「落差」は魅力の元である

「落差」は魅力の元である。

 律儀(りちぎ)な人というものは、 常に真面目に正直に、 謙虚な態度を忘れずに、生きてる人がほとんどで、 誰から見ても好感が、 持てる人だと言えましょう。

しかし、こうした人たちは、 理想の人であるけれど、 余りに完璧、出来過ぎて、味わい深さや人として、 「魅力」があるかと考えりゃ、 物足りなさを感じます。

一般的に魅力とは、 人間性の問題や、 外見上の善し悪しで、 判断されているけれど、 ホントの「魅力」というものは、 それらに加えて「ハッ」とする、 「意外な面」があってこそ、 人の心を惹(ひ)きつける、 魅力が生まれる気がします。

普段、「真面目」で 通(とお)っている、 人がダジャレや 冗談(じょうだん)を、 言えば周りの人たちは、 思いもよらない出来事に、 きっと驚くことでしょう。

とかく魅力というものは、 「エッ!ウソー!マジ?」にさらに又、 「まさか・・」の思いが加って、 良いイメージが伝われば、 それが魅力になるのです。

意外なことや予期しない、 「まさか」と言うのは「落差(らくさ)」です。

良いイメージの「落差」とは、 魅力に繫がる重要な、 要因であると心得る。

華厳(けごん)の滝や白糸(しらいと)の、 滝も「落差」があるために、 眺(なが)める人を魅了(みりょう)する。

田んぼの水口(みなくち)掘割を、 チョロチョロ流れているような、 滝であったら人は皆、 誰も見向きはしないでしょう。

さらに加えて言うならば、 「能ある鷹(たか)は爪(つめ)隠す」 爪を隠してバカをやる。 そこに「落差」ができるから、 魅力が生まれてくるのです。

ちなみに中味が空っぽの、 「能なし鷹」が爪、出せば、 ただの「空(うつ)け」とさげすまれ、 きっとおそらく、確実に、 魅力どころか顰蹙(ひんしゅく)を、 買って終わりになるでしょう。

「バカ」が「おバカ」をやったなら、 「お生命取り」になるだけで、 決してやってはいけません。

も少し詳しく言うならば、 基本に「応用」あるように、 原則ならば「例外」に、 対応するとか「画一(かくいつ)」な、 ことに対する「多様性」、 すべて「落差」の元になる、 大事な要素であるのです。

「応用力」を身につけて、 例外的なことがらに、 適宜「対応できる」とか、 「多様な考え」持つことで、 魅力は自然に生まれます。

ところで「あなた」に「意外性」、 「魅力」と言われることがらが、 ひとつやふたつありますか。

魅力というのはこのように、 日々の暮らしや生活で、 「自分育て」を忘れずに、 努力を重ねていく中で、 自然に生まれてくるのです。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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