03.「生きる」ことは、「受け入れる」こと。

❖「生きる」ことは、「受け入れる」こと。

動・植物は、生命力を駆使(くし)して、状況に反応(はんのう)しながら生きています。しかし、私たち人間は動・植物とは違います。
私たち人間は、知恵を駆使(くし)して、あるがままに受け入れ、変化することで状況に適応(てきおう)しながら生きています。

アフリカ大陸のヌーという草食動物が、季節が乾季(かんき)になると餌(えさ)である草を 求めて何千キロも移動する話は有名ですが、私たち人間はどうでしょうか。

動物のヌーのように気候の変化に合わせて、生きるために日本国内をあちこち移動して いるでしょうか。そんなことはありません。
私たち人間は、「乾季」という状況を受け入れ、知恵を駆使して、事前に食物を蓄(たくわ) えるとか、あるいは加工(かこう)することで食物を保存して生きて行くでしょう。

つまり、私たち人間もヌーという動物も乾季という状況下(じょうきょうか)で生きる、す なわち「受け入れる」という点では同じですが、その後の「生き方」には、大きな違いが あるということです。

私たち人間は、知恵を駆使して乾季を受け入れ、備蓄(びちく)や加工、保存するというよ うに変化することで生きているのに対し、ヌーは生命力を駆使して、草原のある環境=(場 所)へ移動することで、状況に反応して生きています。

このように、生き続けるためには、「受け入れて、適応するか」、「単に反応するか」とい うふたつ生き方があることが解ります。

ところが、停滞を生むマイナスの側面を持つ「悩み」を抱えて苦悩する人は、現実とい う状況を受け入れることができないばかりか、反応するのも、おぼつかない状態でいます。

何故、受け入れることができないのかと言うと、「受け入れたくない」という思い、つま り「心の目的」が先にあるからです。

解かりやすく言えば、「あの時ああしていたら、こうしていればこんなはずではなかっ た」という「不満」な思いや感情にこだわり、とらわれることで「受け入れたくない」と いう気持ちを抱いています。

また、「不安」な思いや感情を抱けば、「もしかしたら、○○になるかもしれない」とか、 「おそらく○○になるだろう」と勝手に思い込んだり、「きっと、そうなる」と決めつけ るため、現実を正しく受け入れることができません。

このように、悩みを抱えている人は、そのきっかけが「不満」であれ、「不安」であれ、 自分の思いや感情に対して「こだわりやとらわれ感」をはじめ、「思い込みや決めつけ感」 が強いから、その時々の状況をあるがままに「受け入れる」ことが困難になります。

❖本能(ほんのう)が悩みを生む。悩みは人生の伴走者(ばんそうしゃ)

私たちには、本能と言われる「快を求めて、不快を避ける」という基本的欲求があるた め、「楽はしたいけど、苦労はしたくない」とか、「得なことはするが、損するようなこと
はしない」という思いや感情を常に持っています。

そのため、思い通りにいかなかったり、期待が外(はず)れたり、納得できない時やそうし た場面では、たちまち「不満」や「不安」な思いや感情が湧(わ)き上がり、「悩む」という 心的葛藤が生まれます。

加(くわ)えて、朝、いつもの時間に起きられないとか、食べられない、学校や仕事に行け ないなど、日々の生活行動全般に停滞を招き、さらに「悩み」が深刻化するという悪循環 に陥(おちい)ります。

悩みがつきない人生は、 期待は外(はず)れて当たり前。 夢、破(やぶ)れても、仕方がない。
叶わぬ願いもいっぱいあるのに、 うだうだ、ぐだぐたいつまでも、 愚痴(ぐち)をこぼして、 今日もまた、 一体、「あなた」は、 何をしてるの!!

もしかしたら人生とは、「不満や不安」の時間と「満足」の時間が交錯(こうさく)する時間 と言えるかもしれません。

そうであるなら尚更(なおさら)のこと、私たちは日頃生活する上で「不満」や「不安」な 思いや感情は「背中合わせのお友達」とか、「死ぬまで付き合う伴走者」という気持ちで 上手に付き合わなければなりません。

このように、始めからそうした気持ちでいれば、仮に不満を感じたり、不安になっても、 戸惑(とまど)うことなく、落ち着いて対処する「心のゆとり」を持つことができます。

すべてに満足しようとするから、 小さなことが喜べない。
満足のレベルを低く、 忍耐のレベルを高く生きたなら、不平、不満はありません。 人は「不満」や「不安」には、 ことさら敏感(びんかん)なのに 「満足」や「安らぎ」には、 はなはだ鈍感(どんかん)である。
そこに不幸の原因が あるみたい・・。

ちなみに、現在の新潟県長岡市にある「良寛(りょうかん)の里」で有名な良寛和尚(りょう かんおしょう)は、無欲で生きれば、「不満」や「不安」な思いや感情は生まれないという「欲、 断(た)てば、一切足(いっさいた)る」という言葉を残しましたが、その言葉を私たちが実践す るのはとても無理な話です。

普段、私たちは「こうしたい」とか、「ああなりたい」という「欲求」のエネルギーを生 きるパワーである「意欲」や「気力」に変えて生きています。
そして、その「欲求」が強ければ強いほど、意欲や気力が充実して、行動も積極的にな ります。

しかし、現実は突発的(とっぱつてき)な出来事が起きたり、アクシデントに見舞(みま)われ、 欲求通りにうまく「事(こと)」が運(はこ)ぶとは限りません。
そうすれば、当然、私たちは悩むことになりますが「悩む程度」というのは、振(ふ)り子 の揺(ゆ)れ幅と同じく、欲求が強ければ大きくなり、弱ければ小さくなる傾向があります。

例えば、「将来、絶対に○○になるんだ!」と強い思いで○○に挑戦していたとしまし ょう。
それが予期しない出来事で○○になる夢が断たれたとしたら、気分の落ち込みや悩み込 む程度は、半端(はんぱ)なものではない、相当なものになります。
反対に、「うまくいったら、もうけもの」的なレベルの欲求では、仮にうまくいかなくて も「まあいいか、仕方ない」と深刻な悩みに発展するケースは少ないということです。

ですから、もし、順調に進んでいることが途中でやめなければならない場合や、夢や希 望が断(た)たれ、失望感を持つ時は、悩む程度を小さくするため、嘆(なげ)いたり、後悔す るのではなく、それまでの経緯や状況に目を向け「私はこんなに落ち込むほど、強い思い (欲求)を抱いていたんだ」とか、「しかし、よくここまで頑張った」「また新たな気持ちで チャレンジしよう」と自分を労(ねぎら)い、経過を評価することが大切です。

仮に事情はどうあれ、好まない状況に陥(おちい)ったとしても、現状をありのまま受け入 れ、それまでの努力を自ら評価し、素直な気持ちで自分を労(ねぎら)うことが何より大事で あり、このことが自分への「期待と可能性」を高め、自己肯定観を育(はぐく)みます。

落ち込んでいる自分に「やる気」を促(うなが)したり、また、失った自信を取り戻せるの は、「自分を大切に思う人」つまり、自己肯定観を持つ人にしかできません

「悩み」は「背中合わせのお友達」とか、「死ぬまで付き合う伴走者」だから、突発的に起 きたことであれ、ほかの原因でそうなったとしても、悩みながらも一生懸命、頑張って生 きてきた自分を「褒(ほ)めて労(ねぎら)う」ことを忘れてはいけません。

このように自分に話しかけることで、本来の「こうしたい」とか、「ああなりたい」とい う「意欲や気力」はなくなるどころか、「今度はこうしよう」とか、「突発的な問題には、 こう対処する」など、今後も起こり得(う)るであろう、新たなリスクや問題を予測したり、 それに対する対処法を事前に用意する「心のゆとり」が生まれます。

「意欲や気力」を高めるのも、減退(げんたい)させるのもすべて、自(みずか)らの「自分へ の話しかけや問いかけ」が大きく影響していることは明らかであり、そのことが、次なる 欲求が求める目的や目標を達成する大きな力になります。

自分で自分を称(たた)える「自画自賛(じがじさん)」という言葉があります。 謙虚(けんきょ)で素直な気持ちから生まれた「自己愛(じこあい)」に基づく「自画自賛」は、 「自惚(うぬぼ)れ」ではなく、心の健康を保つ上で大事なスキルであると言えます。

何故なら、「自画自賛」は、自分という存在に対する確固たる自信がないとできません。 ところが、悩みを抱えている人は、「何て自分はダメなんだろう」とか、「うまくいくはず がない」など自分を否定するような言葉を多用し、「停滞の悪循環」を招(まね)いています。

ところで、「自画自賛」することは、私たち日本人にはあまり馴染(なじ)みがなく、「自惚 れ」や「自慢する」という意味合いが強く、「はしたない行為」や「恥ずべき行為」という ように受け取られる印象がありますが、メンタル面において「自画自賛」の効果は、侮(あ など)れないものがあります。

余談ですが、「鏡を見る習慣」をもつ女性は、顔も(それなりに?)美人で、年齢も同年代 より若く見られる、という話をご存じでしょうか。

現に私が目にした光景ですが、都内で電車に乗っている時、4~5 名の某航空会社のス チュワーデス(現・キャビンアテンダント)の女性が途中の駅から乗り込み、私と向い合せ た座席に座ると一斉にバックから手鏡(てかがみ)を取り出し、何をするのかと思いきや、鏡 を見ながら、「喜怒哀楽」の表情をつくって眺(なが)めているではありませんか。

びっくりしたような顔つきをつくったり、にっこりと明るく微笑(ほほえ)みを浮かべた り、それぞれが真剣に鏡と向き合っている光景は、異様とも言えるものでした。

仕事柄、お客様に笑顔で接するためのフェーストレーニング(豊かな顔の表現/表情筋の 鍛錬(たんれん))でしょうが、それは同時に自分の顔に対して「自画自賛」している姿です。

その後の彼女たちの「仕事ぶり」は、搭乗(とうじょう)する機内での「自信に溢(あふ)れた 乗務ぶり」だったに違いありません。

ところで、人生とは、何をしたとか、どうなったか、ということも大事ですが、生きて いる間の「時間の質」がどうか、ということが最も大事なところです。

何故なら、私たちの「幸、不幸」の判断基準を考えた時、「幸せ」とは、経済的に豊かで あるとか、社会的地位もあり、神社仏閣(じんじゃぶっかく)の「おみくじ」みたいに、家内安 全・家族円満で健康生活を送っていると思いがちですが、そうではありません。

確かに、一般的にそのような生活を送れれば「幸せ」を感じるでしょうが、「幸せかどう かの判断基準」としては、物足(ものた)りなさを感じます。

幸せかどうかは、一人ひとりが人生という時間の中で、「快(こころよ)い気分で穏(おだ)や かに過ごせる時間」をどれだけ持てたかで決まります。
つまり、感情的または、感覚的次元(かんかくてきじげん)で考えた時、精神状態が安定して いるか、反対に不安定かの違いにより判断されます。

お金持ちでも、夜も眠れないほど不安な人もいれば、「一杯の掛けそば」を三人で分け て食べても幸せを感じる人もいます。
ですから、気分的に快(こころよ)く、穏やかで充実感が伴う時間や空間の中で、精神的に 安定することが、「質の良い時間」の中で生きていると言えましょう。

つまり、人生は程度の差はあれ、精神的に安定した時間と不安定な時間が交錯(こうさく) した中で生きることだから、どのような状況や場面でも平常心(へいじょうしん)を保ち、「心 が折れない」生き方をしなければなりません。
そのために「悩み方」が重要なポイントになります。

❖「悩む」ほんとうの原因は、「悩む思考回路」にある。

「心が折れない悩み方」には、二つの側面(そくめん)があり、ひとつは心が折れた状態を 克服し、いかにして元の健康状態に回復するかということと、もうひとつは、日頃からで きるだけ無意味な「悩み」を抱え込まない生き方、つまり、自分も他人も憂うつにならな
い生き方を心掛けることです。

特に、停滞を生むマイナスの側面を持つ「悩み」は、対処の仕方によって、私たちにさ まざまなリスクを与える恐れがあるため、特に注意が必要です。

ところで、私たちは悩む原因やキッカケについて、「あの人があのようにしたから」と か「あのことがなかったら」と自分以外の「他(た)」に求めがちですが、「悩むとか、悩ま ない」という視点(してん)に立てば、原因やキッカケは何であれ、すべてそれらの出来事を 「自らの悩み」にしてしまう「自分」にあると考えなければなりません。

ひとつの例として、A 子という「本人」と友達(B 子、C 子)の 3 人で同じ会社の面接試 験を受けたとしましょう。
一人の面接官に交互(こうご)に呼ばれて面接を受けますが、結果は全員、不合格です。
その時 B 子は、「何も会社はここだけではない、次は別の会社の試験を受けよう」とシ ョックも見せず、さらっとした気持ちでいます。

一方(いっぽう)C 子は、面接官に対し「何よ!あの態度は、まったく気に入らない!!」と 怒りの言葉に続いて「不合格で良かった」「むしろ、別の会社を選ぶ良い機会だ」とさば さばした感じでいます。

一見(いっけん)、「開き直った態度」をとっているように見える B 子と C 子の二人の言葉 には、少なからず現実を受け止める「受容の心」があります。

しかし、A 子本人は、「何て,私はダメなんだろう」とか、「別の会社の面接を受けても、 また不合格になるだろう」と意気消沈(いきしょうちん)して、すっかり自信をなくした状態 でいます。

つまり、B 子、C 子と違って、「A 子本人」は、不合格の後の「自分の姿」がイメージ できず、不合格という事実を告げられた時から気分が落ち込み、ネガティブな思いや感情 を抱いて混乱しています。

では、この 3 人には、一体どこに違いがあるのでしょうか。 それは、「A 子本人」に「悩む思考回路」があるということです。

世間から「悩むタイプ」の人とか、「悩みグセ」がついていると言われる人は、共通し て、些細(ささい)なことにも気を病(や)み、ネガティブな思いや感情を抱き、悩んでしまう という「悩む思考回路」を持っています。

極端に言えば、周りの人から見れば、悩む必要がないこと、つまり、一般のほとんどの 人は悩まないようなことでも、「悩み」に結びつけてしまうということです。
「人生は、自作自演の悲、喜劇である」という武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の言 葉がありますが、「悩み」も言い換えれば、自作自演の「悲劇」の結果であると言えます。

明るく幸せな喜劇を招く「悩まない思考回路」であれば、歓迎されるでしょうが、「悩む タイプ」や「悩みグセ」がついている人は、自らの「悩む思考回路」の自作自演によって 悲劇を招き、苦悩(くのう)しています。何とも不幸なことです。

普段、私たちはさまざまな出来事が原因で「悩む」と思っていますが、先の面接試験の話で解るように、ものごとや出来事、つまり、「不合格」という悩むキッカケになる原因 =「誘因(ゆういん)」は決して、私たちを「悩ます」ことはしません。

そのものごとや出来事を、悩みの原因であるかのように「解釈」をする、「本人の悩む思 考回路」がほんとうの原因=真因(しんいん)である、と理解しなければなりません。

❖「生きる」ことは、「受け入れる」こと。

動・植物は、生命力を駆使(くし)して、状況に反応(はんのう)しながら生きています。しかし、私たち人間は動・植物とは違います。
私たち人間は、知恵を駆使(くし)して、あるがままに受け入れ、変化することで状況に適応(てきおう)しながら生きています。

アフリカ大陸のヌーという草食動物が、季節が乾季(かんき)になると餌(えさ)である草を 求めて何千キロも移動する話は有名ですが、私たち人間はどうでしょうか。

動物のヌーのように気候の変化に合わせて、生きるために日本国内をあちこち移動して いるでしょうか。そんなことはありません。
私たち人間は、「乾季」という状況を受け入れ、知恵を駆使して、事前に食物を蓄(たくわ) えるとか、あるいは加工(かこう)することで食物を保存して生きて行くでしょう。

つまり、私たち人間もヌーという動物も乾季という状況下(じょうきょうか)で生きる、す なわち「受け入れる」という点では同じですが、その後の「生き方」には、大きな違いが あるということです。

私たち人間は、知恵を駆使して乾季を受け入れ、備蓄(びちく)や加工、保存するというよ うに変化することで生きているのに対し、ヌーは生命力を駆使して、草原のある環境=(場 所)へ移動することで、状況に反応して生きています。

このように、生き続けるためには、「受け入れて、適応するか」、「単に反応するか」とい うふたつ生き方があることが解ります。

ところが、停滞を生むマイナスの側面を持つ「悩み」を抱えて苦悩する人は、現実とい う状況を受け入れることができないばかりか、反応するのも、おぼつかない状態でいます。

何故、受け入れることができないのかと言うと、「受け入れたくない」という思い、つま り「心の目的」が先にあるからです。

解かりやすく言えば、「あの時ああしていたら、こうしていればこんなはずではなかっ た」という「不満」な思いや感情にこだわり、とらわれることで「受け入れたくない」と いう気持ちを抱いています。

また、「不安」な思いや感情を抱けば、「もしかしたら、○○になるかもしれない」とか、 「おそらく○○になるだろう」と勝手に思い込んだり、「きっと、そうなる」と決めつけ るため、現実を正しく受け入れることができません。

このように、悩みを抱えている人は、そのきっかけが「不満」であれ、「不安」であれ、 自分の思いや感情に対して「こだわりやとらわれ感」をはじめ、「思い込みや決めつけ感」 が強いから、その時々の状況をあるがままに「受け入れる」ことが困難になります。

❖本能(ほんのう)が悩みを生む。悩みは人生の伴走者(ばんそうしゃ)

私たちには、本能と言われる「快を求めて、不快を避ける」という基本的欲求があるた め、「楽はしたいけど、苦労はしたくない」とか、「得なことはするが、損するようなこと
はしない」という思いや感情を常に持っています。

そのため、思い通りにいかなかったり、期待が外(はず)れたり、納得できない時やそうし た場面では、たちまち「不満」や「不安」な思いや感情が湧(わ)き上がり、「悩む」という 心的葛藤が生まれます。

加(くわ)えて、朝、いつもの時間に起きられないとか、食べられない、学校や仕事に行け ないなど、日々の生活行動全般に停滞を招き、さらに「悩み」が深刻化するという悪循環 に陥(おちい)ります。

悩みがつきない人生は、 期待は外(はず)れて当たり前。 夢、破(やぶ)れても、仕方がない。
叶わぬ願いもいっぱいあるのに、 うだうだ、ぐだぐたいつまでも、 愚痴(ぐち)をこぼして、 今日もまた、 一体、「あなた」は、 何をしてるの!!

もしかしたら人生とは、「不満や不安」の時間と「満足」の時間が交錯(こうさく)する時間 と言えるかもしれません。

そうであるなら尚更(なおさら)のこと、私たちは日頃生活する上で「不満」や「不安」な 思いや感情は「背中合わせのお友達」とか、「死ぬまで付き合う伴走者」という気持ちで 上手に付き合わなければなりません。

このように、始めからそうした気持ちでいれば、仮に不満を感じたり、不安になっても、 戸惑(とまど)うことなく、落ち着いて対処する「心のゆとり」を持つことができます。

すべてに満足しようとするから、 小さなことが喜べない。
満足のレベルを低く、 忍耐のレベルを高く生きたなら、不平、不満はありません。 人は「不満」や「不安」には、 ことさら敏感(びんかん)なのに 「満足」や「安らぎ」には、 はなはだ鈍感(どんかん)である。
そこに不幸の原因が あるみたい・・。

ちなみに、現在の新潟県長岡市にある「良寛(りょうかん)の里」で有名な良寛和尚(りょう かんおしょう)は、無欲で生きれば、「不満」や「不安」な思いや感情は生まれないという「欲、 断(た)てば、一切足(いっさいた)る」という言葉を残しましたが、その言葉を私たちが実践す るのはとても無理な話です。

普段、私たちは「こうしたい」とか、「ああなりたい」という「欲求」のエネルギーを生 きるパワーである「意欲」や「気力」に変えて生きています。
そして、その「欲求」が強ければ強いほど、意欲や気力が充実して、行動も積極的にな ります。

しかし、現実は突発的(とっぱつてき)な出来事が起きたり、アクシデントに見舞(みま)われ、 欲求通りにうまく「事(こと)」が運(はこ)ぶとは限りません。
そうすれば、当然、私たちは悩むことになりますが「悩む程度」というのは、振(ふ)り子 の揺(ゆ)れ幅と同じく、欲求が強ければ大きくなり、弱ければ小さくなる傾向があります。

例えば、「将来、絶対に○○になるんだ!」と強い思いで○○に挑戦していたとしまし ょう。
それが予期しない出来事で○○になる夢が断たれたとしたら、気分の落ち込みや悩み込 む程度は、半端(はんぱ)なものではない、相当なものになります。
反対に、「うまくいったら、もうけもの」的なレベルの欲求では、仮にうまくいかなくて も「まあいいか、仕方ない」と深刻な悩みに発展するケースは少ないということです。

ですから、もし、順調に進んでいることが途中でやめなければならない場合や、夢や希 望が断(た)たれ、失望感を持つ時は、悩む程度を小さくするため、嘆(なげ)いたり、後悔す るのではなく、それまでの経緯や状況に目を向け「私はこんなに落ち込むほど、強い思い (欲求)を抱いていたんだ」とか、「しかし、よくここまで頑張った」「また新たな気持ちで チャレンジしよう」と自分を労(ねぎら)い、経過を評価することが大切です。

仮に事情はどうあれ、好まない状況に陥(おちい)ったとしても、現状をありのまま受け入 れ、それまでの努力を自ら評価し、素直な気持ちで自分を労(ねぎら)うことが何より大事で あり、このことが自分への「期待と可能性」を高め、自己肯定観を育(はぐく)みます。

落ち込んでいる自分に「やる気」を促(うなが)したり、また、失った自信を取り戻せるの は、「自分を大切に思う人」つまり、自己肯定観を持つ人にしかできません

「悩み」は「背中合わせのお友達」とか、「死ぬまで付き合う伴走者」だから、突発的に起 きたことであれ、ほかの原因でそうなったとしても、悩みながらも一生懸命、頑張って生 きてきた自分を「褒(ほ)めて労(ねぎら)う」ことを忘れてはいけません。

このように自分に話しかけることで、本来の「こうしたい」とか、「ああなりたい」とい う「意欲や気力」はなくなるどころか、「今度はこうしよう」とか、「突発的な問題には、 こう対処する」など、今後も起こり得(う)るであろう、新たなリスクや問題を予測したり、 それに対する対処法を事前に用意する「心のゆとり」が生まれます。

「意欲や気力」を高めるのも、減退(げんたい)させるのもすべて、自(みずか)らの「自分へ の話しかけや問いかけ」が大きく影響していることは明らかであり、そのことが、次なる 欲求が求める目的や目標を達成する大きな力になります。

自分で自分を称(たた)える「自画自賛(じがじさん)」という言葉があります。 謙虚(けんきょ)で素直な気持ちから生まれた「自己愛(じこあい)」に基づく「自画自賛」は、 「自惚(うぬぼ)れ」ではなく、心の健康を保つ上で大事なスキルであると言えます。

何故なら、「自画自賛」は、自分という存在に対する確固たる自信がないとできません。 ところが、悩みを抱えている人は、「何て自分はダメなんだろう」とか、「うまくいくはず がない」など自分を否定するような言葉を多用し、「停滞の悪循環」を招(まね)いています。

ところで、「自画自賛」することは、私たち日本人にはあまり馴染(なじ)みがなく、「自惚 れ」や「自慢する」という意味合いが強く、「はしたない行為」や「恥ずべき行為」という ように受け取られる印象がありますが、メンタル面において「自画自賛」の効果は、侮(あ など)れないものがあります。

余談ですが、「鏡を見る習慣」をもつ女性は、顔も(それなりに?)美人で、年齢も同年代 より若く見られる、という話をご存じでしょうか。

現に私が目にした光景ですが、都内で電車に乗っている時、4~5 名の某航空会社のス チュワーデス(現・キャビンアテンダント)の女性が途中の駅から乗り込み、私と向い合せ た座席に座ると一斉にバックから手鏡(てかがみ)を取り出し、何をするのかと思いきや、鏡 を見ながら、「喜怒哀楽」の表情をつくって眺(なが)めているではありませんか。

びっくりしたような顔つきをつくったり、にっこりと明るく微笑(ほほえ)みを浮かべた り、それぞれが真剣に鏡と向き合っている光景は、異様とも言えるものでした。

仕事柄、お客様に笑顔で接するためのフェーストレーニング(豊かな顔の表現/表情筋の 鍛錬(たんれん))でしょうが、それは同時に自分の顔に対して「自画自賛」している姿です。

その後の彼女たちの「仕事ぶり」は、搭乗(とうじょう)する機内での「自信に溢(あふ)れた 乗務ぶり」だったに違いありません。

ところで、人生とは、何をしたとか、どうなったか、ということも大事ですが、生きて いる間の「時間の質」がどうか、ということが最も大事なところです。

何故なら、私たちの「幸、不幸」の判断基準を考えた時、「幸せ」とは、経済的に豊かで あるとか、社会的地位もあり、神社仏閣(じんじゃぶっかく)の「おみくじ」みたいに、家内安 全・家族円満で健康生活を送っていると思いがちですが、そうではありません。

確かに、一般的にそのような生活を送れれば「幸せ」を感じるでしょうが、「幸せかどう かの判断基準」としては、物足(ものた)りなさを感じます。

幸せかどうかは、一人ひとりが人生という時間の中で、「快(こころよ)い気分で穏(おだ)や かに過ごせる時間」をどれだけ持てたかで決まります。
つまり、感情的または、感覚的次元(かんかくてきじげん)で考えた時、精神状態が安定して いるか、反対に不安定かの違いにより判断されます。

お金持ちでも、夜も眠れないほど不安な人もいれば、「一杯の掛けそば」を三人で分け て食べても幸せを感じる人もいます。
ですから、気分的に快(こころよ)く、穏やかで充実感が伴う時間や空間の中で、精神的に 安定することが、「質の良い時間」の中で生きていると言えましょう。

つまり、人生は程度の差はあれ、精神的に安定した時間と不安定な時間が交錯(こうさく) した中で生きることだから、どのような状況や場面でも平常心(へいじょうしん)を保ち、「心 が折れない」生き方をしなければなりません。
そのために「悩み方」が重要なポイントになります。

❖「悩む」ほんとうの原因は、「悩む思考回路」にある。

「心が折れない悩み方」には、二つの側面(そくめん)があり、ひとつは心が折れた状態を 克服し、いかにして元の健康状態に回復するかということと、もうひとつは、日頃からで きるだけ無意味な「悩み」を抱え込まない生き方、つまり、自分も他人も憂うつにならな
い生き方を心掛けることです。

特に、停滞を生むマイナスの側面を持つ「悩み」は、対処の仕方によって、私たちにさ まざまなリスクを与える恐れがあるため、特に注意が必要です。

ところで、私たちは悩む原因やキッカケについて、「あの人があのようにしたから」と か「あのことがなかったら」と自分以外の「他(た)」に求めがちですが、「悩むとか、悩ま ない」という視点(してん)に立てば、原因やキッカケは何であれ、すべてそれらの出来事を 「自らの悩み」にしてしまう「自分」にあると考えなければなりません。

ひとつの例として、A 子という「本人」と友達(B 子、C 子)の 3 人で同じ会社の面接試 験を受けたとしましょう。
一人の面接官に交互(こうご)に呼ばれて面接を受けますが、結果は全員、不合格です。
その時 B 子は、「何も会社はここだけではない、次は別の会社の試験を受けよう」とシ ョックも見せず、さらっとした気持ちでいます。

一方(いっぽう)C 子は、面接官に対し「何よ!あの態度は、まったく気に入らない!!」と 怒りの言葉に続いて「不合格で良かった」「むしろ、別の会社を選ぶ良い機会だ」とさば さばした感じでいます。

一見(いっけん)、「開き直った態度」をとっているように見える B 子と C 子の二人の言葉 には、少なからず現実を受け止める「受容の心」があります。

しかし、A 子本人は、「何て,私はダメなんだろう」とか、「別の会社の面接を受けても、 また不合格になるだろう」と意気消沈(いきしょうちん)して、すっかり自信をなくした状態 でいます。

つまり、B 子、C 子と違って、「A 子本人」は、不合格の後の「自分の姿」がイメージ できず、不合格という事実を告げられた時から気分が落ち込み、ネガティブな思いや感情 を抱いて混乱しています。

では、この 3 人には、一体どこに違いがあるのでしょうか。 それは、「A 子本人」に「悩む思考回路」があるということです。

世間から「悩むタイプ」の人とか、「悩みグセ」がついていると言われる人は、共通し て、些細(ささい)なことにも気を病(や)み、ネガティブな思いや感情を抱き、悩んでしまう という「悩む思考回路」を持っています。

極端に言えば、周りの人から見れば、悩む必要がないこと、つまり、一般のほとんどの 人は悩まないようなことでも、「悩み」に結びつけてしまうということです。
「人生は、自作自演の悲、喜劇である」という武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の言 葉がありますが、「悩み」も言い換えれば、自作自演の「悲劇」の結果であると言えます。

明るく幸せな喜劇を招く「悩まない思考回路」であれば、歓迎されるでしょうが、「悩む タイプ」や「悩みグセ」がついている人は、自らの「悩む思考回路」の自作自演によって 悲劇を招き、苦悩(くのう)しています。何とも不幸なことです。

普段、私たちはさまざまな出来事が原因で「悩む」と思っていますが、先の面接試験の話で解るように、ものごとや出来事、つまり、「不合格」という悩むキッカケになる原因 =「誘因(ゆういん)」は決して、私たちを「悩ます」ことはしません。

そのものごとや出来事を、悩みの原因であるかのように「解釈」をする、「本人の悩む思 考回路」がほんとうの原因=真因(しんいん)である、と理解しなければなりません。

MHPC