以前は「登校拒否」と呼び、 今では「不登校」一文字で、 括(くく)っているけど実態は、 人それぞれで違います。
文科省では「不登校」は、 学校内では「誰にでも、 起こり得る」と認めつつ、 不登校予防の対策や、 起きた場合の対応が、 うまく図れていないため、 年々、子どもの不登校は、 増加の一途を辿(たど)ってる。
不登校になる原因や、 キッカケである「誘因」は、 いろいろあるが長期化や、 深刻化を増す理由には、 「子ども目線」で考えず、 「大人目線」の対応を、 しているところにあるのです。
ところで子どもの不登校は、 次のふたつに分かれます。
ひとつは子どもが学校に、 「行きたいけれど行けない」のと、 「行けるが行かない」「行きたくない」、 ふたつのパターンに分かれます。
そのため不登校問題を、 解決しようとする時は、 「行けない」理由は何なのか、 「行かない」理由は何なのか、 勿論、原因知ることは、 大事なことであるけれど、 原因ばかりにこだわると、 誰が良いとか悪いとか、 「犯人探し」をしてみたり、 「あの時ああしていたなら」と、 無意味な後悔するだけで、 子どもの不登校問題の、 根本的な解決は、 できないものと心得る。
さらに加えて言うならば、 子どもも親も学校も、 「何とかしたい」と考えて、 いろいろ模索をしてるけど、 子どもがしたい「何とか」の、 意味や目的内容と、 親や学校考える、 「何とかしたい」の内容に、 大きな隔たりあるのです。
子どもがしたい「何とか」の、 意味、目的というものは、 つらい苦しい「生きにくい」、 そうした思いを払拭し、 「楽」な気持ちで過ごしたい、 ただそれだけのことである。
ところが親や学校が、 「何とかしたい」と思うのは、 言わずと知れた「学校」に、 「行って欲しい」や「行かせたい」、 ただそれだけの目的で「登校刺激」を続けます。
これじゃ子どもの不登校を、 解決しようと思っても、 解決どころか反対に、 「分かっちゃいない」と見透かされ、 見捨てられ感、置き去り感、 そうした思いを強くして、 子どもは離れていくでしょう。
現在、多くの不登校の、 子どもが抱く心情は、 自分の評価が低くなり、 「何て自分はダメなの」と、 自己否定に自責感、 自己嫌悪にさらに又、 「こんな自分は生きてても 価値などない」と自罰する、 そうした思いを持ってます。
ですから不登校問題の、 根本的は解決は、 「学校復帰」をするのでなく、 ストレス、逆境、困難に、 打ち克ち、乗り越え、へこたれない、 「折れない心」を身につけて、 「自己肯定観」を持ちながら、 人間らしく生きるという、 「人間復帰」を目指します。
そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼
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