④「人間力」を身につける。

④「人間力・人間関係力」を身につける。 

他人の空似(そらに)と言われても、 人はそれぞれ別人で、 同じ人ではありません。

世間は「他人」の集まりで、 いろんな人がいる中で、 特にまじめな人間は、 自分を犠牲にしてまでも、 人つき合いを完璧に、 取り結ぼうとするために、 いつも苦しく生きにくい。

「仲良し、こよし」になることが、人付き合いだと思う人、 いずれ人との付き合いで、 「関わりづらさ」を感じつつ、 自ら苦悩を招きます。

ところで人生、生きるには、 人を避けては生きられない。 「人間」という字のように、 「人」の「間(あいだ)」で生きるもの。

そのため、人との関わりや、 人付き合いというものは、 生きてく上で重要な、 テーマであると言いましょう。

人付き合いの「善し悪し」が、 かけがえのない人生の、 「幸、不幸」を決めている、 大きな要素になってます。

人つき合いの良い人は、 相手の「好み」を尊重し、 互いに分け合い食べている。

中には奇特(きとく)な人がいて、 相手の「好み」を喰いすぎて、 腹痛(はらいた)起こしている人や、 自分の「好み」を押しつけて、 顰蹙(ひんしゅく)買われる人もいる。

互いに「好み」を言う時は、 「いかがでしょうか」と伺って、 「好み」に合えば折り合って、 会わない時は遠慮せず、 断ることが大事です。

百人百様、世間には、 いろんな人がいるわけで、 いつも合うとは限らない。合わなくたっていいじゃない。

「人つき合い」をすることに、 むやみに緊張してみたり、 戸惑う人がいるけれど、 人つき合いの基本とは、 伺い合って折り合って、 折り合わなければ無理をせず、 「お互いさま」と別れましょう。

生きてく上で避けられぬ、 人つき合いであればこそ、 「お互いさま」と割り切れる、 心は大事な必需品。

「お互いさま」の心とは、 互いの立場を認め合い、 無用な争い避けながら、 平穏無事でいるための、 「緩衝帯」の意味を持つ、 大事な言葉であるのです。

さらに加えて言うならば、 「課題の分離」が大切で、 「誰がやるべきこと」なのか、 自分」か「相手」か考えて、 「相手」の課題に入らない。

人と人とのトラブルは、 「互い」の「課題」に入り込み、 入り込まれて起こるもの。

「馬を水辺(みずべ)に連れて行く、 ことはできるが馬に水、 飲ませることはできない」と、 諺(ことわざ)にあるその意味は、 水を飲むのか飲まないか、 馬主が決めることでなく、 馬の「気持ち」が決めるもの。

「せっかく連れて来たのに」と、 無理やり水を飲まそうと、 無理強(むりじ)いすればどうなるか、 馬に蹴(け)られてケガをする、 不幸な結果を招きます。

人付き合いも同様に、 互いの課題を尊重し、 「付き足りなく」も「付き過ぎず」 指先同士が触れるような、 程よい位置を保ちます。

過度な説得、慰めや、 激励、叱責することも、 相手の課題に入り込み、 トラブル起こす元になる。

さらに生きてる間には、 突発的な出来事や、 予期せぬことに遭遇(そうぐう)し、 自分で解決することが、 できない時があるはずで、 そうした時は無理をせず、 「助けを求める」ことも又、 大事なことと心得る。

人に「助け」を乞(こ)うという、 「援助希求(えんじょききゅう) 能力」を、  持てない人の心には、 責任感が強いとか、 「断られたらどうしょう」、 「助けを乞(こ)うのは恥ずべき」と、 人に助けを求めたり、 援助を期待することに、 戸惑う思いを持ってます。

「援助希求能力」は、 危険な状況回避(かいひ)して、 危機を乗り切るクライシス、 マネジメントの意味を持つ、 生きるためには不可欠な、 「人間力」のひとつです。

常に、人との関係を、 持つ人生を幸せに、 暮らしていくにはこのような、 「関わり方」を身につける、 ことが大事と言われます。

さらに加えて言うならば、 会社、学校そのほかの、 人が集まる所では、 勝ち負け競う場所でなく、 仲間を増やす場所という、 考え方を持つのです。

さらに信頼する人や、 愛する人や憧れる、 人を持つのも大事です。

人は一人で生きられない、 人と関わり合うことで、 人間力を高めます。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみればごもっとも‼

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