あらゆる「答え」は過去のある

あらゆる「答え」は過去にある。

人生は、過去・現在・未来へと、 続く時間であるけれど、生きるというのは現在の、 「今」の時間を言うのです。

そして「今」ある時間とは、 一秒過ぎれば過去という、 時間の一部になるのです。

ところで悩みや問題を、 解決しようとあれこれと、模索をするけどほとんどは、 正しい答えというものに、 めぐり合うとは限らない。

何故なら「これからどうしよう」 「今後、どうすりや良いのだろう」多くの人が考える、 「これから、今後」というものは、 「未来」を表す言葉です。

未来というのは曖昧で、 やってみなけりゃわからない。それより悩みや問題の、 起きた理由を知ることが、手っ取り早い方法で、 確かな答えにめぐり合う。

過去がすべてを知っている。 悩みや問題解決の、 正しい答えというものは、 過去の時間にあるのです。

肥満を解消するために、 痩せるためにはどうしたら、良いかを模索するよりは、 過去の太ったきっかけや、 経緯を知れば良いことで、 あらゆる物ごと出来事の、 解決策というものは、 過去の時間にあるのです。

仮に肥満であるならば、 空腹任せに好きなもの、 腹いっぱいに食べたとか、 運動不足であったとか、 はたまた、心や病んでいて、 過食を余儀なくされたなど、 肥満になって当然の、 過去の経緯があるのです。

肥満を解消したければ、 過去の経緯を省みて、 肥満にならない生活に、 変えていくしかありません。

たった一度の人生を、 夢あるものにしたければ、 「反省猿」も及ばない、 過去から学ぶ生き方を、 実践すれば良いのです。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。

「価値」が「勝ち」を与える。

「勝ち」は「価値」

平均寿命は八十年、 ゲームなんだよ、人生は、笑って暮らして生きなけりゃ、 生きてる甲斐がないじゃない。

競争社会に飲み込まれ、 買った負けたと「喜憂」して、空しい人生、送るのも、 人それぞれで勝手だが、も少し「眼(まなこ)」を見開けば、 うるおいのある生活や、生きがいのある生活が、 そこらここらに見えてくる。

力がないのに勝ちたがり、 「負けない」ことだけ考えりゃ、苦しくなるのは当たり前。

勝った、負けたにこだわって、 勝ってはおごり高ぶって、負ければ悔やんで落ち込んで、 仏頂面で生きている。

他人がどうあれ何であれ、 「我、関せず」と悠々と、のんびりゆったり生きていりゃ、 ほんとの「勝ち」というものは、自然に後からついてくる。

「勝ち」というのは勝つ「価値」が、 ある人だけに与えられ、「価値」のない人、 永遠に、 手にすることはないでしょう。

ちなみに人生、「負け組」は、 どんな事情があろうとも、くどくど弁解してみたり、 うだうだ愚痴をこぼさずに、勝つ「価値」がない人間と すっきりさっぱり諦めて、 生きていくしかありません。

しかし、そうした潔(いさぎよ)さ、 割り切り感はともすれば、「価値」を高めることになり、 「負け組」脱して「勝ち組」の、仲間に入り勝つ「価値」を、 手にすることができるかも。

とにかく結果はどうであれ、 「負け組」脱して生きたけりゃ、そうした努力をすることが、 「価値」あることかもしれません。

「価値」というのは世間から、 広く支持され人として、存在感が示されて、 重宝がられることをいう。

人生、生きてる証しとは、 日々の暮らしや生活で、まじめ、正直、素直さに、 謙虚な気持ちで生きていりゃ、誰もが羨(うらや)む人間の、 「価値」の上積み図れます。

「枯れ木も山の賑わい」で、 たとえ小さなことであれ、「価値」の重ね着、着て生きる、 そうしたことを常日頃、

肝に銘じて生きていりゃ、 人生、勝負の場面では、決して負けたりしないでしょう。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。