人は誰でも過去があり、 現在を経て未来へと、 時間(とき)の流れを生きてます。
ところで「瀬戸内寂聴」は、 「今を生きる」ということを、 事あるごとに言うけれど、 要は「生き方」そのものが、 どうであるかを言ってます。
ところで人は常日頃、 夢や希望を持ちながら、 「やがていつか」は「行く行く」は、 「こうありたい」や「こうしたい」、 そういう思いで生きてるが、 人の気持ちというものは、 「三日坊主」じゃないけれど、 初めの決意は固くても、 その内だんだん弱くなり、 長く維持していけません。
「たがていつか」は「行く行く」は、 「こうありたい」と言いながら、 口先、乾かないうち、 「今すぐ」「直ちに」「すぐさま」に、 「そうなりたい」と望みます。
「やがて、いつか」ということを、 「時間軸」で考えりゃ、 少なからずも現在(いま)よりは、 未来のことを指すわけで、 なのに「直ちに」「今すぐに」、 「そうないたい」と望むのは、 未来の時間を強引に、 引き寄せるのと同じこと。
ちなみに後悔する人や、 愚痴をこぼしている人は、 「あの時ああしていたならば」、 「こんなはずではなかった」と、 「タラレバ言葉」を連発し、 過去の時間を引き寄せる、 困った人と言えましょう。
「今を生きる」ということは、 未来の時間を引っ張らず、 過去の時間も引っ張らず、 「今」の時間を大切に、 生きてくことを言うのです
夢や希望を持つことは、 大事なことではあるけれど、 そもそも未来の時間とは、 脳が作った「妄想」の、 世界であって確実に、 叶うものではありません。
しかし結果はどうであれ、 夢を叶えていくために、 「今」の時間を「大切に、 生きろ」と言っているのです。
いずれの時間も引っ張ると、 不平不満が募るため、 やるべきことをやらないで、 挙句の果てはダラダラと、 暮らしていくしかありません。
「今」をまともに生きられない、 人というのはこのように、 無理強いをして無駄なこと、 無意味なことに逆らって、 心身共に疲れてる、 哀れな人と言えましょう。
「今を生きる」ということは、 未来の時間や過ぎ去った、 過去の時間に執着し、 こだわることではありません。
「今」、「現在」をあるがまま、 受け入れながら前向きに、 可能性を信じつつ、 常に自分に期待して、 生きてくことを言うのです。
そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼
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