人が「悩む」ということは、 「あの時ああしていたならば」、「こんなわけではなかった」と、 愚痴を吐いたり、悔恨の、思いにこだわり、とらわれる。
さらに加えて言うならば、 「この状態が続いたら」、「この先、一体どうなるの」、 不安な思いが湧き上がり、「きっと、おそらくそうなる」と、 自分勝手に思い込み、一方的に決めつける。
悩みを抱えている人の、 共通パターンというものは、「不満」な思いや感情に、 こだわり続けてとらわれて、「不安」な思いや感情を、 「もしかしたらそうなる」と、思い込んでは決めつける。
悩みを抱えている時は、 常に気分は憂うつで、起きる時間に起きられず、 食べる時間に食べられず、やるべきことができなくて、 日々の生活行動が、 停滞、後退するのです。
子どもであれば不登校や、 大人は就労困難に、陥り解雇をされるとか、 子どもは退学処分など、新たな悩みが加わって、 苦しむことになるのです。
そして最後は「無気力」や、 極度の精神不安から、「医療の援助」を受けるとか、 「反社会的行動」を、余儀なくされてしまうなど、 三つのリスクを負いながら、生きて行くしかありません。
ならば、「悩み」を速やかに、 解決していく方法を、「悩み」と向き合い半世紀、 その経験を基にして、不肖、「やぶ」のひとりごと、 つぶやくことに致しましょう。
そもそも「悩み」というものは、 生きるためには必要で、なくすものではありません。なくなるものでもありません。
むしろ成長するために、 悩みは欠かせぬ「必需品」。夢や希望を叶えたり、 幸せ求めて生きるには、あれやこれやと模索して、 試行錯誤をくり返し、悩まなければなりません。
「悩み」があるから人々は、 幸せつかんで朗らかな、 明るい日々が送れます。
「悩み」と言うのは不可能を、 可能にできる「優(すぐ)れもの」、明るい未来を切り開く、 「心の刃(やいば)」になるのです。
「そのうち何とかなるだろう」,「どうせ、今さら何になる」、平和ボケした考えで、 のんべんだらりと生きていりゃ、やがて不幸を招き入れ、 侘しい日々を送るでしょう。
いわゆる「悩み」の中味には、 プラスの意味や価値を持ち、活力与えるポジティブな、 悩みもあれば反対に、停滞招くネガティブな、 ふたつの悩みがありまして、問題なのはマイナスの、 意味や価値持つネガティブな、悩みを抱えてウダウダと、 生きてちゃダメと言うのです。
幸、不幸の分かれ道、 分岐にあるのは「悩み方」、 どちらを選んで進むかは、 「あなた」の希望でご自由に、 どちらの道も選べます。
ところで悩みを速やかに、 解決するには「あるがまま、受け入れる」という究極の、 「受容の心」が欠かせません。
「たら、れば」思考で悔やんでも、 すべての物ごと出来事は、「起こるべくして起こるもの」、 「成るべくして成った」という、当然観に基づいた、 考え方や捉え方、 受け止め方が必要です。
さらに加えて言うならば、 行動起こしていくために、ピンチはチャンスと言うように、 両面観をはたらかせ、その時々の状況の、 中からプラスの意味や価値、見出す努力をしたならば、 「目先の一歩」を歩むのに、大きな力になるでしょう。
そして最後は「自信」です。おっかなびっくり生きてても、 何の役にも立ちません。
自信というのは字の如く、 自分を信頼することで、自分の持ってる可能性、 ひたすら信じて期待する。
さらに自分に対しては、 「かけがえのない存在」と、自分を大事にするならば、 どんな時でもくじけずに、「目先の一歩」は末永く、 歩み続けることでしょう。
当然観に両面観、 肯定観の「三つ矢」、束ねて生きていくならば、 現代社会のストレスに、打ち克ち、逆境乗り越えて、どんな過酷な困難にも、へこたれないで生きて行く、 「折れない心」が育まれ、心的挫折を予防する、 「知的武装」が叶うでしょう。
人が生きるということは、 たとえどんなに辛くても、あるがままに受け入れて、 その時、「できる行動」を、続けることで状況を、 変えていく時間の連続が、 人生なんだと心得る。
そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼
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