「奉仕」の先の「利益」とは、 どんな「利益」があるのだろう。
玉子が先か鶏の、 どちらが先かは知らないが、 多くの人に支えられ、 繫盛している店を持つ、 商売人というものは、 「利益」は後でその前に、 「奉仕」が先と考える。
中には「利益」を優先し、 儲かることだけ考えて、「奉仕」いわゆるサービスは、 もってのほかと考える、 商売人も見かけるが、 そうした店というものは、 客はまばらで閑散と、 閑古鳥だけ飛んでいる。
「奉仕→利益」と捉えるか、 「利益→奉仕」と捉えるか、 後先(あとさき)違いの話だが、 「奉仕」を優先することで、 後で「利益」を得るという、 考え方が大事です。
も少し、詳しく言うならば、 奉仕を先に行えば、 利益は計算しなくても、 自ずと後からついてくる。
「奉仕→利益」 の考えは、 人が生きるということの、 基本であると心得る。
生きる基本は「奉仕」です。 親が子どもを大切に、育てることも奉仕なら、 農家の人が新鮮な、 農作物を作るのも、 使い勝手の良いものを、 昼夜を問わず考えて、 生産している人たちも、 すべては世のため、人のため、 「奉仕」の心に支えられ、 「奉仕」を実践するために、 努力を重ねているのです。
ところで、人からあてにされ、 頼りにされて応えたり、 困った人がいたならば、 力を貸してあげるのも、 「奉仕」であってそのことで、 「役立つ自分」の存在が、 実感できるわけだから、 正に人生、最高の、 「利益」を得たと言えるでしょう。
「自己有用感」というものは、 「奉仕」を続けるその中で、自分は「役立つ存在」と、 感謝や称賛される時、 はじめて感じるものである。
さらに加えて言うならば、 自分を尊ぶ感情や、 常に自分に期待する、 「効力感」が持てるなら、 自信につながる「肯定観」、 望まなくても得られます。
「生きがい」「やりがい」「幸せ」は、 「自分が存在してる」という、実感なければ叶わない。
ちなみに人が行き来する、 場所を表す「出入口」、 その名の由来は知らないが、 はじめに「出す」から「入る」という、 そう言う意味があるみたい。
言葉遊びじゃないけれど、 鳴かず飛ばず人たちが、 入って出すのが「入出口」、 我欲の強い人たちが、 とにかく好む「入入口」、 心も財布もしなびれた、 貧乏人の「出出口」の、 三つの「口」は絶対に、通りたくない「口」である。
そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼
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