「価値」が「勝ち」を与える。

「勝ち」は「価値」

平均寿命は八十年、 ゲームなんだよ、人生は、笑って暮らして生きなけりゃ、 生きてる甲斐がないじゃない。

競争社会に飲み込まれ、 買った負けたと「喜憂」して、空しい人生、送るのも、 人それぞれで勝手だが、も少し「眼(まなこ)」を見開けば、 うるおいのある生活や、生きがいのある生活が、 そこらここらに見えてくる。

力がないのに勝ちたがり、 「負けない」ことだけ考えりゃ、苦しくなるのは当たり前。

勝った、負けたにこだわって、 勝ってはおごり高ぶって、負ければ悔やんで落ち込んで、 仏頂面で生きている。

他人がどうあれ何であれ、 「我、関せず」と悠々と、のんびりゆったり生きていりゃ、 ほんとの「勝ち」というものは、自然に後からついてくる。

「勝ち」というのは勝つ「価値」が、 ある人だけに与えられ、「価値」のない人、 永遠に、 手にすることはないでしょう。

ちなみに人生、「負け組」は、 どんな事情があろうとも、くどくど弁解してみたり、 うだうだ愚痴をこぼさずに、勝つ「価値」がない人間と すっきりさっぱり諦めて、 生きていくしかありません。

しかし、そうした潔(いさぎよ)さ、 割り切り感はともすれば、「価値」を高めることになり、 「負け組」脱して「勝ち組」の、仲間に入り勝つ「価値」を、 手にすることができるかも。

とにかく結果はどうであれ、 「負け組」脱して生きたけりゃ、そうした努力をすることが、 「価値」あることかもしれません。

「価値」というのは世間から、 広く支持され人として、存在感が示されて、 重宝がられることをいう。

人生、生きてる証しとは、 日々の暮らしや生活で、まじめ、正直、素直さに、 謙虚な気持ちで生きていりゃ、誰もが羨(うらや)む人間の、 「価値」の上積み図れます。

「枯れ木も山の賑わい」で、 たとえ小さなことであれ、「価値」の重ね着、着て生きる、 そうしたことを常日頃、

肝に銘じて生きていりゃ、 人生、勝負の場面では、決して負けたりしないでしょう。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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よそ見の功罪エトセトラ

「よそ見」の功罪エトセトラ。

動物は「よそ見」しながら生きている。

動物がひとつのことに集中し、 「よそ見」しないで生きたなら、周囲に対する警戒や、 身の安全が守られず、肉食獣に襲われて、 たちまち命を 亡(な)くすでしょう。

人間は、「よそ見」をしないで生きるのが、正しいことと教えられ、一途に守ってきたけれど、「よそ見」をするということは、そんなに悪いことなのか、「よそ見」の功罪、あれこれと、探ってみるのも必要だ。

「よそ見」をするということは、集中力がなくなって、注意散漫、気がゆるみ、能率、効率下がるとか、失敗したり過ちを犯すリスクもあるだろう。

さらに加えて言うならば、日々の暮らしや生活で、嫉妬をしたり、羨望や、劣等感を抱くなど、人付き合いで悩むのは、他人のことが気になって、 「よそ見」をしている証しです。

人の「悩み」というものは、「あの日、あの時、あの人が」と、他人に対し、あれこれと、 「よそ見」をするから、生まれます。

他人を「よそ見」する前に、自分に集中していれば、悩み苦しむことはない。

ところで、「よそ見」の良い点は、まじめに「よそ見」をすることで、広い視点が持てるとか、マンネリ感がなくなって、ワンパターンに陥らず、斬新、尚且つユニークな、新たな発想生まれたり、心身共にリフレッシュ、できたりするから、有り難い。

とかく味ある人生は、一見、無意味と思われる、「よそ見」の中で生まれると、思った方がいいみたい。

道交法で禁止する、「わき見運転」することを、進めるわけではないけれど、車を運転する時も、適度に「よそ見」をしなければ、交通事情を的確に、判断できずに事故に遭う、リスクがあるということです。

日々の暮らしや生活で、 「ゆとり」がなくては、いけないが、「のんべんだらり」と続けては、 「ゆるみ、たるみ」の元になる。

ゆとりを持って「よそ見」すりゃ、自己成長に欠かせない、新たな気づきやひらめきが、湧いてくるから有り難い。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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「諦める「」という真の意味。

「諦める」という真の意味。

「あの時、ああしていたならば」、「こうしていればよかった」と、いくら悔やんで嘆いても、 後の祭り言うべきか、悲しいことに現実は、正に「そうしていた」わけで、過ぎた時間は戻りません。

専売特許じゃあるまし、悩みを抱えている人が、昼夜を問わず口にする、 「たら、れば」言葉にさよならし、この際すっきり潔(いさぎよ)く、 諦めるしかありません。

漢字の本家の中国じゃ、 「諦める」というその意味は、「明らか」という意味を持つ、 言葉だそうだ、解るかい?

日本のように仕方なく、 納得するとか無理をしてイヤイヤながら受け入れる、 ことでは一切ないのです。

すべての物ごと出来事は、 「起こるべくして起こるもの」、「成るべくして成った」という、 「必然、当然の法則」に、基づく結果であるために、 逆らうことはできません。

そうであるならこれからは、 無駄な抵抗やめにして、すべては「必然、当然」の、 結果であると解釈し、自ら進んで「あるがまま」、 受け入れなければなりません。

「諦める」という根拠には、 「当然観」というものが、あると思えば「諦観」の、 言葉の意味も解るはず。

往生際が悪いのは、 「諦める」という切り替えが、できないところに、 あるのです‼

「諦める」という前向きな、 「受容」の心があるならば、たとえ、どんなに辛くても、 日々の生活行動は、停滞しなくて済むのです。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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「壁」の功罪エトセトラ

壁というのは一定の、 方向性を保つのに、なくてはならないものである。

複雑怪奇に入り組んだ、 迷路も壁があることで、 出口にたどり着くのです。

壁というのはこのほかに、 失敗、過ち、間違いを、未然に防いでくれるほか、前にはだかり 戒める 禁止や自制の壁もありゃ、 自己成長に欠かせない 試練を与える壁もある。

さらに加えて言うならば、 雨、風凌(しの)いでくれるのも、 暑さ寒さを防ぐのも、外の敵から身を守り、 平和に暮らしていけるのも、 壁のおかげと心得る。

いずれの「壁」もこのように 身の安全を守るため、 必要不可欠大切な、貴重なものと心得る。

日々の暮らしや生活で、 「追い風」に乗り順調に、暮らしていればそれも良し。

しかし、時には「向かい風」、 まともに受けて苦悩する,逆風感じたその時は 「前に進んでいるんだ」と、 気持ちを新たに立ち向かう。

「向かい風」とは自らが、 成長している「証し」だと 教えてくれる有難い、 「無言の壁」と言えましょう。

♪風、風、吹け吹けもっと吹け、 「向かい風」ならさらに吹け‼♪・・・てっか。 

養老孟司も言ってるよ。 「バカの壁」とは自らの バカさ加減が生みだした「自業自得」の壁だって‼

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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「やぶ」のつぶやき、ひとり言

「やぶ」のつぶやき、ひとりごと。この意味・・・わかる?  

〇悩みは、ネガティブな思いや感情に「こだわり、とらわれ、そして勝手に思い込んだり決めつける」から生まれるんだって。もし、ポジティブ思いや感情だったら、気力や活力、生きるパワーになるから一度、考えてみない‼

〇「あの時ああしていたら」「こうしていれば」と悔やんでも、現実、「そうしていた」んだよ‼人生は「自作自演の悲喜劇」と、武者小路実篤も言ってるよ。

〇すべての物ごとや出来事の結果は、「起こるべくして起こった、成るべくして成った」当然結果なんだってよ‼だったら、素直に受け入れて、グズグズしないで先のことを考えた方がいいみたい。

〇動、植物は生命力を駆使して,状況に反応しながら生きている。人間は知恵を駆使して、状況をあるがままに受け入れ、適応しながら生きている。しかし、「悩んでいる人」は、「いやだぁ、参った、困ったぁ」と反応するから苦しいわけよ。

〇人は、失敗した時は、それなりに反省するが、成功した時の「経過考察」をしない。そこに「勝ちグセ」がつかない理由があるみたい。

〇本当の気配りや心配りというものは、本人が気づかぬところに配るもの!これ見よがしに配っても、ありがた迷惑かけるだけ。

〇人はすぐ「答え」を出したがるが、答えとは、「出す」ものではなく、「探す」もの。あれこれ考え、探すところに、ほんとうの「答え」に出会うんだって‼

〇人を不幸にする最も有害なものは、「自分の世界でしか通用しない論理や考え」である。とってつけたような「言い訳」や「論理をすりかえる」人は要注意‼

〇「脳みそ」は常に「学ぶ習性」の持つ。進化している人は、常に「脳みそ」を足で運んでいる。ひとつの「行動」は、百の「苦悩」に勝るってホントの話だよ。

 

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