「言い訳」する「訳」、どんな「わけ」?
「突然、雨が降ったから、 Bまで行けなかった」とか、「やろうと思って始めたが、 途中で機械が故障して、 残念ながら諦めた」、一見、まともな話でも、 鵜呑みにしてはいけません。
「Aの原因あったから、 Bできない」と言う人の、 最もらしい「言い訳」に、信憑性(しんぴょうせい)はありません。
もともと心の根っこには、 「やりたくない」とか「したくない」、そうした「心の目的」が、 先にあるため言い訳や、論理のすり替えするのです。
ほんとに「やりたい」「したい」という、 強い思いがあるならば、どんな理由があろうとも、 途中でやめたりしないもの。
いろんな方法、模索して、 やるべきことを果たすでしょう。
心理学者のアドラーは 、これを「見かけの因果律」、「原因論」と「目的論」、 その名で詳しく言ってます。
さらに加えて言うならば、 イヤな思いはしたくない 叱責、注意は受けたくない、人の意見は聞きたくない、まして自分が傷ついて、苦しい思いはしたくない。
「ない、ない」づくしのその中で、 「自分がよければそれでよい」、そのことだけを考えて、 何かにつけて言い訳や、論理のすり替えするのです。
いやはや脳というものは、 自分の保身のためならば、その場しのぎの言い訳や、 論理のすり替えするという、大した技(わざ)を持つのです。
生きてく上で「自己防衛」、 「自己保身」を図るのは、確かに大事であるけれど、 論理をすり替え、言い訳を、してまで「自分を守る」のは、 愚かなことじゃないですか。
論理のすり替え言い訳を、 なくすためには常日頃、何かを始めるその前に、 本気でやりたいことなのか、できればやりたくないことか、 自分の心に向き合って、確認するといいみたい。
ちなみに、論理のすり替えや、 言い訳グセがついている、人というのは、「でも、だけど、 だって、どうせ」と言う言葉、好んで使うそのために、 すぐに見分けがつくでしょう。
そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼
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