よそ見の功罪エトセトラ

「よそ見」の功罪エトセトラ。

動物は「よそ見」しながら生きている。

動物がひとつのことに集中し、 「よそ見」しないで生きたなら、周囲に対する警戒や、 身の安全が守られず、肉食獣に襲われて、 たちまち命を 亡(な)くすでしょう。

人間は、「よそ見」をしないで生きるのが、正しいことと教えられ、一途に守ってきたけれど、「よそ見」をするということは、そんなに悪いことなのか、「よそ見」の功罪、あれこれと、探ってみるのも必要だ。

「よそ見」をするということは、集中力がなくなって、注意散漫、気がゆるみ、能率、効率下がるとか、失敗したり過ちを犯すリスクもあるだろう。

さらに加えて言うならば、日々の暮らしや生活で、嫉妬をしたり、羨望や、劣等感を抱くなど、人付き合いで悩むのは、他人のことが気になって、 「よそ見」をしている証しです。

人の「悩み」というものは、「あの日、あの時、あの人が」と、他人に対し、あれこれと、 「よそ見」をするから、生まれます。

他人を「よそ見」する前に、自分に集中していれば、悩み苦しむことはない。

ところで、「よそ見」の良い点は、まじめに「よそ見」をすることで、広い視点が持てるとか、マンネリ感がなくなって、ワンパターンに陥らず、斬新、尚且つユニークな、新たな発想生まれたり、心身共にリフレッシュ、できたりするから、有り難い。

とかく味ある人生は、一見、無意味と思われる、「よそ見」の中で生まれると、思った方がいいみたい。

道交法で禁止する、「わき見運転」することを、進めるわけではないけれど、車を運転する時も、適度に「よそ見」をしなければ、交通事情を的確に、判断できずに事故に遭う、リスクがあるということです。

日々の暮らしや生活で、 「ゆとり」がなくては、いけないが、「のんべんだらり」と続けては、 「ゆるみ、たるみ」の元になる。

ゆとりを持って「よそ見」すりゃ、自己成長に欠かせない、新たな気づきやひらめきが、湧いてくるから有り難い。

そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼

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