たち人間にとって、最も「単純な行動」である呼吸をひたすら整え、瞑 想(めいそう)を続ける中で悩みの元である、「こだわりやとらわれ、思い込みや決めつける」 という、「煩悩(ぼんのう)」を無(な)くし、絶対的心の安定と安心を得るため、厳(きび)しい環 境の中で修行をしています。

このことを私たちの生活に置き換えると、例えどのような状況であれ、基本的生活リズムを守り、日々のすべきこと、やるべきことをきちんと行うことになります。

ところが現実は、突発的な出来事や予想外のことが起き、予定通りに行かない場合が 多々あります。
それでも自分へ期待し、可能性を信じ、自棄(やけ)を起こしたり、投げやりな気持ちにな らず、頑張り続けることが大事である、と言っています。

このことは、禅の世界でも同じことが言えます。 座禅を組み、呼吸を整え、瞑想を続ける中で、絶対的心の安定と安心を求めるわけですが、 どんなに修行を積み重ねても、また、高僧と崇(あが)められる人も、そのような心境に辿(た ど)りつけるものではない、と言います。

それでも「禅僧(ぜんそう)」が日々、厳しい修行を続けるのは、禅の教えである、「不可 能」と思えることでも、決して諦めることなく、「可能」にするために「努力」する、つまり、「努力を続けること」が大事であるという禅の目的に従い、修行をしています。

では、私たちが「継続」、すなわち「繰り返す力」を身につけるにはどうすれば良いの でしょうか。

一般的に継続できない人は、一度決めたことを自ら変えてしまう優柔不断(ゆうじゅうふ だん)なところがあるとか、自信をなくすと立ち上がれない、他人のことが気になり気にす る、さらに、「楽(らく)なこと」を求める、目移(めうつ)りが激しい、責任感が弱い、そして、 「適(あ)たりばったりで適当」な場当たり的性格であるなど、ざっとこのような理由が思 い浮かびます。

しかし、継続できない人のすべてに共通しているのは、「まじめ、正直、素直、謙虚」に 生きるという、基本的な姿勢が欠けています。

仕事には、 「定年(ていねん)」があり、
食べ物に、 「賞味期限(しょうみきげん)」があるけれど、 「まじめ、正直、素直に謙虚」、「生き方」支えるこの文字の、
「引退時期」や「定年」は、この世に人が住む限(かぎ)り、 いくら待っても、来(こ)ないでしょう。

「生き方」支えるこの文字を、 もしも粗末(そまつ)に扱えば、 たちまち不幸に見舞われて、 たった一度の人生が、 空(むな)しく、儚(はかな)く、つまらない、 無駄な「時間」になるでしょう。

何ごとにも、「まじめに取り組む。正直に対応する。素直な気持ちを持つ。謙虚さを忘 れない」生き方は、悩みを克服したり、失敗や過(あやま)ちをなくし、挫折などピンチを乗 り越える上で大きな力を与えてくれます。

特に、メンタルサプリ「心が折れない悩み方」は、「まじめ、正直、素直、謙虚」に生き る四つ姿勢がなければ、身につけることは勿論(もちろん)、実践することはできません。

また、「まじめ、正直、素直、謙虚」に生きる態度は、他人の前で示すことより、自分自 身の心の中で育(はぐく)み、自分の生き方に反映(はんえい)させなければなりません。

❖[図解] MHPC「L」型公式

ここで、MHPC の「L 型」公式の図解を説明します。
私たちは起床、飲食、排泄(はいせつ)、睡眠という基本的生活リズムを守り、さまざまな 分野でさまざまな生活を繰り返しています。

また、私たちを取り巻く自然界も、春は新緑(しんりょく)、夏は盛夏(せいか)、秋は紅葉(こ うよう)、冬は白銀(はくぎん)という季節を繰り返しながら、時(とき)を刻(きざ)んでいます。

そのためか、私たちは生活リズムを崩さず、きちんと生きている人を「自然な人」と呼 び、そうでない人を「不自然な人」呼んで評価します。

つまり、「継続=繰り返し」の有無を評価の基準にして、その人の「まじめさ、正直さ、 素直さ、謙虚さ」を判断している、ということです。

❖継続は力なり。「まじめ、正直、素直、謙虚」という言葉に「引退」の二文字はない。

「心が折れない悩み方」を身につけるための方策は多々ありますが、しかし、どんなに 理に適(かな)った方法や手段であっても、それを実践するのは「私たち個々の人間」です。

しかも、一度や二度の実践で叶(かな)うものもあれば、日々、努力の限りを尽くしても、 なかなか達成できないものもあります。

そうした時、中途で諦めたり、投げ出してしまえば、それまでの苦労が水の泡(あわ)にな り、「心が折れない」どころか、意に反して心が折れる結果を招きかねません。

「継続(けいぞく)は力なり」という言葉がありますが、その意味は「継続」つまり、何を するにも繰り返すことが大事で、それが最大の力になるということです。

私たちの日常生活は、朝、起きて着替えを済ませ、食事をして、学校や仕事で出かける、 そして帰宅して寝(ね)るという「起床・飲食・排泄・睡眠」の基本的生活を繰り返して、生 きています。

また、このような生活を送ることが、「健康的な生活」の証(あか)しであり、誰もが望ん でいますが、悩みやストレスを抱え、メンタル不調に陥(おちい)ると基本的な生活リズムが 崩れて「繰り返す」ことができなくなります。

この項では、継続、すなわち「繰り返す」ということは、私たちにとってどのような意 味を持つのか、また、継続するために何が必要なのかについて考えます。

ところで、日常生活で私たちが毎日繰り返しているのは、基本的生活リズムと言われる 「起床・飲食・排泄・睡眠」ですが、その前に私たちが繰り返している、最も大事なこと があるのをご存知でしょうか。
その答えは「呼吸」と「心臓の鼓動(こどう)」です。

「吸(す)って吐(は)いて、また、吸って吐く」という呼吸と、一定のリズムで身体全体に 血液を送り出す「心臓の鼓動」は生きている間、片時(かたとき)も休みなく、繰り返してい ます。
もし、呼吸や心臓のリズムが止まったり、乱れるようなことがあれば、私たちは立ちど ころに生命の危機にさらされます。

つまり、私たちの生活は、「呼吸や心臓の鼓動」の繰り返しによって支えられ、それが 「起床・飲食・排泄・睡眠」という「基本的生活リズム」を生み、そして、仕事や学校に 行くという「社会的生活リズム」に繋(つな)がっていることを忘れてはいけません。

悩みを抱え生活の、 リズムを崩(くず)して、生きる人。
話す言葉の内容は、 いつも決まって憂うつで、 ネガティブ思考に満ちている。 そこで「呼吸」に聞きたくて、 恥(は)ずかしながら聞いてみた。

「いやだぁ」「参ったぁ」「困ったぁ」と、 吐き出すグチは、 そっくりそのまま、 吸(す)うことになる。 グチを吐くから、グチっぽいのか、 グチっぽいから、グチを吐くのか、 「呼吸」は解っているはずと、 そうした気持ちで、尋(たず)ねたが、 「呼吸」は答えてくれません。

しかし、「言葉」というものに、 神秘(しんぴ)な力があることを、 「呼吸」は教えてくれました。

古く日本に昔(むかし)から、伝わり続ける、「言霊(ことだま)の霊(れい)」。 言葉の一言(ひとこと)一言に、「霊(れい)」が宿(やど)ると、人は言う。

信じる、否(いな)かは、その人の、「思いや気持ち」に任(まか)せるが、 言われてみれば、「なるほど」と、妙(みょう)に納得、うなずける。

明るく、元気に生きる人。 話す言葉はポジティブで、夢と希望に満ちている。 「憂(ゆう)うつ」抱(かか)えて、生きる人。 「いやだぁ」「参ったぁ」「困ったぁ」と、言葉に「グチ」が付いている。

そう!そう!!、思い浮かべれば、 小さい時に父・母が、 言葉に「心」が隠れてる、 願いごとは、「良く」しろ!!と、 言われたことを思い出す。

「育(そだ)ち」は良くても、「育(そだ)て」が悪い、 自分育(じぶんそだ)てが悪ければ、 人生、「無駄(むだ)花」、 「枯(か)れすすき」・・・・ってか。

また、繰り返すという行為は、私たちに絶対的な「安定と安心」を与えるという意味を 持っています。

「呼吸や心臓の鼓動」をはじめ、私たちにとって継続、すなわち繰り返すという行為は、 個々の生活をはじめ、社会の中のあらゆる分野で大きな意味を持っています。

例えば、企業や商店が事業を継続することで、社会貢献を図りながら、そこで働く従業 員や店主の生活に精神的かつ物理的(経済的)に「安定と安心」を与えたり、公共交通機関が、時刻どおりにいつも決まって運行を繰り返すことで、利用者に「安定と安心」与えて います。

毎年、繰り返し訪れる自然界における「四季の移(うつ)ろい」も、私たちに感動と安らぎ を与えます。

では何故、継続、すなわち繰り返すことで私たちは「安定と安心」を得るのでしょうか。 その理由は、普段、起きている時(覚醒(かくせい)時)は、神経を張りめぐらし、常に緊張し ながら活動している私たちの脳は、「繰り返しや、繰り返されること」でそのはたらきが 弱くなり、脳の活動水準が下がることで、私たちは「安定と安心感」を感じます。

つまり、私たちの脳は、継続、すなわち「繰り返しのリズム」に弱いという性質を持っ ています。
眠れない時、眠気(ねむけ)を誘う「羊が一匹、羊が二匹・・」と数え続けることや、雨だ れの「ピタン、ピタン・・」と落ちる音を聞くことで気分が穏やかになり、眠くなる背景 には、「継続、すなわち繰り返す」という共通点があります。

余談ですが、居眠り運転をはじめ、会議中での居眠り、日向(ひなた)ぼっこをしながらの 「こっくりさん」など、いろんな場面で「居眠り」の風景を見かけますが、その背景には、 車であれば次々にすれ違う車や、車窓(しゃそう)から流れる風景が、「目」には「繰り返し の対象」になり、会議などで話す人の言葉は、「耳」には、単調な繰り返しの「音」にな ります。

但し、私たちが起きてから寝るまで、「基本的な生活」をいくら時間通りに繰り返して も、決して「眠くなる」ことはないので心配いりません。
むしろ、「心の安定と安心」が得られ、日々の生活が充実します。

ところで、禅(ぜん)寺や座禅(ざぜん)の「禅(ぜん)」という言葉の意味をご存じでしょうか。 「禅」という字は、昔(むかし)は「示(しめす)」辺(へん)に、「単」と書かれています。
その意味は、「単」を「示す」こと、つまり、「単純な行動」を繰り返すことで、「心の安 定と安心」を得(え)る、目的で修行(しゅぎょう)をしています。

座禅を組み、私たち人間にとって、最も「単純な行動」である呼吸をひたすら整え、瞑 想(めいそう)を続ける中で悩みの元である、「こだわりやとらわれ、思い込みや決めつける」 という、「煩悩(ぼんのう)」を無(な)くし、絶対的心の安定と安心を得るため、厳(きび)しい環 境の中で修行をしています。

このことを私たちの生活に置き換えると、例えどのような状況であれ、基本的生活リズムを守り、日々のすべきこと、やるべきことをきちんと行う、ことになります。

ところが現実は、突発的な出来事や予想外のことが起き、予定通りに行かない場合が 多々あります。
それでも自分へ期待し、可能性を信じ、自棄(やけ)を起こしたり、投げやりな気持ちにな らず、頑張り続けることが大事である、と言っています。

このことは、禅の世界でも同じことが言えます。 座禅を組み、呼吸を整え、瞑想を続ける中で、絶対的心の安定と安心を求めるわけですが、 どんなに修行を積み重ねても、また、高僧と崇(あが)められる人も、そのような心境に辿(た ど)りつけるものではない、と言います。

それでも「禅僧(ぜんそう)」が日々、厳しい修行を続けるのは、禅の教えである、「不可 能」と思えることでも、決して諦めることなく、「可能」にするために「努力」する、つまり、「努力を続けること」が大事であるという禅の目的に従い、修行をしています。

では、私たちが「継続」、すなわち「繰り返す力」を身につけるにはどうすれば良いの でしょうか。

一般的に継続できない人は、一度決めたことを自ら変えてしまう優柔不断(ゆうじゅうふ だん)なところがあるとか、自信をなくすと立ち上がれない、他人のことが気になり気にす る、さらに、「楽(らく)なこと」を求める、目移(めうつ)りが激しい、責任感が弱い、そして、 「適(あ)たりばったりで適当」な場当たり的性格であるなど、ざっとこのような理由が思 い浮かびます。

しかし、継続できない人のすべてに共通しているのは、「まじめ、正直、素直、謙虚」に 生きるという、基本的な姿勢が欠けています。

仕事には、 「定年(ていねん)」があり、
食べ物に、 「賞味期限(しょうみきげん)」があるけれど、 「まじめ、正直、素直に謙虚」、「生き方」支えるこの文字の、
「引退時期」や「定年」は、この世に人が住む限(かぎ)り、 いくら待っても、来(こ)ないでしょう。

「生き方」支えるこの文字を、 もしも粗末(そまつ)に扱えば、 たちまち不幸に見舞われて、 たった一度の人生が、 空(むな)しく、儚(はかな)く、つまらない、 無駄な「時間」になるでしょう。

何ごとにも、「まじめに取り組む。正直に対応する。素直な気持ちを持つ。謙虚さを忘 れない」生き方は、悩みを克服したり、失敗や過(あやま)ちをなくし、挫折などピンチを乗 り越える上で大きな力を与えてくれます。

特に、メンタルサプリ「心が折れない悩み方」は、「まじめ、正直、素直、謙虚」に生き る四つ姿勢がなければ、身につけることは勿論(もちろん)、実践することはできません。

また、「まじめ、正直、素直、謙虚」に生きる態度は、他人の前で示すことより、自分自 身の心の中で育(はぐく)み、自分の生き方に反映(はんえい)させなければなりません。

❖[図解] MHPC「L」型公式

ここで、MHPC の「L 型」公式の図解を説明します。
私たちは起床、飲食、排泄(はいせつ)、睡眠という基本的生活リズムを守り、さまざまな 分野でさまざまな生活を繰り返しています。

また、私たちを取り巻く自然界も、春は新緑(しんりょく)、夏は盛夏(せいか)、秋は紅葉(こ うよう)、冬は白銀(はくぎん)という季節を繰り返しながら、時(とき)を刻(きざ)んでいます。

そのためか、私たちは生活リズムを崩さず、きちんと生きている人を「自然な人」と呼 び、そうでない人を「不自然な人」呼んで評価します。

つまり、「継続=繰り返し」の有無を評価の基準にして、その人の「まじめさ、正直さ、 素直さ、謙虚さ」を判断している、ということです。


代表・矢吹孝志(やぶきたかし) 福島県生まれ

*MHPC代表、健康・教育カウンセラー
*レジリエンスセラピスト
*公立学校共済組合福島県支部「こころのケア事業」
 ・委託カウンセラー
*ティーペック(株)東京/大阪 ・委託カウンセラー
*システムブレーン/ライセンスアカデミー(講師派遣会社)
 ・登録講師
*NPO法人・日本フリースクール協会理事

書籍案内

「子どもは親を選べない」
幻冬舎ルネッサンス

「心の病はこうして直す」
文芸社

「余意の生き方」
現代書林

MHPCマインドヘルスパーソナリティセンター
〒963-8813 福島県郡山市芳賀2丁目21-10
TEL 024-943-1678 FAX 024-943-1686

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