「諦める」という真の意味。
「あの時、ああしていたならば」、「こうしていればよかった」と、いくら悔やんで嘆いても、 後の祭り言うべきか、悲しいことに現実は、正に「そうしていた」わけで、過ぎた時間は戻りません。
専売特許じゃあるまし、悩みを抱えている人が、昼夜を問わず口にする、 「たら、れば」言葉にさよならし、この際すっきり潔(いさぎよ)く、 諦めるしかありません。
漢字の本家の中国じゃ、 「諦める」というその意味は、「明らか」という意味を持つ、 言葉だそうだ、解るかい?
日本のように仕方なく、 納得するとか無理をしてイヤイヤながら受け入れる、 ことでは一切ないのです。
すべての物ごと出来事は、 「起こるべくして起こるもの」、「成るべくして成った」という、 「必然、当然の法則」に、基づく結果であるために、 逆らうことはできません。
そうであるならこれからは、 無駄な抵抗やめにして、すべては「必然、当然」の、 結果であると解釈し、自ら進んで「あるがまま」、 受け入れなければなりません。
「諦める」という根拠には、 「当然観」というものが、あると思えば「諦観」の、 言葉の意味も解るはず。
往生際が悪いのは、 「諦める」という切り替えが、できないところに、 あるのです‼
「諦める」という前向きな、 「受容」の心があるならば、たとえ、どんなに辛くても、 日々の生活行動は、停滞しなくて済むのです。
そうか、なるほどそのとおり、言われてみれば、ごもっとも‼
無断転載、引用はお控え下さい。