「疑り深く執念深い」方がいい。

疑り深く、執念深い人がいい。

世間にゃいろんな人がいて、 中でも疑(うたぐ)り深い人、 執念深い人がいる。

疑り深くその上に、 執念深いとくるならば、 おそらく人はためらって、 その身を引いてしまうでしょう。

できれば付き合いなくしたい、 お友だちにはなりたくない、 正直、言えばそのような、 気持ちになるのも無理はない。

ところがどっこい然(さ)に非(あら)ず、 疑り深いというものと、 執念深いというものの、 「中味」を正しく知ったなら、 「鬼に金棒」人生を、 エネルギッシュに逞(たくま)しく、 生きる力が得られます。

人は誰でも過ちや、 しくじり、失敗、へまをして、 日頃、暮らしているけれど、 そうしたことをできるだけ、 なくしていくには適切な、 「判断力」とさらに又、 「分析力」と「持続力」、 三つの力を身につける、 必要性があるのです。

物ごとしっかり分析し、 正しく判断する時は、 疑り深さが必要で、 あるとないのじゃ天と地の。 差があることを知りましょう。

つむじ曲りと呼ばれても、 頑固者だと言われても、 常に冷静沈着に、 物ごと、とことん疑って、 深く掘り下げ考えて、 いろんな角度で見るという、 「疑り深さ」が必要です。

問題意識がない上に、 疑問を持たずにそのままに、 素直に受けていたならば、 分析力や洞察の、 精度は落ちてしまいます。

さらに加えて言うならば、 継続力や持続力、 常に保っていたいなら、 自分が納得するまでは、 決して途中で諦めず、 粘ってすがってしがみつく、 「執念深さ」が必要です。

人から顰蹙(ひんしゅく) 買うような、 疑り深さや執念は、 慎(つつし)まなければならないが、 分析力や持続力、 判断力を身につける、 ための「疑る、執着」は、 深いにこしたことはない。

ちなみに次の人たちに、 分析力や持続力、 判断力を求めても、 無理、無駄、無意味で難儀(なんぎ)かも。

洞察力に関しては、 世間で言われるノー天気。 何の疑問も抱かずに、 すぐに信用する人は、 他人が「こうだ」と言うことを、 鵜呑(うの)み、丸呑み断われない、 言われるままのお人好し。

争うごとを好まずに、 傷つくことを避けたがる、 平和ボケしている人や、 渡る世間に鬼はなし、 疑うことは「悪い」こと、 信じて生きている人の、 「疑り深さ」は 頼りない。

継続力に関しては、 「自分はダメ」と決めつける、 肯定感のない人や、 そのうち何とかなるだろと、 自分自身のことなのに、 主体性がない上に、 呑気(のんき)に構える「傍観者(ぼうかんしゃ)」。

さらに加えて言うならば、 「今更、どうにもならない」と、 始める前からできないと、 やる気なくして諦める、 こうした人を筆頭に  理由はどうあれ何であれ、 鳴かず飛ばずの人生を、 生きてる人が持っている、 「疑り深さ」や「執念の、 深さ」の程度は知れている。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみればごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。