「楽しい」人生送るのか、「楽しく」人生、送るのか。

楽しい人生送るのか、楽しく人生送るのか。

「楽しい」人生送るのか、 「楽しく」人生送るのか、 「おいしい」ものを食べるのか、 「おいしく」ものを食べるのか、 言葉的には一言の、 違いであるがその実は、 生き方自体を左右する、 大事な意味があるのです。

おそらく多くの人たちは、 「おいしい」ものを食べながら 「楽しい」日々を送りたい、 そうした思いで生きてるが、 残念ながら初めから、 「おいしい」ものや「楽しい」と、 思えるものはありません。

それを知らずに「ないものを、 ねだって」生きているために、 日々の暮らしや生活で、 不平不満が出るのです。

生きるというのは自らが、 「主役」でなければなりません。

「楽しい」人生送るとか、 「おいしい」ものを食べるのは、 「主役」というより「脇役」の、 言葉であって常日頃、 人をあてにし依存する、 心を持っているのです。

もしも「主役」で生きるなら、 「楽しく」人生送るとか、 「おいしく」ものを食べるという、 積極的かつ主体的、 そうした言葉が出るのです。

どんな粗食であろうとも、 「おいしく食べる」という意思を、 持てば「おいしく」食べられる。

日々の暮らしも同様に、 「楽しく生きる」という意思を、 持てば「楽しく」生きられる。

要は、「気持ち」の持ちようで、 良くも悪くも自らの、 「意志」ですべてが決まります。

他人が何を食べようと、 どんな生き方しようとも、 自分自身がどのように、 考え、受け止め、捉えるか、 意志の力で「解釈」は、 いかようにでも変わります。

さらに加えて言うならば、 「ありがたい」とか「助かる」と、 「感謝」の気持ちを忘れずに、 生きていたならいつだって、 「おいしく」ものも食べられりゃ、 「楽しく」日々も過ごせます。

「おいしいなぁ」と感じたり、 「楽しいなぁ」と思うのは、 すべて「気分」の問題で、 それに対して「楽しく」や、 「おいしく」食べるということは、 「意志」の力で決まります。

意志薄弱や確固たる、 意志を持たずに生きるのは、 車が行き交う公道を、 目隠しをして渡ろうと、 していることと同じです。

たった一度の人生を、一貫性ある生き方で、 全(まっと)うしたいと思うなら、「おいしく」ものを食べること、 「楽しく」人生、生きること‼

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

無断転載、引用はお控え下さい。