気づき、気づくということは。

「気づき・気づく」ということは。

本来、人には「気を配り、 気になり、気にする、気をつける」、「心気(しんき)いわれる性質が、 外部のできごと情報に、 「触手」を伸ばしているような、 状態保っているのです。

その「気」に何かが触れた時、 「ハッと」感じる感覚が、 「気づき」「気づく」ということで、 生きるためには欠かせない、 「情報機関」のようなもの。

直感的に感じたり、 「閃(ひらめ)く」ことも同様に、 「気づき」によって生まれます。

ところで「気づく」ということは、 「なるほどなぁ」と心から、 納得、合点(がてん)がいくことで、 そこには悩みや戸惑いや、 不安や迷いはありません。

日々の暮らしで生きがいや、 幸せ感じる生活は、 生活行動全般に、 自ら納得しているか、 そうでないかで決まります。

ひとつひとつの行動に、 自ら納得していれば、 予期せぬことが起こっても、 きちんと対応するでしょう。

「気づく」ためにはこだわりや、 とらわれ感に思い込み、 決めつけ感を持たないで、 あるがままに受け入れる、 心がなければなりません。

さらに加えて言うならば、 「気になり、気にする、気をつける」、 「心気(しんき)」の「触手」を感度良く、 保たなければなりません。

「触手」を常に感度良く、 保つためには冷静な、 判断力にさらに又、 「触手」が好む好奇心、 興味や関心持つことが、 大事であると言われます。

ちなみに「気づき」というものは、 「気力」を生んでさらに又、 「行動力」高めます。

「気づき」→「気力」→「行動」は、 切っても切れない「仲」であり、 生きてく上で重要な、 「関係性」を持つのです。

情報社会の現代を、 難なく賢く生きるには、 いろんな情報ある中で、 自分に役立つ情報を、 「気づき」を持って正確に、 選択しないといけません。

のほほん気分でのんびりと、 平和ボケしていたならば、 「ババ」と掴んで泣きを見る、 哀れな人生送るでしょう。

五感を磨(みが)いて六感の、 感度を高めて生きてれば、 あらゆることに新鮮な、 「気づき」が得られることでしょう。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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