「気分は意志」で変えられる。

「気分」は「意志」で変えられる。

朝から晴れて すがすがしい。 失敗続きで 憂うつだ。

人は「感情動物」と、 言われるようにさまざまな、 思いや感情持ちながら、 一喜一憂繰り返し、 悲喜こもごもの生活を、 過ごし続けているのです。

ところであらゆることがらの、ひとつひとつにつきまとう、 喜怒哀楽の感情は、 「気分」であるためなくしたり、 存在自体を否定して、 生きてくことはできません。

楽しい時には ルンルンと、 「快の気分」に包まれて、 積極的になれるとか、 つらい時には憂うつな、 「不快な気分」で行動が、 停滞気味になるという、 変化の中で生きてます。

一般的に言うならば、 本来「気分」というものは、 自然にわき出る感情で、 コントロールができないと、 思いがちだがそうじゃない。

「気分」というのは物ごとや、 出来事すべてに対しての、 考え方や捉え方、 受けとめ方など「解釈」に、 よって生まれる感情で、 解釈次第でいくらでも、 「気分」は変わっていくのです。

プラス思考でポジティブに、 解釈すれば快い、 「気分」が生まれ反対に、 マイナス思考でネガティブに、 解釈すれば憂うつな、 「気分」が生まれてくるのです。

ですから「気分」を変えたけりゃ、 「意志」の力で解釈を、 変えれば良いというのです。

日々の暮らしや生活で、 「気分」は常につきまとう。 特に悩んでいる時は、 「気分」は落ち込み憂うつで、 苦しい時間が続くため、 「あの時ああしていたなら」と、 悔やみ続けているけれど、 悩みがなくなることははい。

それより悩みの内容を、 「意志」の力で冷静に、 深く考察してみると、 失敗したから悩むとか、 トラブル起きて悩むなど、 悩みが生まれる経過には、 「起こるべくして起こる」という、 当然、すなわち必然の、 結果であるのが解ります。

本来「悩み」というものは、 人に「苦しみ」与えたり、 不幸にさせるものでなく、 悩みの内容、本質を、 「意志」の力で考えりゃ、 今後の人生健やかに、 生きてくために自らの、 「生き方」すべてに対しての、 「反省点」や「改善点」、 教えてくれる大切な、 アドバイザーになるのです。

悩みに対する従来の、 ネガティブ思考の「解釈」が、 変われば「気分」も変わります。

「気分」は「意志」で変えられる、 理由はここにあるのです。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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「思考パターン」というものは

思考パターンというものは

人が生きるということは、 過去から現在、未来への、 時間の中を生きてるが、 思考パターンというものは、 未来、現在、過去という、 逆の流れをとるのです。

例えば何かをする場合、 「もしかしたら」と将来に、 起こるであろう出来事や、 状況、結果を予測して、 次に「おそらくそうなる」と、 根拠がないのに思い込み、 何も始めていないのに、 「そうなるはずだ」「そうなるに、 決っている」と決めつける、 そうした思考のコンベヤー、 頭の中でぐるぐると、 「めまい」以上に回ってる。

ところで思考パターンとは、 未来、現在、過去という、 思考の流れを持つけれど、 すべての人が「そうなるに、 決まっている」と決めつけて、 こだわる訳ではありません。

「もしかしたら」と思っても、 「やってみなけりゃ解らぬ」と、 現実的に考えて、 無意味な予測はしないという、 利口な人も多数いる。

ところで、未来を予測して、 ネガティブ思考で「そうなる」と、 一方的に決めつけて、 悩みを抱えている人は、 些細なことを気にしたり、 心配性であるために、 悪い結果を予測して、 「一人芝居」をしています。

さらに加えて言うならば、 始める前から無理だという、 先入観を持つ人や、 固定観念持つ人は、 未来、現在、過去という、 思考パターンのコンベヤー、 ぐるぐる回るその上に、 ネガティブ思考を乗せるため、 こうしたパターンが固定化し、 「観念形成」されるのです。

固定観念、持つ人は、 人の話は聞きません。 例え聞いてもうわの空。 自分の思いや考えに、 こだわり続けて生きてます。

ところで固定観念は、 使い様(よう)ではプラスにも、 マイナスにもなる観(おも)いです。

プラスの面では確固たる、 ぶれない思いや信念で、 中途半端で諦めない、 執着心(しゅうちゃくしん)を生む反面、 被害妄想(ひがいもうそう)さらに又、 関係・誇大(こだい)妄想を、 生むキッカケになるのです。

思考パターンのコンベヤー、 ぐるぐる回るその上に、 どんな「思い」を乗せるかで、 行き着く先が決まります。

ポジティブ思考を乗せるのか、 ネガティブ思考を乗せるのか、 決定するのは自分です。

ポジティブ思考のコンベアー、  回すためには日頃から、 「きっと、おそらく、大丈夫」、 常に自分に期待する、 自己効力感にさらに又、 自分はこの世でただ一人、 「かけがえのない存在」と、 思える「自尊感情」に、 「自分は役に立つ」という、 「自己有用感」を持つのです。

三つの「感情」携えて、 自信を持って生きるなら、 ポジティブ思考のコンベヤー、 いつもぐるぐる順調に、 回り続けることでしょう。

老婆心かも知れないが、 ネガティブ思考を乗せたなら、 「万事、休す」と心得る。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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「落差」は魅力の元である

「落差」は魅力の元である。

 律儀(りちぎ)な人というものは、 常に真面目に正直に、 謙虚な態度を忘れずに、生きてる人がほとんどで、 誰から見ても好感が、 持てる人だと言えましょう。

しかし、こうした人たちは、 理想の人であるけれど、 余りに完璧、出来過ぎて、味わい深さや人として、 「魅力」があるかと考えりゃ、 物足りなさを感じます。

一般的に魅力とは、 人間性の問題や、 外見上の善し悪しで、 判断されているけれど、 ホントの「魅力」というものは、 それらに加えて「ハッ」とする、 「意外な面」があってこそ、 人の心を惹(ひ)きつける、 魅力が生まれる気がします。

普段、「真面目」で 通(とお)っている、 人がダジャレや 冗談(じょうだん)を、 言えば周りの人たちは、 思いもよらない出来事に、 きっと驚くことでしょう。

とかく魅力というものは、 「エッ!ウソー!マジ?」にさらに又、 「まさか・・」の思いが加って、 良いイメージが伝われば、 それが魅力になるのです。

意外なことや予期しない、 「まさか」と言うのは「落差(らくさ)」です。

良いイメージの「落差」とは、 魅力に繫がる重要な、 要因であると心得る。

華厳(けごん)の滝や白糸(しらいと)の、 滝も「落差」があるために、 眺(なが)める人を魅了(みりょう)する。

田んぼの水口(みなくち)掘割を、 チョロチョロ流れているような、 滝であったら人は皆、 誰も見向きはしないでしょう。

さらに加えて言うならば、 「能ある鷹(たか)は爪(つめ)隠す」 爪を隠してバカをやる。 そこに「落差」ができるから、 魅力が生まれてくるのです。

ちなみに中味が空っぽの、 「能なし鷹」が爪、出せば、 ただの「空(うつ)け」とさげすまれ、 きっとおそらく、確実に、 魅力どころか顰蹙(ひんしゅく)を、 買って終わりになるでしょう。

「バカ」が「おバカ」をやったなら、 「お生命取り」になるだけで、 決してやってはいけません。

も少し詳しく言うならば、 基本に「応用」あるように、 原則ならば「例外」に、 対応するとか「画一(かくいつ)」な、 ことに対する「多様性」、 すべて「落差」の元になる、 大事な要素であるのです。

「応用力」を身につけて、 例外的なことがらに、 適宜「対応できる」とか、 「多様な考え」持つことで、 魅力は自然に生まれます。

ところで「あなた」に「意外性」、 「魅力」と言われることがらが、 ひとつやふたつありますか。

魅力というのはこのように、 日々の暮らしや生活で、 「自分育て」を忘れずに、 努力を重ねていく中で、 自然に生まれてくるのです。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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