「棚上げ」しないで落ちること

棚上げしないで「落ちる」こと。

レジャーランドや遊園地、 人気の高い乗り物は、 絶叫マシーンやコースター。

人気の秘密は何だろう。 遠路、はるばる出かけては、 行列つくって乗車待ち、 金まで払って得るものは、 瞬時に「落ちた」そのあとの、 全身漂う安らぎを、 人はお金で買っている。

さらに加えて言うならば、 緊張感から一瞬に、 解き放たれた安心感、 心和らぐ感情は、 瞬時であればあるほどに、 後味(あとあじ)を引く快感で、 何故だか人は好みます。

そういう意味で考えりゃ、 「落ちる」魅力というものは、 緊張感をなくしたり、 「安心感」を得るための、 手っ取り早い方法で、 大いに活用すべきです。

ところで「落ちる」と言うことは、 物の落下もそうですが、 「一件落着」するという、 そうした意味もあるのです。

下世話な話になりますが、 お堅い女性を好きになり、 口説き続けたその後で、 デートの約束取り付けた、 男の口から出る言葉、 「ようやく口説き落としたよ」。

さらに契約取り付けた、 セールスマンのひと言は、 「ようやく落ちたよ、あの客が」。

ちなみに「落ちる」と言う言葉、 日々の暮らしや生活の、 いろんな場面で使われる。

も少し詳しく言うならば、 「落ちる」意味とは物ごとが、 解決したというほかに、 高い場所から物体が、 低く安定する場所へ、 落ち着くことを意味します。

不安を抱えている人や、 不満を感じている人は、 「動かし難い現実」を、 あるがままに受け入れず、 イヤだ、参った、困ったと、 「我欲の棚」で身勝手な、 愚痴をこぼしているために、 心はいつも揺れ動き、 安定しない状態を、 余儀なくされているのです。

棚上げする場というものは、 「あのときああしていたならば」、 「こうしていれば良かった」と、 過去にこだわり、とらわれて、 後悔ばかりしてるとか、 自分の失敗、過ちを、 他人のせいにしてみたり、 人を頼ってあてにする、 自己中心の生き方を、 するには最も都合が良い、 居場所なのかもしれません。

不安や不満の葛藤を、 解決したいと思うなら、 こだわり、とらわれ、思い込み、 決めつけている「我」を捨てて、 無意味な「棚」から潔く、 「自分落とし」をしなければ、 解決策はありません。

ちなみに平家の「都(みやこ)落ち」、 源氏を恐れ京を去り、 「都落ち」したそのことで、 心の安堵を得たのです。

「落ちる」というのはこのように、 安らぐ場所に着けるから、 「落ち着く」ことになるのです。

常に人から愛されて、 好感持てる人たちは、 いつも心が落ち着いて、 ゆとりを持って生きている。

平穏無事に生きたけりゃ、 見栄やおごりや自慢など、 「虚勢の棚」でどっかりと、 胡坐(あぐら)をかいてる暇がありゃ、 今すぐ直ちに落ちましょう‼

そして心を改めて、 身の丈を知り、相応に、 真面目に生きて行くのです。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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「折れない心」を身につける。

「折れない心」を身につける。

悩みが解決できなくて、 憂うつ気分でいる人や、 失敗、挫折で落ち込んで、 うだうだしている人は皆、 「心が折れて」いるのです。

「心が折れる」キッカケは、 ストレッサーと呼ばれてる、 人を悩ますさまざまな、 「外力」すなわちストレスで、 「心が歪む」ことにより、 心が折れてしまいます

そのストレスから身を守る、 耐久力や抵抗力、 反発力などストレスに、 負けない力というものが、 レジリエンスと言われてる、 「折れない心」を言うのです。

しかも「折れない心」とは、 タフで強くて強靭な、 心ではなく柔軟で、 しなやかさを持つ心です。

さらに加えて言うならば、 レジリエンスの考えは、 心が折れた状態を、 回復させるだけでなく、 心が折れない状況を、 維持する意味もあるのです。

日々の暮らしや生活で、 幸せ求めて生きるには、 「心が折れない生き方」を、 実践しなけりゃなりません。

実践するには物ごとや、 出来事すべてに対しての、 受け止め方や解釈が、 どうであるかが重要な、 「鍵」を握っているのです。

人生、生きるということは、 日々、さまざまな状況を、 あるがままに受け入れて、 足を止めずに生きること

そのためあらゆる出来事は、 「起こるべくして起こるもの」、 「成るべくして成った」という、 「当然観」で受け止めて、 解釈しなけりゃなりません。

さらに大事なポイントは、 自分も他人も「憂うつ」に、 ならない生き方するのです。

「憂うつ」感を持つことは、 「心が折れる」境界に、 立っているのと同じです。

悩みや心配、困りごと、 抱えているということは、 「憂うつ感」 を持ちながら、 生きていると同じです。

トラブル起こして悩むのも、 病気で体調、崩すのも、 企業が倒産することも、 そこで関わる人たちを、 いずれの場合も「憂うつ」な、 気分にさせていまいます

そのため日頃の生活で、 体調管理に努めたり、 企業が経営合理化を、 図る理由の背景に、 病気を未然に防いだり、 企業が倒産、避けるなど、 レジリエンスの考えが、 広く反映されてます。

さらに加えて言うならば、 「折れない心」を身につけて、 「心が折れない生き方」を、 実践するにはそのほかに、 6つの課題の習得に、 努めなければなりません。

ひとつは「冷静沈着」な、 思考に基づく「冷静さ」

さらにあらゆる場面では、 種々、選択肢を用意して、 多彩な判断できるという、「経路思考」の「柔軟性」。

そして物ごと出来事を 悲観的に考えず、 ポジティブ思考で前向きに、 「なんとかなるさ」と考える、 「楽観思考」も大事です。

加えて人との関係を、 円満、なおかつ円滑に、 取り結ぶのに欠かせない、 対人スキルを身につけて、 「人間力」を高めます。

さらに自分の問題は、 自分で解決するという、 「問題解決」する力、 そして自信の元である、 「自己肯定観」を養えば、 ストレス・逆境・困難に、 打ち克ち、乗り越え、へこたれない、 「折れない心」を身につけて、 日々、健やかに暮らせます。

「折れない心」を身につける、 ための六つのポイントを、 「やぶのつぶやきひとりごと」で、 ①から⑥の内容で、 詳しく投稿されてます。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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⑥「自信力」を身につける。

⑥「自信力」自己肯定観」を身につける。

自信があるのとないのでは、 あらゆる生活行動に、 大きな影響与えます。

自信を持てと人は言う、 確かに自信は大事です。 何故なら自信というものは、 生きる力」を支えてる、 エネルギーのようなもの。

おっかなびっくり生きるより、 自信溢(あふ)れる振る舞いは、 まわりの人を元気にし、 明るい雰囲気もたらして、 気分を良くしてくれるでしょう。

ところで、「自信」というものは、 ふたつの自信に分かれます。

ひとつは体力・学力や、 免許・資格に地位・名誉、 人より優れた能力を、 身につけ自信を持つという、 「能力の自信」にもうひとつ、 自分が存在することに、 対する自信があるのです。

「能力」および「存在」の、 どちらの自信も大事だが、 中でも大事な自信とは、 自分が存在することに、 対する自信と言われます。

ところでよくよく考えりゃ、 ふたつの自信がある中で、 「能力」による自信には、 「確実性」や「絶対性」、 残念ながらありません。

仮に相手の能力が、 自分の能力以上なら、 もろく崩れてしまうという、 リスクが伴う自信です。

スポーツ競技に関わらず、 「勝負ごと」には勝ち負けが、 つきものだから能力が、 あるかないかで決まります。

仮に能力高ければ、 相手に勝利し喜びを、 味わうことができますが、 負ければ気分が落ち込んで、 自信をなくしてしまいます。

ところがどっこい「存在の、 自信」というのは格別な、 「ガッツ」を秘めているのです。

負けても「なにくそ今度こそ」、 「必ず、勝つ‼」と奮起(ふんき)する、 「ガッツ」なパワーを持ってます。

そうしたパワーの中味には、 「自己肯定観」と言われてる、 「自尊感情、効力感、 自己有用感」の三つから、 生まれる「思い」があるのです。

も少し詳しく言うならば、 「自分は捨てたものじゃない」、 「かけがえのない存在」と、 自分を尊(とうと)ぶ「自己愛」に、 基づく「自尊感情」や、 「きっと、おそらく、大丈夫」、 「やればできる」と期待する、 「自己効力感」にさらに又、 「自分は役に立っている」、 「無用な人ではない」という、 「有用感」を持つことで、 自信の根っこを支えてる、 「肯定観」が生まれます。

「自己肯定観」の「自信」とは、 ストレス、逆境、困難に、 打ち克ち、乗り越え、へこたれない、 「折れない心」の根幹を、 しっかり支えているのです。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。

⑤「問題解決力」を持つ。

⑤「問題解決力」を身につける。

日々の暮らしや生活で、 何ごともなく穏やかに、 平穏無事に暮らしてる、 人は一人もおりません。

人生、生きてる間には、 大なり小なりさまざまな、 悩みを抱えて生きてます。

ところで、悩みを速やかに、 解決できる人もいりゃ、 悩みが解決できなくて、 日々憂うつな生活を、 続ける人もいるのです。

ところで両者の間には、 どんな違いがあるのでしょう。

悩みを解決する時は、 三つの「自覚」が必要で、 悩みは自分の問題で、 「解決するのは自分」だと、 当事者意識を持つことや、 悩みの本質知ることで、 問題点を分析し、 解決法を考える、 問題意識を持ちながら、 必ず解決するという、 解決意欲を持つのです。

ところで三つの「意識」とは、 悩みの解決のみならず、 生きるためには欠かせない、 「意識」であると言えましょう。

ところが悩みの解決が、 できずに苦悩する人は、 こうした自覚はありません。

あるのは「セルフサービング、  バイアス」という偏(かたよ)った、 思いを抱いているのです。

その場しのぎの言い訳や、  自分に都合が良いように、 勝手に論理をすり替えて、  悩みのホントの原因と、 真正面から向き合わず、 「逃げてかわして避ける」ため、 解決どころかさらに又、  苦悩を続けているのです。

さらに加えて言うならば、 失敗したり過ちを、 犯した時の言い訳や、 理由を事前に用意して、 自分のミスを隠したり、 傷つくことを予防する、 「セルフハンディキャッピング」。

いずれも事実と向き合わず、 その場しのぎをするための、 歪(ゆが)んだ思いに基づいて、 「嘘つき人生」重ねます。

「認知の歪み」と一言で、 片づけるのはたやすいが、 こうした思いで生きたなら、 まともな人生送れない。

当事者意識とさらに又、 問題意識持ちながら、 解決意欲を高めれば、 起こるであろうさまざまな、 自分に関わる「問題の、 解決力」が生まれます。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。

④「人間力」を身につける。

④「人間力・人間関係力」を身につける。 

他人の空似(そらに)と言われても、 人はそれぞれ別人で、 同じ人ではありません。

世間は「他人」の集まりで、 いろんな人がいる中で、 特にまじめな人間は、 自分を犠牲にしてまでも、 人つき合いを完璧に、 取り結ぼうとするために、 いつも苦しく生きにくい。

「仲良し、こよし」になることが、人付き合いだと思う人、 いずれ人との付き合いで、 「関わりづらさ」を感じつつ、 自ら苦悩を招きます。

ところで人生、生きるには、 人を避けては生きられない。 「人間」という字のように、 「人」の「間(あいだ)」で生きるもの。

そのため、人との関わりや、 人付き合いというものは、 生きてく上で重要な、 テーマであると言いましょう。

人付き合いの「善し悪し」が、 かけがえのない人生の、 「幸、不幸」を決めている、 大きな要素になってます。

人つき合いの良い人は、 相手の「好み」を尊重し、 互いに分け合い食べている。

中には奇特(きとく)な人がいて、 相手の「好み」を喰いすぎて、 腹痛(はらいた)起こしている人や、 自分の「好み」を押しつけて、 顰蹙(ひんしゅく)買われる人もいる。

互いに「好み」を言う時は、 「いかがでしょうか」と伺って、 「好み」に合えば折り合って、 会わない時は遠慮せず、 断ることが大事です。

百人百様、世間には、 いろんな人がいるわけで、 いつも合うとは限らない。合わなくたっていいじゃない。

「人つき合い」をすることに、 むやみに緊張してみたり、 戸惑う人がいるけれど、 人つき合いの基本とは、 伺い合って折り合って、 折り合わなければ無理をせず、 「お互いさま」と別れましょう。

生きてく上で避けられぬ、 人つき合いであればこそ、 「お互いさま」と割り切れる、 心は大事な必需品。

「お互いさま」の心とは、 互いの立場を認め合い、 無用な争い避けながら、 平穏無事でいるための、 「緩衝帯」の意味を持つ、 大事な言葉であるのです。

さらに加えて言うならば、 「課題の分離」が大切で、 「誰がやるべきこと」なのか、 自分」か「相手」か考えて、 「相手」の課題に入らない。

人と人とのトラブルは、 「互い」の「課題」に入り込み、 入り込まれて起こるもの。

「馬を水辺(みずべ)に連れて行く、 ことはできるが馬に水、 飲ませることはできない」と、 諺(ことわざ)にあるその意味は、 水を飲むのか飲まないか、 馬主が決めることでなく、 馬の「気持ち」が決めるもの。

「せっかく連れて来たのに」と、 無理やり水を飲まそうと、 無理強(むりじ)いすればどうなるか、 馬に蹴(け)られてケガをする、 不幸な結果を招きます。

人付き合いも同様に、 互いの課題を尊重し、 「付き足りなく」も「付き過ぎず」 指先同士が触れるような、 程よい位置を保ちます。

過度な説得、慰めや、 激励、叱責することも、 相手の課題に入り込み、 トラブル起こす元になる。

さらに生きてる間には、 突発的な出来事や、 予期せぬことに遭遇(そうぐう)し、 自分で解決することが、 できない時があるはずで、 そうした時は無理をせず、 「助けを求める」ことも又、 大事なことと心得る。

人に「助け」を乞(こ)うという、 「援助希求(えんじょききゅう) 能力」を、  持てない人の心には、 責任感が強いとか、 「断られたらどうしょう」、 「助けを乞(こ)うのは恥ずべき」と、 人に助けを求めたり、 援助を期待することに、 戸惑う思いを持ってます。

「援助希求能力」は、 危険な状況回避(かいひ)して、 危機を乗り切るクライシス、 マネジメントの意味を持つ、 生きるためには不可欠な、 「人間力」のひとつです。

常に、人との関係を、 持つ人生を幸せに、 暮らしていくにはこのような、 「関わり方」を身につける、 ことが大事と言われます。

さらに加えて言うならば、 会社、学校そのほかの、 人が集まる所では、 勝ち負け競う場所でなく、 仲間を増やす場所という、 考え方を持つのです。

さらに信頼する人や、 愛する人や憧れる、 人を持つのも大事です。

人は一人で生きられない、 人と関わり合うことで、 人間力を高めます。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみればごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。

③「楽観性」を身につける。

③楽観性「楽観的思考」を身につける。

楽観的と悲観的、 どちらが良いかと問われると、 「何とかなるさ大丈夫」、 常に明るく前向きに、 ポジティブ思考で考える、 楽観的な人が良い、 多くの人は思うでしょう。

確かに物ごと出来事を、 ネガティブ思考で考える、 悲観的な人よりも、 楽観的に生きてれば、 心身共に健康で、 明るく暮らして行けるでしょう。

ところで現実社会では、 例えば車を運転中、 燃料計がひと目盛り、 「まだまだ走れる大丈夫」、 楽観的に考えて、 途中でガス欠、起こす人。

「これじゃエンスト起こすかも」、 悲観的に考えて、 事前に燃料補給して、 余裕を持って走る人。

給油するのか、しないのか、 迷うところであるけれど、 やはり事前に燃料の、 補給をすればその後の、 ガス欠起こしてしまうという、 リスクは生まれて来ないでしょう。

楽観、悲観、どちらにも、 一長一短あるけれど、 その時々の状況で、 うまく機能するように、 使い分ければ良いのです。

さらに加えて言うならば、 楽観的な考えや、 楽観的な行動は、 その人自身の「意志」による、 問題であり反対に、 悲観的とはその人の、 「気分」に関わる問題で、 根本的に違います。

道路を歩いている時に、 一万円が落ちてます。 その時「ラッキー‼頂こう」、 そうした思いを抱くのは、 「気分」に関わることだから、 「カラスの勝手」というもので、 どう思うとも構わない。

しかし、拾って我が物に、 するかそれとも警察に、 届ける否かはその人の、 「意志」にかかっているのです。

気分」は「意志」で変えられる

思いや感情セーブして、 考え方を変えるとか、 「気分転換」図るとか、 心も身体もさわやかに、 「リフレッシュ」ができるのも、 「意志」の力によるものと、 思わなければなりません。

人は「感情動物」と、 言われるように生活の、 あらゆる出来事、物ごとに、 常に「気分」はつきまとう。

しかも気分というものは、人それぞれに皆、違い、 その場の「空気」を醸し出す。

空気が読めない行動や、 「気分任せ」の行動は、 いずれも「場違い行動」を、 起こすリスクがあるために、 慎まなければなりません。

ところで毎日憂うつな、 思いや気分で生きたなら、 心が折れてしまいます。

「折れない心」を身につけて、 ストレス、逆境、困難に、 負けないためには日頃から、 楽観的に物ごとを、 考え、捉える「意志」を持ち、 、生きてくことが大事です。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。

②「柔軟性」を身につける。

②柔軟性「柔軟な思考」を身につける。

柔軟性と言うものは、 物質的に柔らかく、 自由自在に動くもの、 そうした意味があるけれど、 考え方や捉え方、 受け止め方など「解釈」に、 柔軟性があるならば、 こだわり、とらわれ、思い込み、 決めつけ感がなくなって、 あらゆる場面や状況に、 臨機応変、適切に、 対応できる能力が、 自然に身につき穏やかな、 気持ちで暮らして行けるでしょう。

「備えがあれば 憂いなし」、 「転ばぬ先の 杖(つえ)をつく」、 日々の暮らしや生活で、 「柔軟性ある考え」で、 起こるであろうさまざまな、 結果を先に予測して、 心の準備をしておけば、 仮にそうした場面でも、 戸惑うことはありません。

柔軟性ある思考とは、 あらゆる場面でさまざまな、 選択肢を用意して、 多彩な判断できるという、 「経路思考」のことを言う。

普段、何かをする時は、 目的達成するために、 余計なことは考えず、 わき目も振らずやるように、 言われるけれど柔軟な、 「経路思考」というものは、予期せぬことを予想して、 心の準備をするという、 一見、「余計なことをする、 「無駄」と思えることをする、 つまり、いろいろ「よそ見」する、 考え方であるのです。

さらに加えて言うならば、 できると思うことがらは、 キッチリやるができないと、 思えば決して「無理をせず、 やめる」というのも柔軟な、 考え方であるのです。

柔軟な考え方や思考とは、 非合理的に思えても、 いろんな場面や状況に、 適宜対応するという、 現実的かつ合理的、 スーパー思考と言われます。

「折れない心」に不可欠な、 「しなやかさ」を持つ心とは、 柔軟性ある考えや、  思考によって生まれます。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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①「冷静さ」を身につける

  1. 冷静さ「冷静思考」を身につける。

「ちょっと待てよ」と溜(た)めてから、 「何故、どうして」と先を読む、 結果の予測ができないと、 場違い行動起こしたり、 人付き合いに不可欠な、 「察する心」は育たない。

失敗、過ち、早とちり、 さらに加えて勘違い、 気分任せの行動は、 冷静さの不足から、 ほとんど生まれているのです。

「事の本質」見極めて、 「事の成り行き」判断し、 「事の経過」を見通して、 「事の成功」成し遂げる、 そうするためには「冷静な、 思考」に基づく行動を、 していくことが大事です。

ヒューマンエラーを防ぐには、 冷静沈着落ち着いて、 深く物ごと考える、 思考がなくてはなりません。

「後で気がつく何とやら」、 それじゃ手遅れ「一巻の、 終わり」であるためこらからは、 「先に気づいて」事を成す、 賢い生き方するのです。

「冷静思考」というものは、 「転ばぬ先の杖」をつく、 「安全思考」であるのです。

さらに加えて言うならば、 「疑る」ことが必要だ。

冷静沈着落ち着いて、「ほんとにこれで良いのか」と、 物ごと深く考えて、 正誤を正しく見極める、 「疑る」心を持つならば、 先入観や思い込み、 なくして生きていけるはず。

「渡る世間に鬼はなし」、 「人を見たら泥棒と、 思え」の諺(ことわざ)あるけれど、 「冷静さ」を持ちたけりゃ、 すべての出来事、物ごとは、 「疑る」ことから始めましょう。

(正しい分析力は冷静な「疑り深さ」から生まれ、 諦めない粘り強さは、「執念深さ」から生まれます) 疑り深く、しつこい人を、侮(あなど)るなかれ‼)

そうか、なるほどそのとおり、 言われてみれば、ごもっとも‼

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「思考」パターンというものは

思考パターンというものは。

人が生きるということは、 過去から現在、未来への時間の中を生きてるが、 思考パターンというものは、 未来、現在、過去という、 逆の流れをとるのです。

例えば何かをする場合、 「もしかしたら」と将来に、 起こるであろう出来事や、 状況などを予測して、 次に「おそらくそうだよ」と、 根拠がないのに思い込み、 何も始めていないのに、 「そうなるはずだ」「そうなるに決っている」と決めつける、 そうした思考のコンベヤー、 頭の中でぐるぐると、 「めまい」以上に回ってる。

ところで思考パターンとは、 未来、現在、過去という、 思考の流れを持つけれど、 すべての人が「そうなるに、 決まっている」と決めつけて、 こだわる訳ではありません。

「もしかしたら」と思っても、 「やってみなけりゃ解らぬ」と、 現実的に考えて、 無意味な予測はしないという、 利口な人も多数いる。

ところで、未来を予測して、 ネガティブ思考で「そうなる」と、 一方的に決めつけて、 悩みを抱えている人は、 些細なことを気にしたり、 心配性であるために、 悪い結果を予測して、 「一人芝居」をしています。

さらに加えて言うならば、 未来、現在、過去という、 思考パターンのコンベヤー、 ぐるぐる回るその上に、 ネガティブ思考が乗るために、 こうしたパターンが固定化し、 「先入観」と言われてる、 「固定観念」持つのです。

固定観念、持つ人は、 人の話は聞きません。 例え聞いてもうわの空。 自分の思いや考えに、 こだわり続けて生きてます。

ところで固定観念は、 使い様(よう)ではプラスにも、 マイナスにもなる観(おも)いです。

プラスの面では信念や、 中途半端で諦めない、 執着心(しゅうちゃくしん)を生む反面、 被害妄想(ひがいもうそう)さらに又、 関係・誇大(こだい)妄想を、 生むキッカケになるのです。

思考パターンのコンベヤー、 ぐるぐる回るその上に、 どんな「思い」を乗せるかで、 行き着く先が決まります。

ポジティブ思考を乗せるのか、 ネガティブ思考を乗せるのか、 決定するのは自分です。

ポジティブ思考を持つための、 手っ取り早い方法は、 常に自分に期待する、 自己効力感にさらに又、 自分はこの世でただ一人、 「かけがえのない存在」と、     思える「自尊感情」に、 「自分は役に立つ」という、 「自己有用感」を持つのです。

三つの「感情」携えて、 自信を持って生きるなら、 ポジティブ思考のコンベヤー、 いつもぐるぐる輝いて、 回り続けることでしょう。

老婆心かも知れないが、 「イヤだ、参った、困った」と、 ネガティブ思考を乗せたなら、 「万事、休す」と心得る。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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「知識」と「知恵」の違いとは

「知識」と「知恵」の違いとは。

人それぞれの生き方は, 千差万別、さまざまで、 百人百様、皆、違う。

一般的に言うならば、 何をするにも生真面目で、  余計なことには手を出さず、 新たなことへの「冒険」は、 まっぴらごめんと拒否をして、 生きてる人は常日頃、 「基本」「原則」大切に、 「画一的」に生きるという、 既成事実の公道を、 よそ見しないで生きてます。

確かにそれもいいでしょう、 一人ひとりの人生は、 自分で決めれば良いのです。 しかし、よくよく考えりゃ、 ものごと「多様」に考えて、 「基本」に対し「応用」や、 「例外」的なことがらに、 適宜対応するという、 生き方も又味なもの。

ところで話は変わるけど、 知識と知恵の違いとは、 一体どこにあるのでしょう。

いわゆる知識というものは、 「画一的」や「原則」や、 「基本」のことを言うのです。

知恵は「応用」「例外」や、 「多様性」だと言えるでしょう。

私見でものを言うならば、 頭の良さと賢(かしこ)さは、 同じ土俵で計れない。

知恵というのは賢さで、 頭の良さは知識です。 多くの知識を持つ人は、 「利口な人」と言われるが、 どんなに知識があろうとも、 知識を生かす知恵という、「賢さ」なければなりません。

知恵と言う名の賢さが、 なければどんな知識でも、 「枯れ木も山の賑(にぎ)わい」で、 ないよりましだが、つまらない。

さらに加えて言うならば、 頭でっかち小手先の、 知識はあっても経験に、 基(もとづ)く知恵がなかったら、 顔を綺麗に見せようと、 一生懸命、厚化粧、 している様(さま)と同じです。

知識を基に経験を、 たくさん積んでいることが、 勝負どころで勝ちに行く、 知恵が出てきて必ずや、 「勝利」を与えてくれるでしょう。

日々の暮らしや生活で、 あらゆることに関心や、 を抱いて生きていりゃ、 「好奇心」が湧いてきて、 人生、豊かになるでしょう。

「心が老いる」ということは、 「好奇心」がなくなって、 興味や関心、抱かない、 そうした様(さま)を言ってます。

喰わず嫌いじゃいけません。 好まぬことや嫌なこと、 むしろそうしたことがらを、 自ら経験することで、 賢い知恵がつくのです。

知識と知恵の違いとは、 ここらあたりにあるみたい・・ってよ‼

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。