11.「人間力と人間関係力」を身につける。

❖⑤「人間力と人間関係力(にんげんかんけいりょく)」を身につける。

私たちは、人を避けては生きていくことはできません。常に私たちの周りには、家族や兄弟姉妹、親戚一同、隣人(りんじん)をはじめ、新たな人と の出会いがあり、寝ている「ひとり世界」の時間を除けば、常に人との関わりがあります。

このように日々、不特定多数のさまざまな人間関係の中で生きる私たちにとって、健や かに生きるためには、まず「基本的な人間力」と、人との付き合いに欠かせない「人間関係力」が必要です。

ところで、私たちの悩みは、人間関係の中で起きていると言っても、過言(かごん)ではあ りません。
性格や気質をはじめ、好みや価値観、考え方や受け止め方など、お互いに違う者同士が 関わり合うため、いつも平穏(へいおん)な関係を保つことはできず、トラブルや諍(いさか)い が起きるのは当然のことかもしれませんが、人とのトラブルはできる限り、避けたいもの です。

そのため、「基本的な人間力」で求められるのは、自らの健康を保つことを第一に考え、 人に迷惑をかけない生き方をするということです。

レジリエンス「折れない心」を身につける目的は、①心が折れた状況を速やかに克服し て、心の健康を回復するということ、加えて②日頃の生活で「心が折れない」生き方を心 掛けるという、ふたつの目的があります。

そしてそのためには、当然観や両面観をはたらかせることや、さらに、常識やマナーを はじめ、道徳心や倫理観などモラルを身につけ、人に迷惑をかけないとか、生活リズムを 崩(くず)さず、自己肯定観を持って常に前向きに生きるなど、心身ともに健康な生活を送る ため、「基本的な人間力」が必要である、ということです。

人として、 社会を生きていくために、 なくてはならないものがある。

常識やマナー、モラルに倫理観、 道徳心を持たないで、 社会を生きるということは、 先の見えない暗闇(くらやみ)を、 灯(あか)りを消して、 歩くとか、目隠(めかく)しをして、よろよろと、 道路を渡るようなもの。 その先の結果は、クドクド言わずとも、 おそらく、きっと、皆さんは、 解っていると、思います。

備(そな)えがあれば、憂(うれ)いなし。
常に、結果を予測して、準備万端(じゅんびばんたん)整(ととの)えて、 夢と希望を胸に秘(ひ)め、 期待を持って、生きること。
人間力を身につける、 手っ取り早い、手段です。

また、生きていく上で「人との付き合い」をなくすことができないため、円滑(えんかつ) なコミュニケーションを図る「人間関係力」が必要になります。

ところで、「人との付き合い」とは、「付き合う」ことだから「付き過(す)ぎても、付き足 (た)りなくても」人間関係はうまく取り結べません。
お互いの人差し指を伸ばし、その接する部分が付き合う位置だとイメージして下さい。 お互いの指先が、ちょうど良い位置で触れている状態です。

また人付き合いには、「課題(かだい)の分離」が重要なポイントになります。 人とのトラブルの原因は、相手の「課題」に入り込むか、自分の「課題」に入り込まれる ことによって起こると言われます。

人付き合いのよい人は、 互いの立場を尊重し、 互いの「好み」を喰(く)い合って、 互いに成長しています。

人付き合いの悪い人。
相手の「好み」を喰(く)い過(す)ぎて、 腹痛(はらいた)起こしている人や、 自分の「好み」を押し付けて、 余計(よけい)な世話が徒(あだ)になる、 「有り難(がた)迷惑」 かける人。

ちなみに、「課題の分離」の「課題」とは、自分の責任や管理の上で成(な)すべきこと、 または、やらなければならない、つまり『役目』のことを言い、相手にとっても、自分の 責任や管理の上で成すべきこと、または、やらなければならない、という意味があります。

要するに、自分の問題か、自分に関係することか、または、相手の問題か、相手に関係 することか、ということを十分、わきまえて、お互いの「課題」つまり、「領域や管轄(かんかつ)内」に、入り込まない人付き合いをしなければなりません。

世界では、他国の領域(特に空と海)に入り込んで、領海や領空を侵犯(しんぱん)している 国や、魚や海産物を取るため、他国の領海に侵入(しんにゅう)して、拿捕(だほ)されるなどの 問題を起こしている国がありますが、正に、「課題の分離」違反?をしています。

「馬を水辺(みずべ)に連れていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」という諺(ことわざ)がありますが、その意味は、「馬も喉(のど)が渇(かわ)いているだろう、川へ 連れて行って水を飲ませてあげよう」と飼い主が水辺に馬を連れて行きますが、馬は一向 に水を飲もうとしません。

そこで飼い主が「わざわざ川に連れて来たのに、何故、水を飲まないのか」と無理やり 馬に水を飲まそうとして、馬の足で蹴(け)られて大けがをした」という内容です。

この内容でも解かるように、飼い主が馬を水辺に連れて行くことは「飼い主の課題=役 目」ですが、そこで水を飲むか、飲まないかを決めるのは「馬の課題(ここでは気持ち)」で あり、明らかに飼い主が馬の課題に入り込んでいることが解ります。

私たちの社会に置き換えれば、相手に対する「気配(きくば)りや心配り」は大切だが、そ れが相手への押し付けや強制になってはいけない、ということです。

もし、気配りや心配りが相手への押し付けや強制になるような場合、「何故、そうなる のか」を考えなければなりません。

おそらく自分は気づかないだろうが、気配りや心配る内容に対し、相手からのお礼や感 謝の言葉など、心の中で「見返り」を求めています。

気配りや心配りをするのは「自分の課題」であり、そのことで相手がどのように反応す るかは「相手の課題」であって自分が干渉(かんしょう)することではありません。

ちなみに、気配りや心配りは「これ見よがし」とあてつけがましく行うものではなく、 相手が気づかないところに何気(なにげ)なく配(くば)る「無償の行為」です。

気がついて、気が利(き)いて、気を配(くば)る人。 つき合って、気持ちがいい人。 気配(きくば)りや心配(こころくば)りというものは、 相手の「利益(りえき)」を考えて、 気づかぬところに、さりげなく、 言葉や態度で示すもの。

「これ見よがし」と自慢げに、 気配る態度を示したら、「有り難(がた)、迷惑」 かけるほか、 「余計なお世話」を「おみやげ」に、 相手の課題に入り込み、 トラブル起こすもとになる。

相手を思う気の利(き)いた、 「一歩、先読(さきよ)む」心とか、 先を見通(みとお)し予測する、 「察(さっ)する」心がないならば、 人に対する気配りは、 「私はできぬ」と諦(あきら)めて、 自分に対する「気配り」に、 専念(せんねん)された方(ほう)がいい。

さらに、お互いに性格や気質、好みや価値観が違う者同士が関わり合う私たち人間社会 では、「課題の分離」を図るために、相手に対して常に「伺う」という言葉や態度で接しな ければなりません。

特に、会話は「私はこう思うが、どう思う」とか、「いかがでしょうか」と、自分の意見 をはっきり伝え、その結果、相手の意見と同じならば「折り合い」、そうでなければ、「人 それぞれ考えや意見は違ってもよい」とか、「違ってもお互いさま」と割り切り、あるが まま受け入れることで、無用なトラブルを避けることができます。

つまり、人付き合いの基本は、「伺って、折り合って、そうでなければすっきり、さっぱ り、お互いさまと割り切る」ことが大事です。

人間関係において、「伺って、折り合って、お互いさま」の関係を保つことが、「心が折 れない悩み方」の基本であると考えなければなりません。

また、人間関係では「説得をしたり、激励や慰(なぐさ)め、叱責する」という行為は、「課 題の分離」がなされていないため、場合によってはトラブルを引き起こすことになります。

「説得」には、論理的に納得させようとする「論理説得」や、相手を威嚇(いかく)したり、 脅(おど)かすことで納得させようとする「威嚇(いかく)説得」、さらに、「泣き落とし」と言わ れる「感情説得」がありますが、人との付き合いは、説得の関係ではなく、互いに「伺う」 ことで気づき合う、「納得の関係」でなければなりません。

何故なら、人付き合いは「伺う」態度で接(せっ)しなければ、「なあ、なあ」の関係がで き、「説得や慰め、激励や𠮟責」を平気でするようになり、悪気(わるぎ)がなくても、知ら ず知らずのうちに「相手の課題」に入ったり、入り込む恐れが出てきます。

さらに、「人間関係」とは「仲良(なかよ)し、こよし」になることではありません。 元々(もともと)、性格や気質、好みや価値観など「百人百様(ひゃくにんひゃくよう)」さまざま に違う者同士が「仲良し、こよし」になれるわけがありません。

ところが、世間には「仲良し、こよし」になることが「理想的な人付き合い」のあり方 と考えている人がいますが、それは大きな間違いです。

「仲良し、こよし」になるということは、相手の機嫌を損(そこ)なわないように常に神経 を使い、顔色を伺ったり、言いたいことも言わずに我慢したり、無用な気遣(きづか)いをし なければならないので、人と関わることに煩(わずら)わしさが生まれます。

勿論、人付き合いで他人を気遣い、心配りをすることは大切なことですが、そのことで 「心に負担」が生じ、人と関わることで憂うつになったり、煩わしさを感じるのであれば、 元も子もありません。

むやみに人間関係に「仲良し、こよし」を求める人は、「自分を犠牲にして他者のために 生きる」というアディクション(悪い思考習慣)を身につけている可能性があります。
「自分を犠牲にして、他者のために生きる」とは、「自分がない」とか「自己喪失(じこそ うしつ)」という、自分を持たない生き方をしています。

自分という存在が実感できなければ、生きがいや、やりがいと言った心の満足感をはじ め、達成感を得ることができないため、いつも「生きにくさ」や人との「関わりづらさ」 を感じながら生きていくことになります。

このように、人間関係で「仲良し、こよし」になることを前提に、人付き合いをしてい る人は、いつか人付き合いに疲れて、心が折れてしまう恐れがあるので、くれぐれも注意 が必要です。

それから、日々の生活で「モチベーション」すなわち、「やる気」を保つことも大事な 「人間力」です。

モチベーション=「やる気」を高める方法は多々ありますが、中でも、自分の行為や行 動が社会貢献につながり、世間から高い評価を受けたとか、志(こころざし)を同じくする仲 間や同僚(どうりょう)から認められたり信頼されれば、モチベーション=やる気が高まると 同時に、自分に対する「期待や可能性」である自己効力感が得られ、自信を持つことがで きます。

また、「人間力や人間関係力」を高める上で大切なことは、家族、または信頼できる仲間 や、愛する人を「心の支(ささ)え」にします。

私たちは仕事の面でも、人間関係でも、困難な状況を乗り越えなければならない時があ ります。

そのような時、「この仕事を終(お)えたら、家族とゆっくり食事に出かけよう」とか、「今 度の休みには、恋人との旅行がある、それまでにこの仕事を片(かた)づけておこう」など、 家族や誰か大切な人を思い浮かべたり、「楽しいこと」を計画することで、頑張る力が湧 (わ)いてきます。

モチベーションを高めたり、 「やる気」や「その気」を出すための、 手っ取り早い方法は、 「快」を求めて、「不快」を避ける、 自分の脳(のう)を頼ること。

いわゆる、脳というものは、 楽しいことや楽なこと、 嬉しいことや好きなこと、 さらに、お金をもらったり、 煽(おだ)てられたり、 褒(ほ)められりゃ、 「盆(ぼん)と正月」、来(き)たように、 子どものようにはしゃぎます。 つまり、「やる気」が高まって、 頑張る力が出てきます。

しかし、罰金(ばっきん)、罰則(ばっそく)や、 苦痛(くつう)を与えるやる!!からと、 脅(おど)され、強要(きょうよう)されたなら、 嫌々(いやいや)ながらも、やるという、 「悲しい性(さが)」を持ってます。

脳というのは、報酬(ほうしゅう)に、 からきし弱い性質を、 持っているため、快(こころよ)い、 報酬与えて利用すりゃ、 モチベーションや「やる気」など、 常に高めてくれるでしょう。

さらに、人に助けを求める「援助希求能力(えんじょききゅうのうりょく)」を持つことも、大 事な「人間力や人間関係力」です。

私たちは日々、平穏無事(へいおんぶじ)に暮らしているわけではありません。 突発的な出来事が起きたり、長い間、解決できない問題を抱えていたり、自力ではどうに もならない時が多々あります。

そうした時、「助けて下さい」とか、「力を貸して下さい」と人に助けを求める「援助希 求能力」が低いと、悪い状況から脱却できず、最悪の事態を招くことがあります。

ところが、世間には人に助けを求めたり、「人を頼る」ことに、強い抵抗感や拒否感を持 っている人がいます。

人に助けを求めることに抵抗を感じるのは、遠慮深(えんりょぶか)く、人に何かを頼むこ とに戸惑(とまど)いを感じる人や、自己責任感が強く「こうなったのは自分の責任である」 と一方的に思い込むタイプや、プライドが高く「人にものを頼むなんて、恥ずかしい」と頼むことに抵抗感を持つ人で、その多くは、「断られたらどうしよう」とか、「断られて傷 つきたくない」または「人を当てにしても解決するわけはない」と心の中で考えています。

特に、私たち日本人は、小さい時から道徳や倫理観をはじめ、礼儀作法など「規律を重 (おも)んじる」教育を受けてきた影響もあり、「自己管理や自己責任」の大切さを強く意識 する「国民性」があります。
「自分のことは、自分の責任で解決しなさい」とか、「人に弱音を吐いたり、人をあて にするな」と「自力」で生きることを重要視(じゅうようし)されてきた経緯があります。

その影響かどうか、定(さだ)かではありませんが、近年、自殺や孤独死、貧困やセルフネ グレクト=自己放任をはじめ、DV(ドメスティック・バイオレンス)や虐待(ぎゃくたい)、 さらに、さまざまなハラスメントで悩む当事者の「最悪の事態」を見た時、世間から「何 故、こうなる前に誰かに助けを求めなかったのだろう」とか、「誰かに相談していたらこ んなことにならずにすんだのに」と言われる背景には、明らかに本人の「援助希求能力」 の低さがあります。

人生、すべては 「自力」である。 自力がなければ、 始まらない。

他力(たりき)は確かに、大事だが、 数ある他力のその中で、 自分にとって役に立つ、 他力を見分(みわ)ける力とは、 自力をおいてほかにない。

困った時は「助けて」と、 他力の力を借りるのは、 恥(は)ずべきことでは ありません。 人に援助を求めたり、 弱音を吐くのを「良し」とする、 自愛(じあい)の心を大切に、 生きていくのも「自力」です。

自分の身が危機にさらされているのに、命を懸(か)けてまで「恥」をかくのを嫌(いや)が ったり、プライドにこだわるのは、愚(おろ)かなことです。 「助けてもらったら、恩(おん)返しをする」とか、「いつも援助を必要としているわけでは ない」、『今だけ』と割り切る気持ちを持つことが大切です

現代のストレス社会を生きる私たちは、普段、何も問題がなく元気な時にこそ、「困っ た時や悩みを抱えた時の対処法」を考えておかなければなりません。

つまり、「援助希求能力」とは、危険な状況を回避し、危機を乗り越える「クライシスマ ネジメント=危機管理力」であると同時に、「心が折れない悩み方」のひとつです。

さらに、現代社会は学歴社会や競争社会と言われるように、あらゆるところで格差が生 まれていますが、本来、人間関係の場は「競争の場」ではありません。
職場や学校をはじめ、サークルやクラブなど、人の集まる場所を競争の場と考えず、「仲 間を増やす場」と考えます。

相手の良いところを見つけて褒(ほ)めるとか、互いに協力し合い、認め合い、譲り合う 「共存共栄の精神」で結ばれた組織は、危機に強い組織になります。
「取り合えば無くなるが、分ければ余(あま)る」という言葉どおり、人付き合いは常に「共 に生きる」ことを中心に考えます。

ところで「人間力や人間関係力」とは、人付き合いに関するものだけではなく、私たち が一個の人間として、社会の中で健やかに生きるための力、全般を言っています。

私たちが生きる社会は、百人百様、多種多様、いろんな「人の集まり」だから、対人関 係のトラブルなど、さまざまな人為的(じんいてき)な問題に直面します。

また、地震や水害など突発的に起きる自然災害や、予期しない事件や事故などさまざま な出来事に見舞われる時もあります。

そうした状況の中で、平常心を保ち、適切に対処することができる「社会適応能力」が「人 間力であり人間関係力」です。

そして、「人間力や人間関係力」を高めることは、「心が折れない悩み方」を身につける 大きな力になります。

❖⑤「人間力と人間関係力(にんげんかんけいりょく)」を身につける。

私たちは、人を避けては生きていくことはできません。常に私たちの周りには、家族や兄弟姉妹、親戚一同、隣人(りんじん)をはじめ、新たな人と の出会いがあり、寝ている「ひとり世界」の時間を除けば、常に人との関わりがあります。

このように日々、不特定多数のさまざまな人間関係の中で生きる私たちにとって、健や かに生きるためには、まず「基本的な人間力」と、人との付き合いに欠かせない「人間関係力」が必要です。

ところで、私たちの悩みは、人間関係の中で起きていると言っても、過言(かごん)ではあ りません。
性格や気質をはじめ、好みや価値観、考え方や受け止め方など、お互いに違う者同士が 関わり合うため、いつも平穏(へいおん)な関係を保つことはできず、トラブルや諍(いさか)い が起きるのは当然のことかもしれませんが、人とのトラブルはできる限り、避けたいもの です。

そのため、「基本的な人間力」で求められるのは、自らの健康を保つことを第一に考え、 人に迷惑をかけない生き方をするということです。

レジリエンス「折れない心」を身につける目的は、①心が折れた状況を速やかに克服し て、心の健康を回復するということ、加えて②日頃の生活で「心が折れない」生き方を心 掛けるという、ふたつの目的があります。

そしてそのためには、当然観や両面観をはたらかせることや、さらに、常識やマナーを はじめ、道徳心や倫理観などモラルを身につけ、人に迷惑をかけないとか、生活リズムを 崩(くず)さず、自己肯定観を持って常に前向きに生きるなど、心身ともに健康な生活を送る ため、「基本的な人間力」が必要である、ということです。

人として、 社会を生きていくために、 なくてはならないものがある。

常識やマナー、モラルに倫理観、 道徳心を持たないで、 社会を生きるということは、 先の見えない暗闇(くらやみ)を、 灯(あか)りを消して、 歩くとか、目隠(めかく)しをして、よろよろと、 道路を渡るようなもの。 その先の結果は、クドクド言わずとも、 おそらく、きっと、皆さんは、 解っていると、思います。

備(そな)えがあれば、憂(うれ)いなし。
常に、結果を予測して、準備万端(じゅんびばんたん)整(ととの)えて、 夢と希望を胸に秘(ひ)め、 期待を持って、生きること。
人間力を身につける、 手っ取り早い、手段です。

また、生きていく上で「人との付き合い」をなくすことができないため、円滑(えんかつ) なコミュニケーションを図る「人間関係力」が必要になります。

ところで、「人との付き合い」とは、「付き合う」ことだから「付き過(す)ぎても、付き足 (た)りなくても」人間関係はうまく取り結べません。
お互いの人差し指を伸ばし、その接する部分が付き合う位置だとイメージして下さい。 お互いの指先が、ちょうど良い位置で触れている状態です。

また人付き合いには、「課題(かだい)の分離」が重要なポイントになります。 人とのトラブルの原因は、相手の「課題」に入り込むか、自分の「課題」に入り込まれる ことによって起こると言われます。

人付き合いのよい人は、 互いの立場を尊重し、 互いの「好み」を喰(く)い合って、 互いに成長しています。

人付き合いの悪い人。
相手の「好み」を喰(く)い過(す)ぎて、 腹痛(はらいた)起こしている人や、 自分の「好み」を押し付けて、 余計(よけい)な世話が徒(あだ)になる、 「有り難(がた)迷惑」 かける人。

ちなみに、「課題の分離」の「課題」とは、自分の責任や管理の上で成(な)すべきこと、 または、やらなければならない、つまり『役目』のことを言い、相手にとっても、自分の 責任や管理の上で成すべきこと、または、やらなければならない、という意味があります。

要するに、自分の問題か、自分に関係することか、または、相手の問題か、相手に関係 することか、ということを十分、わきまえて、お互いの「課題」つまり、「領域や管轄(かんかつ)内」に、入り込まない人付き合いをしなければなりません。

世界では、他国の領域(特に空と海)に入り込んで、領海や領空を侵犯(しんぱん)している 国や、魚や海産物を取るため、他国の領海に侵入(しんにゅう)して、拿捕(だほ)されるなどの 問題を起こしている国がありますが、正に、「課題の分離」違反?をしています。

「馬を水辺(みずべ)に連れていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」と いう諺(ことわざ)がありますが、その意味は、「馬も喉(のど)が渇(かわ)いているだろう、川へ 連れて行って水を飲ませてあげよう」と飼い主が水辺に馬を連れて行きますが、馬は一向 に水を飲もうとしません。

そこで飼い主が「わざわざ川に連れて来たのに、何故、水を飲まないのか」と無理やり 馬に水を飲まそうとして、馬の足で蹴(け)られて大けがをした」という内容です。

この内容でも解かるように、飼い主が馬を水辺に連れて行くことは「飼い主の課題=役 目」ですが、そこで水を飲むか、飲まないかを決めるのは「馬の課題(ここでは気持ち)」で あり、明らかに飼い主が馬の課題に入り込んでいることが解ります。

私たちの社会に置き換えれば、相手に対する「気配(きくば)りや心配り」は大切だが、そ れが相手への押し付けや強制になってはいけない、ということです。

もし、気配りや心配りが相手への押し付けや強制になるような場合、「何故、そうなる のか」を考えなければなりません。

おそらく自分は気づかないだろうが、気配りや心配る内容に対し、相手からのお礼や感 謝の言葉など、心の中で「見返り」を求めています。

気配りや心配りをするのは「自分の課題」であり、そのことで相手がどのように反応す るかは「相手の課題」であって自分が干渉(かんしょう)することではありません。

ちなみに、気配りや心配りは「これ見よがし」とあてつけがましく行うものではなく、 相手が気づかないところに何気(なにげ)なく配(くば)る「無償の行為」です。

気がついて、気が利(き)いて、気を配(くば)る人。 つき合って、気持ちがいい人。 気配(きくば)りや心配(こころくば)りというものは、 相手の「利益(りえき)」を考えて、 気づかぬところに、さりげなく、 言葉や態度で示すもの。

「これ見よがし」と自慢げに、 気配る態度を示したら、「有り難(がた)、迷惑」 かけるほか、 「余計なお世話」を「おみやげ」に、 相手の課題に入り込み、 トラブル起こすもとになる。

相手を思う気の利(き)いた、 「一歩、先読(さきよ)む」心とか、 先を見通(みとお)し予測する、 「察(さっ)する」心がないならば、 人に対する気配りは、 「私はできぬ」と諦(あきら)めて、 自分に対する「気配り」に、 専念(せんねん)された方(ほう)がいい。

さらに、お互いに性格や気質、好みや価値観が違う者同士が関わり合う私たち人間社会 では、「課題の分離」を図るために、相手に対して常に「伺う」という言葉や態度で接しな ければなりません。

特に、会話は「私はこう思うが、どう思う」とか、「いかがでしょうか」と、自分の意見 をはっきり伝え、その結果、相手の意見と同じならば「折り合い」、そうでなければ、「人 それぞれ考えや意見は違ってもよい」とか、「違ってもお互いさま」と割り切り、あるが まま受け入れることで、無用なトラブルを避けることができます。

つまり、人付き合いの基本は、「伺って、折り合って、そうでなければすっきり、さっぱ り、お互いさまと割り切る」ことが大事です。

人間関係において、「伺って、折り合って、お互いさま」の関係を保つことが、「心が折 れない悩み方」の基本であると考えなければなりません。

また、人間関係では「説得をしたり、激励や慰(なぐさ)め、叱責する」という行為は、「課 題の分離」がなされていないため、場合によってはトラブルを引き起こすことになります。

「説得」には、論理的に納得させようとする「論理説得」や、相手を威嚇(いかく)したり、 脅(おど)かすことで納得させようとする「威嚇(いかく)説得」、さらに、「泣き落とし」と言わ れる「感情説得」がありますが、人との付き合いは、説得の関係ではなく、互いに「伺う」 ことで気づき合う、「納得の関係」でなければなりません。

何故なら、人付き合いは「伺う」態度で接(せっ)しなければ、「なあ、なあ」の関係がで き、「説得や慰め、激励や𠮟責」を平気でするようになり、悪気(わるぎ)がなくても、知ら ず知らずのうちに「相手の課題」に入ったり、入り込む恐れが出てきます。

さらに、「人間関係」とは「仲良(なかよ)し、こよし」になることではありません。 元々(もともと)、性格や気質、好みや価値観など「百人百様(ひゃくにんひゃくよう)」さまざま に違う者同士が「仲良し、こよし」になれるわけがありません。

ところが、世間には「仲良し、こよし」になることが「理想的な人付き合い」のあり方 と考えている人がいますが、それは大きな間違いです。

「仲良し、こよし」になるということは、相手の機嫌を損(そこ)なわないように常に神経 を使い、顔色を伺ったり、言いたいことも言わずに我慢したり、無用な気遣(きづか)いをし なければならないので、人と関わることに煩(わずら)わしさが生まれます。

勿論、人付き合いで他人を気遣い、心配りをすることは大切なことですが、そのことで 「心に負担」が生じ、人と関わることで憂うつになったり、煩わしさを感じるのであれば、 元も子もありません。

むやみに人間関係に「仲良し、こよし」を求める人は、「自分を犠牲にして他者のために 生きる」というアディクション(悪い思考習慣)を身につけている可能性があります。
「自分を犠牲にして、他者のために生きる」とは、「自分がない」とか「自己喪失(じこそ うしつ)」という、自分を持たない生き方をしています。

自分という存在が実感できなければ、生きがいや、やりがいと言った心の満足感をはじ め、達成感を得ることができないため、いつも「生きにくさ」や人との「関わりづらさ」 を感じながら生きていくことになります。

このように、人間関係で「仲良し、こよし」になることを前提に、人付き合いをしてい る人は、いつか人付き合いに疲れて、心が折れてしまう恐れがあるので、くれぐれも注意 が必要です。

それから、日々の生活で「モチベーション」すなわち、「やる気」を保つことも大事な 「人間力」です。

モチベーション=「やる気」を高める方法は多々ありますが、中でも、自分の行為や行 動が社会貢献につながり、世間から高い評価を受けたとか、志(こころざし)を同じくする仲 間や同僚(どうりょう)から認められたり信頼されれば、モチベーション=やる気が高まると 同時に、自分に対する「期待や可能性」である自己効力感が得られ、自信を持つことがで きます。

また、「人間力や人間関係力」を高める上で大切なことは、家族、または信頼できる仲間 や、愛する人を「心の支(ささ)え」にします。

私たちは仕事の面でも、人間関係でも、困難な状況を乗り越えなければならない時があ ります。

そのような時、「この仕事を終(お)えたら、家族とゆっくり食事に出かけよう」とか、「今 度の休みには、恋人との旅行がある、それまでにこの仕事を片(かた)づけておこう」など、 家族や誰か大切な人を思い浮かべたり、「楽しいこと」を計画することで、頑張る力が湧 (わ)いてきます。

モチベーションを高めたり、 「やる気」や「その気」を出すための、 手っ取り早い方法は、 「快」を求めて、「不快」を避ける、 自分の脳(のう)を頼ること。

いわゆる、脳というものは、 楽しいことや楽なこと、 嬉しいことや好きなこと、 さらに、お金をもらったり、 煽(おだ)てられたり、 褒(ほ)められりゃ、 「盆(ぼん)と正月」、来(き)たように、 子どものようにはしゃぎます。 つまり、「やる気」が高まって、 頑張る力が出てきます。

しかし、罰金(ばっきん)、罰則(ばっそく)や、 苦痛(くつう)を与えるやる!!からと、 脅(おど)され、強要(きょうよう)されたなら、 嫌々(いやいや)ながらも、やるという、 「悲しい性(さが)」を持ってます。

脳というのは、報酬(ほうしゅう)に、 からきし弱い性質を、 持っているため、快(こころよ)い、 報酬与えて利用すりゃ、 モチベーションや「やる気」など、 常に高めてくれるでしょう。

さらに、人に助けを求める「援助希求能力(えんじょききゅうのうりょく)」を持つことも、大 事な「人間力や人間関係力」です。

私たちは日々、平穏無事(へいおんぶじ)に暮らしているわけではありません。 突発的な出来事が起きたり、長い間、解決できない問題を抱えていたり、自力ではどうに もならない時が多々あります。

そうした時、「助けて下さい」とか、「力を貸して下さい」と人に助けを求める「援助希 求能力」が低いと、悪い状況から脱却できず、最悪の事態を招くことがあります。

ところが、世間には人に助けを求めたり、「人を頼る」ことに、強い抵抗感や拒否感を持 っている人がいます。

人に助けを求めることに抵抗を感じるのは、遠慮深(えんりょぶか)く、人に何かを頼むこ とに戸惑(とまど)いを感じる人や、自己責任感が強く「こうなったのは自分の責任である」 と一方的に思い込むタイプや、プライドが高く「人にものを頼むなんて、恥ずかしい」と頼むことに抵抗感を持つ人で、その多くは、「断られたらどうしよう」とか、「断られて傷 つきたくない」または「人を当てにしても解決するわけはない」と心の中で考えています。

特に、私たち日本人は、小さい時から道徳や倫理観をはじめ、礼儀作法など「規律を重 (おも)んじる」教育を受けてきた影響もあり、「自己管理や自己責任」の大切さを強く意識 する「国民性」があります。
「自分のことは、自分の責任で解決しなさい」とか、「人に弱音を吐いたり、人をあて にするな」と「自力」で生きることを重要視(じゅうようし)されてきた経緯があります。

その影響かどうか、定(さだ)かではありませんが、近年、自殺や孤独死、貧困やセルフネ グレクト=自己放任をはじめ、DV(ドメスティック・バイオレンス)や虐待(ぎゃくたい)、 さらに、さまざまなハラスメントで悩む当事者の「最悪の事態」を見た時、世間から「何 故、こうなる前に誰かに助けを求めなかったのだろう」とか、「誰かに相談していたらこ んなことにならずにすんだのに」と言われる背景には、明らかに本人の「援助希求能力」 の低さがあります。

人生、すべては 「自力」である。 自力がなければ、 始まらない。

他力(たりき)は確かに、大事だが、 数ある他力のその中で、 自分にとって役に立つ、 他力を見分(みわ)ける力とは、 自力をおいてほかにない。

困った時は「助けて」と、 他力の力を借りるのは、 恥(は)ずべきことでは ありません。 人に援助を求めたり、 弱音を吐くのを「良し」とする、 自愛(じあい)の心を大切に、 生きていくのも「自力」です。

自分の身が危機にさらされているのに、命を懸(か)けてまで「恥」をかくのを嫌(いや)が ったり、プライドにこだわるのは、愚(おろ)かなことです。 「助けてもらったら、恩(おん)返しをする」とか、「いつも援助を必要としているわけでは ない」、『今だけ』と割り切る気持ちを持つことが大切です

現代のストレス社会を生きる私たちは、普段、何も問題がなく元気な時にこそ、「困っ た時や悩みを抱えた時の対処法」を考えておかなければなりません。

つまり、「援助希求能力」とは、危険な状況を回避し、危機を乗り越える「クライシスマ ネジメント=危機管理力」であると同時に、「心が折れない悩み方」のひとつです。

さらに、現代社会は学歴社会や競争社会と言われるように、あらゆるところで格差が生 まれていますが、本来、人間関係の場は「競争の場」ではありません。
職場や学校をはじめ、サークルやクラブなど、人の集まる場所を競争の場と考えず、「仲 間を増やす場」と考えます。

相手の良いところを見つけて褒(ほ)めるとか、互いに協力し合い、認め合い、譲り合う 「共存共栄の精神」で結ばれた組織は、危機に強い組織になります。
「取り合えば無くなるが、分ければ余(あま)る」という言葉どおり、人付き合いは常に「共 に生きる」ことを中心に考えます。

ところで「人間力や人間関係力」とは、人付き合いに関するものだけではなく、私たち が一個の人間として、社会の中で健やかに生きるための力、全般を言っています。

私たちが生きる社会は、百人百様、多種多様、いろんな「人の集まり」だから、対人関 係のトラブルなど、さまざまな人為的(じんいてき)な問題に直面します。

また、地震や水害など突発的に起きる自然災害や、予期しない事件や事故などさまざま な出来事に見舞われる時もあります。

そうした状況の中で、平常心を保ち、適切に対処することができる「社会適応能力」が「人 間力であり人間関係力」です。

そして、「人間力や人間関係力」を高めることは、「心が折れない悩み方」を身につける 大きな力になります。


代表・矢吹孝志(やぶきたかし) 福島県生まれ

*MHPC代表、健康・教育カウンセラー
*レジリエンスセラピスト
*公立学校共済組合福島県支部「こころのケア事業」
 ・委託カウンセラー
*ティーペック(株)東京/大阪 ・委託カウンセラー
*システムブレーン/ライセンスアカデミー(講師派遣会社)
 ・登録講師
*NPO法人・日本フリースクール協会理事

書籍案内

「子どもは親を選べない」
幻冬舎ルネッサンス

「心の病はこうして直す」
文芸社

「余意の生き方」
現代書林

MHPCマインドヘルスパーソナリティセンター
〒963-8813 福島県郡山市芳賀2丁目21-10
TEL 024-943-1678 FAX 024-943-1686

Copyright(C) 2016  MHPC All Rights Reserved